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8人より9人 (3) [スポーツ]

 2005年から始まった日本プロ野球(NPB)のセ・パ交流戦。日本版インターリーグと呼ばれるこのカードがなぜ実現したのか、その経緯を私たちは早くも忘れかけている。

 米・大リーグ(MLB)のインターリーグが1997年から始まった経緯については、前々回に触れた。それは、労使紛争を理由に1994年秋から続いたMLB選手会のストライキでファン離れが起きたため、その挽回策として、リーグを越えた地域対決を見たいというファンの要望を汲み取って始まったものだった。

 全くの偶然ながら、NPBの交流戦も選手会のストライキを契機に実現することになった。だが、MLBと正反対なのは、選手会のストライキにはプロ野球ファンの圧倒的な支持があったことだ。

 日本のプロ野球界にとって、2004年という年はまさに大嵐のような一年だった。今から思えば、嵐の根源は「小泉・竹中改革路線」にあったのだろう。銀行の不良債権処理の迅速化を迫ったこの政策によって、過剰債務を抱えた企業は財務のリストラを急がざるを得ず、そうした企業の一つであった近鉄の球界からの撤退が、夏を待たずにリークされた。それもバファローズの売却ではなく、オリックスの保有するブルーウェーブとの「球団合併」という聞き慣れない方法で行うとの話だ。

 これによってパ・リーグ゙は5球団になるのだが、他の4球団とセの6球団はそれでも了承するという。しかも水面下では「第二の合併」が画策されていて、その焦点は過剰債務企業の代名詞ともなっていたダイエーだった。パ・リーグをいずれ4球団にし、遠からずセ・リーグと統合して一リーグ10球団(更には8球団?)となる、というような構想を目指す経営者たちが球界をリードしていたことは明白だった。

 プロ野球のファンは長年の二リーグ制に慣れ親しんできたから、将来の一リーグ制につながるような、それも唐突に発表された「球団合併」に対しては反対の声を上げる。近鉄の球団維持が無理ならば、相応に時間をかけて売却先を探せば良いではないかと。現に新興のIT企業・ライブドアが早くも手を挙げている。だが球団のオーナーたちは、今すぐ一リーグ制にするとは言わないまでも、「パ・リーグは5球団で行く」とし、バファローズの新たな売却先を探すという選択肢を拒否し続けた。度々開かれたオーナー会議は、誰もがセの「球界の盟主」の顔色を窺うばかりで自由にモノが言えない、何とも不思議な会議体だった。
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 不思議といえば、その当時バファローズやブルーウェーブのホームページを見ても、「球団合併を決めた。」というリリースもなければ、「球団合併でこんなことを目指す。こんなに素晴らしいことがあるのだから、今後も試合を見に来て欲しい。」というようなメッセージも何もなかった。客寄せ興行をやる人達がこんなことでいいのかと、球団の姿勢が私などには不可解でならなかった。

 更に奇妙なことは、本業では長年「規制緩和」の先頭に立ってきたオリックスのオーナーが、ことこの問題に限っては新たなスポンサー企業の参入を頑なに拒否していたことだった。要は、それぐらいパ・リーグ球団の経営難は待ったなしの事態に追い込まれていたということだろう。親会社、とりわけ上場企業にとっては、資本市場のルールに「グローバル・スタンダード」が求められる中、「球団は赤字でも、親会社の広告塔なのだから」というドンブリ勘定は許されない時代になっていたのだ。


 「球界全体にとってこれが本当にベストの選択肢なのかどうか、球団合併は1年間凍結して議論を尽くすべきではないか。」という選手会の主張を尻目に、9月初旬にはオーナー会議で合併が承認され、最悪の場合ストも辞さない構えの選手会との団体交渉が行われる。一度は暫定合意によって継続交渉となったが、再度の交渉でも球団側は「合併は凍結しない」という姿勢を崩さず、時間切れで選手会はスト突入を決断。この年の9月18日・19日に、NPB史上初のストライキが実施された。
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 オーナー側の「球団合併」への動きがあまりに唐突であったことや、直接交渉の場を望む選手会に対して、或るオーナーが「たかが選手が。」という発言をしたことがファンの強い反発を呼び、この時の世論はストを構えた選手会側への支持が圧倒的だった。そして、オーナーたちは絵に描いたような悪者のレッテルを貼られることになった。

 もっとも、ファンが球団合併反対、一リーグ制反対を唱えたところで、パ・リーグ球団の経営難が解決される訳ではない。球団の経営があくまでもビジネス・マターであるのなら、ステーク・ホルダーでも何でもない立場の人間がとやかく言う話ではない。ファンには対案を出す責任も義務もない代わりに、経営者の判断を妨害する権利もないはずだ。理屈を言えばそうなのだが、そこはやはり客寄せ興行。ファンにソッポを向かれては経営合理化も絵に描いた餅になる。

 結局、3度目の交渉は世論に押される形で、「NPBが2005年のシーズンをセ・パ12球団で行うことを視野に、新規参入チームの加盟審査を行うこと」などを骨子に合意。11月になって楽天の参入が了承された。他方、その前月には遂にダイエーが産業再生機構の傘下で再建を目指すことになり、ホークスがソフトバンクに売却されることになる。くだんの球団合併自体は行われたので、旧バファローズは守れなかったが、新たなスポンサー企業の参入によって、ともかくも12球団・二リーグ制は維持されることになった。
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 2004年の球界はこんな嵐に揺れ続けたが、前述のようなストを賭けた一連の団体交渉の中で暫定合意を見た項目の一つが、「ファンのためのプロ野球改革」の一環としてのセ・パ交流戦の実施だった。それが翌年から実施されて、今年で早くも7年目になる。

 プロ野球の球団にとって、その経営環境はその後も厳しさを増している。大半が赤字球団という現状は変わっていない筈だ。何よりも「球界の盟主」の威光が近年急速に色褪せて、地上波テレビの全国放送での中継が激減している。そして、ゲームのスピード感やグローバルな「市場」との結びつきにおいて、サッカーとの競争はいささか分が悪い。

 だが、CATVやネット中継などでプロ野球の様々なカードを見ることができるようになった今は、地上波テレビの全国中継しかなかった昔に比べれば、パ・リーグの試合は遥かに見やすくなった。今や「お茶の間のテレビ」に頼る時代ではないのである。だとすれば、消費者の新しいライフ・スタイルにいかに対応し、いかに面白い試合を見せていくのか、それをどのようにして球場での観戦に繋げていくのか。その解は従来の延長線上にはなく、各球団の才覚と努力が問われていくのだろう。逆に言えば、それは業界内の勢力図を塗り替えるチャンスでもあるのだ。
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 昔は「人気のセ、実力のパ」と呼ばれ、オールスター・ゲームや日本シリーズでテレビに映る時にパ・リーグの選手がこの時とばかりに張り切るものとされた。しかし、最近の交流戦を見ていると、パ・リーグの選手にはそうした特別な意識は見られず、実にのびのびとセ・リーグ相手に試合を楽しんでいるようにも見える。そしてその「人気」の面でも、広い球場でDH制のパワフルな試合を繰り広げ、力のある投手陣が揃うパ・リーグに中心が移る日も遠くないと思わせるものがある。

 私が学生の頃の、内野席でも閑古鳥が鳴きまくっていた後楽園球場のホークス対ファイターズのデーゲームを、つい思い出してしまった。藤田学が力投し、門田博光の特大ホームランが出た試合。対するファイターズの先発は高橋直樹。それは、「打者は8人より9人」というDH制がパ・リーグに導入された翌年だった。

 あれからもう35年。時代も変わるわけである。

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