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不器用な生き方 [鉄道]

 JR有楽町駅は、島形のホームが二本の高架の駅である。一番銀座寄りの4番ホームに立つと、並走する東海道新幹線の上り列車がゆっくりと東京駅に入線していく様子を眺めることができる。ここは京浜東北線の大船方面行きのホームなのだが、昼間は快速運転でこの駅には停車しないため、このホームに立つ人は殆どいない。だから、上りの新幹線を写真に収めるには都合の良いスポットなのである。事実、ホームの北端(東京駅寄り)には鉄道少年たちがカメラを構えていることが多い。

 開業以来、白と紺のツートンカラーがトレードマークの東海道新幹線。だが、昼の12時12分頃に品川方面から姿を見せるのは、そうした東海道新幹線のイメージとは全く異なる、近未来からやって来たような車輌である。ジェット戦闘機のように鼻先が尖った先頭車両、旅客機のような筒型の車体、グレーに窓枠部分が青と黒の塗装。その精悍な姿に思わず見とれてしまう。だが、東京駅までやってくるのは一日一往復だけだ。これがJR西日本の500系車輌である。
新幹線500系.jpg
 国鉄の分割民営化により1987年4月に発足したJR各社。特に東海道新幹線・山陽新幹線をそれぞれ運営するJR東海とJR西日本にとって、航空機路線との対抗上、新幹線のスピードアップは最重点課題であったといえる。“ダンゴ鼻”の初代新幹線0系はまだ現役を続けていた。国鉄時代の1985年には、鼻先を少し尖らせたイメージの100系が登場していたが、最高速度は1964年の開業時の210km/hから10km/hアップしただけであった。折りしも1989年にはフランスのTGVが最高速度300km/hでの営業運転を開始。高速鉄道の運営は、もはや日本だけのお家芸ではなくなっていた。

 こうした中で1992年3月にJR東海の新型車輌300系の登場と共に始まったのが、「のぞみ」の運行である。最高時速は一気に270km/hに引き上げられ、東京・新大阪間は30分短縮されて2時間30分になった。新幹線初のアルミニウム合金製の車体を持つ300系はJR西日本にても製造され、1993年3月からは山陽新幹線区間でも「のぞみ」の運行が始まる。だが、東京からは遠い地域を走る山陽新幹線は、航空機との競合をより意識せざるを得ない。JR西日本は更なる高速化を目指して独自の新型車輌の開発を進めた。それが500系である。設計上は最高速度350km/hが目標であったそうだ。

 その500系「のぞみ」が登場したのは1997年3月。新大阪・博多間を2時間17分で結び、最高速度300km/hを実現した。そして同11月には東京・博多間にも登場。4時間49分という記録は今も最速記録なのだそうである。

 空気抵抗を極限まで減らし、速く走ることをとことん追求した500系の車体は、まさにコンコルドを電車にしたような形をしている。鋭く尖った先頭車両の鼻先は、全長25mの車体のうち15mを占める。だから、先頭車両の運転席寄りには乗降客用のドアがない。また、16両編成の全車両がモーター車で消費電力が大きい。スピードアップと引き換えに、居住性や経済性がやや犠牲になった面もあるようだ。

 どうしても一度500系に乗ってみたかった私は、海外赴任を終えて帰国した翌年に、新大阪まで新幹線に乗る用事を作り、既に700系が主流になっていた中で500系「のぞみ」を狙い撃ちして切符をとったことがある。東京駅で一人興奮している私を見て、当時中学生だった娘は苦笑していたが、私に限らず、鉄道に興味を持つ人達の間では、この500系は極めて人気が高い。人気の理由はもちろんその精悍な姿にある訳だが、もう一つ、この車輌の稀少性も人気の一因なのだろう。初代0系が約3,200両、100系以降の各車両も1,000両以上が製造されたのに対し、500系は16両×9編成=144両が製造されただけなのだ。
500系(横).JPG
(この写真は2004年12月撮影)

 実際に乗ってみると、車体が筒型をしているために、窓側の席に座ると壁面がカーブしていて、車内がやや狭く感じる。そして、700系などに比べるとモーター音が大きかった。何よりも、他の系統に比べて500系車輌は製造コストが高いのだそうだ。

 500系の登場の2年後の1999年には、JR東海・JR西日本の共同開発による700系が早くも登場し、「のぞみ」運用が始まる。山陽新幹線内での最高速度は285km/hに抑えられたが、車体は基本的に箱形で狭さを感じさせず、経済性も向上した。東海道新幹線は最高速度が275km/hに制限されているから、500系の能力は元々オーバースペックである。それよりは製造コストが安く、乗り心地が良く、座席数も多い700系に置き換えられるのは必然であった。

 更に700系の発展型として2007年に登場したN700系は、山陽新幹線区間で300km/h走行を実現。加速性能に優れ、カーブでは車体が内側に傾く構造になっているため、東海道新幹線区間でも走行は極めて滑らかである。これらの登場により、500系は歴史上の役目を終えることになってしまった。

 2007年11月以降、500系は16両編成から中間車輌を廃止して8両編成に順次組み替えられ、初代新幹線0系を追い出す形で山陽新幹線内の「こだま」として使用されている。そして、16両編成で一日一往復のみとなった東京・博多間の「のぞみ」としての運行は、今月28日が最後となる。山陽新幹線を300km/hで突っ走ることを目的に開発された500系が「こだま」として余生を送るというのは、何とも皮肉なことだ。不器用な生き方ゆえに、持てる力をフルに発揮した全盛期は僅か2年だった、そんな男の人生を見ているようでもある。その姿が際立ってスマートな分だけ、そんな生き方がどこか痛々しい。

 有楽町駅の銀座側に建つ東京交通会館の3階テラスは、東京駅を出発したばかりの下りの新幹線を眺めるには絶好のスポットである。先ほど有楽町駅のホームから見つめた500系の「のぞみ6号」は12時13分に東京駅に到着し、僅かな休憩をとった後、折り返し「のぞみ29号」として12時30分に出発する。この「のぞみ29号」をお目当てに、3階テラスにカメラの砲列ができるのも、あと一週間である。

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