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国王からのメッセージ [映画]


 1936(昭和11)年というと、日本ではニ・二六事件のあった年である。

 雪の帝都に軍靴を響かせたあのクーデターが起きる一月ほど前、英国では王位の継承が重々しく行われていた。在位26年に及んだ国王ジョージ5世が1月20日に70歳で病没。その長男であるプリンス・オブ・ウェールズ(当時41歳)が直ちに王位を継いだ。エドワード8世の誕生である。

 だが、この新しい王の存在は、英国にとっては頭痛の種であった。皇太子の時代から、気さくな人柄で大衆の中に自ら入り込んで行き、人々と気軽に言葉を交わすなど、王室のイメージを大衆にも親しみやすいものにした人気者であったのはいいとして、独身で、様々な女性との噂の絶えない屈指のプレイボーイで、交際相手に問題を抱えたまま王になってしまったのである。

 問題の相手とは、ウォリス・シンプソンという米国人女性であった。交際は即位の5年前から続いていたという。過去に離婚歴があり、交際当時も人妻であったのだが、皇太子はどんどんと魅せられていき、遂にはウォリスを無理やり離婚させて妃に迎え入れようと画策するまでになった。国王になってもその思いは変わるどころか、つのるばかりであったという。
Edward VIII.jpg
(エドワード8世)

 だが、英国国教会では離婚はご法度である。国教会の首長を兼ねる国王が、離婚歴のある女性を現在の夫と更に離婚させて自分の妃にするなどという行為は、国教会のみならず国民にとっても受け入れられるものではなかった。エドワード8世個人の問題が公の問題に発展すれば総選挙は避けられず、王室の存在そのものが争点になってしまう危険さえある。国王の地位を全うするのか、ウォレスとの恋を選ぶのか、時のボールドウィン首相は国王に決断を迫り、エドワード8世は退位を決意する。

 この年の12月11日の夜、BBCのラジオ放送で、エドワード8世は後世に名を残す退位のメッセージを読み上げた。
 「・・・私が次に述べることを信じて欲しい。愛する女性の助けと支えなしには、自分が望むように重責を担い、国王としての義務を果たすことができないということを。・・・」

 「王冠を賭けた恋」として有名なこの出来事によって、英国は再び新しい国王を迎えることになった。エドワード8世の弟でヨーク公のアルバートが即位。王としての名前は「ジョージ6世」である」。

 だが、この新国王も大きな不安を抱えていた。幼少の頃から重度の吃音症に悩まされ、人前で話すことが大の苦手だったのだ。そのため、表に立つような仕事は好まず、海軍に仕官して地味な仕事をしていた。そんな彼が、よりによって兄が「色恋沙汰」を理由に退位したために王位に就いてしまったのである。
 
 「王になる準備など何もしたことがない。海軍将校以外に、自分はこれまで何もやったことがない人間なんだ。」

 兄の退位が発表される前日に、彼はそう言って泣きじゃくったという。
King's speech 4.jpg

 ジョージ6世はヨーク公時代に伯爵家の娘・エリザベスを妻に娶っていた。(二人の間に生まれた長女が、現エリザベス女王である。) エリザベス夫人は、吃音症を理由とする夫の演説への苦手意識を何とかしようと、言語障害の様々な専門医に相談するのだが、その過程で巡り合ったのが、医師ではないがこの問題の「専門家」を自称するライオネル・ローグというオーストラリア人だった。

 吃音症の原因は肉体的な欠陥ではなく心理的なストレスにあるとするライオネルの治療法は独特で、ジョージ6世が子供の頃から抱えてきた「心の壁」を開かせようと、「王にだけはなりたくなかった男」の内面に入り込んでいく・・・。

 今年、アカデミー賞を殆ど総なめにした映画『英国王のスピーチ』は、このジョージ6世とライオネルとの人間関係を描いた、大変に興味深い作品である。
King's speech 1.jpg

 心ならずも王になってしまったジョージ6世。だが時は風雲急を告げ、1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻開始を受けて、英国はドイツに宣戦を布告。第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた。大英帝国国王は、国民に対して重要なメッセージを自ら送らなければならない。それがこの映画の最大の見せ場なのだが、詳細は見てのお楽しみである。

 作品全体に対する評価も、個々の俳優の名演ぶりについても、世の中には既に数多くの論評がリリースされているので、ここでは割愛したい。それにしても、この映画は実話に基づいたものだというから、まさに事実は小説よりも面白いと言うほかはない。

 映画の中で、先王にして父親のジョージ5世が、ラジオのスピーチ原稿を手にしながら吃音に苦しむヨーク公を叱りつけながら、
 
「今や国王は国民のご機嫌取りをしなければならん時代なのだ。」

と呟くシーンがあった。

 実際にジョージ5世の治世(1910~36)は、ヨーロッパが史上初の世界大戦を経験して英国自身も大きく傷つき、ヴェルサイユ条約を支配した「民族自決」のコンセプトに基づいて新たに独立する国々が増えていった時代である。王室は、戦時にあっては国民を鼓舞しなければならず、戦後は海外の領土が反英的になることを防ぐために植民地や自治領を歴訪しなければならなかったようだ。そして1930年代にはラジオ放送が始まった。
 「君臨すれども統治せず」が立憲君主制の要諦だが、その枠組みを踏まえつつ、「国王」という役割を担う人間による直接のメッセージを、リアルタイムで国民や海外諸国に届けることが求められる時代が始まっていたのである。
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 共和制という理念をつき詰めて王室をすっぱりと廃してしまった国々、あるいは最初から王室なしで建国した国々とは違い、今も立憲君主制をとる国々は、民主主義に基づく議会政治と折り合いながら王室という伝統的な「その国のかたち」を残してきた。そういう国々の国民にとって、王室の存在とはなかなか曰く言い難いもので、普段は気にもしていないが、何かの時には心の拠り所になり得るものだ。

 今般の日本の大震災に際して、天皇陛下からはしみじみとしたお見舞いのメッセージがテレビを通じて国民に発せられた。一人の日本人として私の胸の中には深く響くものがあり、それを外国人に対して英語で的確に説明することは到底できそうにないのだが、この映画の中でジョージ6世が国民に向けて発した対独宣戦に際してのメッセージを、当時の英国民がどんな風に受け止めていたのか、同じ立憲君主制の国の人間として、その「曰く言い難い」部分に想像を膨らませてみたくもなった。
King's speech 3.jpg

 言葉とは、人類だけが持つ偉大なものだ。様々な新しいメディアを通じて、ぶつ切りのようなメッセージばかりが飛び交うような時代になったが、大きな国難に直面しているからこそ、そうした言葉の持つ重みというものを改めて認識したいものである。

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