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戦争に学ぶ [読書]

 「『リーマン・ショック』という言葉を産んだ現代の金融危機を分析する際に、歴史の教訓としてよく引き合いに出される1930年代。では、日本にとっての1930年代の教訓とは何か。

 1937(昭和12)年の日中戦争の頃まで、当時の日本国民は、あくまで政党政治を通じた国内の社会民主主義的な改革(労働者の団結権や団体交渉権を認める法律の整備など)と、民意が正当に反映されることによって政権交代が可能となるような新しい政治システムの創出を強く望んでいた。しかし、実際には既存の政治システムの下でこれらが実現される見込みはなく、擬似的な改革推進者として軍部への国民の期待が高まっていく。

 現代の日本も、また政治システムの機能不全を抱えている。衆議院議員の6割は一人区の小選挙区制によって選ばれるため、与党が国民に不人気の場合は解散総選挙が行われない。また、投票率の高い高齢者世代の世論や意見を為政者が無視できない構造になってしまう。

 これからの政治は、若年層贔屓と批判されるくらい若い人々に光をあててゆく覚悟がなければ、公正には機能しないのではないか。教育においても、若い人々を最優先に、早期に最良の教育メニューを多数準備することが肝要であろう。彼らには、自らが国民の希望の星だとの自覚を持ち、理系も文系も区別なく、必死になって歴史、とくに近現代史を勉強してもらいたい・・・。」

 こんな要旨の序文に惹き込まれるようにして一気に読んでしまった本がある。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 (加藤陽子 著、朝日出版社)という本である。
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 タイトルが連想させるような、いわゆる反戦・反軍の本では全くない。暴走する関東軍、無責任な作戦参謀、エリートゆえに頼りない海軍・・・といったようなことを書き連ねたものでもない。近代国家の仲間入りをした日本が経験した日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、そして太平洋戦争を題材に、時々の戦争の根源的な特徴、国際社会や地域の秩序、国家及び社会に与えた影響、戦争の前と後でいかなる変化が起きたのか、といったポイントを非常にわかりやすくまとめたものである。わかりやすいはずで、普段は東大で日本近現代史を教える著者が、神奈川県の栄光学園の中高生を相手に5日間の連続授業を行った、この本はその「講義録」なのである。

 授業は、自分が為政者であったら、作戦計画の立案者であったら、或いは日本の一国民であったら、その時々の状況をどのように捉え、どのように判断したであろうか、それを生徒達にも想像させ、その時代を生きる擬似体験をさせながら進んでいく。「高校生に語る-日本近現代史の最前線」というサブタイトルがこの本には付されているが、自分が中高生の時にこのような本に出会っていたら、他の勉強はそっちのけで読み耽っていたに違いない。

 日清戦争に関する章で、それに先立つ時代の説明として、明治10年代の自由民権運動の話が出て来る。ところが、国会開設を強く待ち望んでいるはずの彼ら民権派の主張をよく見てみると、国会開設より先に条約改正だという。不平等条約を押し付けられて侵害されているこの国の主権を取り戻そうという強い気持ちが民権派の中には意外に多いのだと。

「日本の民権派の考え方は、どうも個人主義や自由主義への理解が薄く、・・・(中略)・・・政府が薩長藩閥だけで中枢を占めていることや、北海道開拓などで国の予算を無駄遣いしていることを批判するという点では反政府なのですが、国会が果たすべき役割、あるいは対外的に日本はどうすべきかという点では、実のところ、民権派と福沢(諭吉)や山県(有朋)の間には、差異があまりなかった。」
 
 そして起こった日清戦争。その終結後、日本国内で最も大きく変わったことは、意外にも普通選挙運動が盛んになったことだという。

 「戦争には勝ったはずなのに、ロシア、ドイツ、フランスが文句をつけたからといって中国に遼東半島を返さなければならなくなった。これは戦争には強くても、外交が弱かったせいだ。政府が弱腰なために、国民が血を流して得たものを勝手に返してしまった。政府がそういう勝手なことをできてしまうのは、国民に選挙権が十分にないからだ、との考えを抱いたというわけです。」

 日清戦争と普通選挙期成同盟会。歴史の勉強を暗記物と捉えるだけなら、この二つは全く別個のものだが、この時代に国民が何を考えていたかという観点から歴史を見つめると、この二つは見事につながる。歴史を学ぶとは、こういうことを言うのだろう。

 本書を読んで私が大いに認識を新たにしたのは、第一次世界大戦についての章である。この戦争、一般に日本人にとっては印象が薄い。戦死者は千人ほど。ドイツが権益を持っていた山東半島の攻略は三ヶ月ほどで終わり、戦後はドイツ領南洋諸島を国際連盟から委任を受けて統治することになったという、平たく言えば火事場泥棒的に権益を取得した戦争であったというようなイメージだ。

 しかし、大戦後に国内ではたくさんの「国家改造論」が登場して、日本は変わらなければ国が滅びるという強い危機感が生まれたという。それは、パリ講和会議に参加し、或いはその様子を取材した多くの人々を通じて、第一次世界大戦のヨーロッパでの惨状を我が事のように受け止め、将来の総力戦に向けて大変な不安がよぎったからだという。そのヨーロッパでは市民も含めて一千万人が犠牲になり、由緒ある三つの王家(ロシア、ドイツ、オーストリア)が滅んでしまった。日本はその戦禍を免れたが、やがて中国の資源と経済をめぐる列強との戦いが始まるとしたら、日本は対応できるのだろうか、という怖れである。

 この大戦に参戦する際に、日本は米・英との間で応酬があり(中国における日本のプレゼンスが高まることを米・英は強く牽制)、その事実が帝国議会で暴露されて激しい政府批判が起きたこと、パリ講和会議ではいわゆる「対華二十一箇条要求」を巡り、日本が中国と米国から強い批判を受けたこと、そして日本統治下の朝鮮で、三・一独立運動がパリ講和会議の最中に起きてしまったこと。

 欧州の惨状に加えて、こうした事実が当時の日本人の危機感を高め、国家の改造が叫ばれたたことが、本書では様々な実例を通して語られている。①普通選挙の実施、②身分的差別の撤廃、③官僚外交の打破、④民本的政治組織の樹立、⑤労働組合の公認、⑥国民生活の保障、⑦税制の社会的改革、⑧形式教育の解散、⑨朝鮮、台湾、南洋諸島統治の刷新、⑩宮内省の粛正、⑪既成政党の改造・・・。これだけの要求が各種団体から出されたのである。「日本にとっては第一次大戦の印象が薄い」などという今までの私のような認識ではいけないのだ。

「膨大な死傷者を出した戦争の後には、国家が新たな社会契約を必要とする。」

 学校の授業では、近現代史というのはどうしても時間切れになってしまう。だから、授業で教わるというよりは、受験のために自分で勉強するしかない分野だ。だから、そのスタイルはどうしても暗記物に終始しがちである。しかし、本書で著者が力を込めて述べているように、現代に生きる我々にとって近現代史を学ぶことは何よりも重要なことだろう。

 私の高校時代、日本史の授業は二年生の一年間であった。当然のことながら、明治維新を迎えたあたりで一年は終わってしまう。だが、ありがたいことに日本史の専科の先生は、高三になってからも放課後に補講としてその続きを講義して下さった。その年の12月頃まで時間をかけて、昭和25年の自衛隊発足のところまで、その補講は続いた。学校の授業で日本史をそこまで教わった、そのことは現在に至るまで、私の中では計り知れない大きな存在となっている。本書の土台となった栄光学園での特別授業も、参加した生徒達にとっては一生の宝物になることだろう。

 若い頃に出会いたかった本である。バレンタイン・デーにこんな書評を書くのは、我ながら野暮の極みだが。

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コメント 2

紺碧の書架

 歴史の授業は逆算して、少なくともソ連崩壊までは扱うつもりで進めるべきだと考えています。勿論、色々な問題はあるでしょうが、ノー・タッチでは何も始まらないと考えます。

 ナイスを贈りたいと思います。
by 紺碧の書架 (2010-02-21 21:32) 

RK

コメントをありがとうございます。
ソ連崩壊は約20年前ですが、そのあたりまでなら歴史として既に熟れているのではないかと私も思います。
大学も、こうした近現代史をこそしっかり学んでいる学生を募集したらいいのではないかと思います。
by RK (2010-02-22 22:31) 

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