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小さなコンサート [音楽]

 野田新内閣の組成、台風12号の接近に伴う各地の大雨、そして夜はザック・ジャパンの北朝鮮戦。9月2日の金曜日は、日本にとって盛り沢山の一日だった。

 台風の影響で猛烈な湿度となったその日の夕方、仕事を終えた私は電車に揺られて新宿を目指す。予め示し合わせておいたので、途中の池袋から家内が同じ車両に乗ってきた。スポーツ・ジムからの帰りなのだが、一応の余所行きを身に纏っている。私は普段と変わらぬクール・ビズの通勤姿なのだが、まぁいいだろう。

 帰宅ラッシュで混み合う新宿駅は大変な蒸し暑さ。汗を拭きながら電車を乗り換えて、荻窪へと向かう。中央線の駅は殆どが高架だが、なぜか荻窪は昔から地上高のままの駅だ。私たちは駅前のファースト・フード店で簡単に腹ごしらえをしてから、杉並公会堂へと歩いていった。雨は降りそうで降らない。けれども街は湿度の極めて高い空気に包まれていて、蒸し暑いことこの上ない。だから、公会堂の小ホールに着いた時は、節電モードなりにエアコンが効いていて、嬉しかった。
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 定刻の19時30分、静まりかえったステージにヴァイオリニストとピアニストが登場。大きな拍手に包まれた二人が笑顔と共に一礼すると、会場には再び張りつめた静寂が戻る。簡単な音合わせの後、定位置に立って楽器を肩に乗せ、天井の一点を見つめるヴァイオリニスト。ピアニストはその背後の席で始動態勢に入り、彼女の動きを見つめている。そして、聴衆の視線はヴァイオリンの弓先に集中している。いつものことながら、コンサートが始まる時の、この上質の緊張感はいいものだ。

 やがて、意を決したように振り下ろされた弓と、絶妙のタイミングで躍動を始めたピアノ。シベリウスの「ヴァイオリンとピアノのための6つの小品」の中の「思い出」という甘美な曲が、早くも客席を魅了する。それに続く「マズルカ」は、メロディーが本当にきれいだ。ヴァイオリンとピアノというたった二つの楽器だけで作り上げられる、かくも豊穣で優雅な時空。音楽が人の心を捉えて放さない、その原点がここにある。

 二人の演奏者は、いずれも22~23歳のお嬢さんである。ヴァイオリニストは日本の音大を出て今は海外に留学中。そしてピアニストは現役の音大生で、私の娘の小学校時代からの同級生だ。そんな関係で、我家は今日のコンサートへのお誘いをいただいていた。当の娘は所用があって今は米国に滞在中なので、家内と私で聞かせていただくことにしていたのである。コンサートに出かけて、演奏者が自分の娘と同じ年頃というのもなかなか得難い経験で、ついつい親のような気持ちで声援を送りたくなってしまう。

 レストランでの食事にたとえれば、軽やかで上品なオードブルのようなシベリウスの小品に続くのは、20世紀になって西洋音楽が新しい時代への模索を行っていた時期に、逆に伝統的な民族音楽を掘り起こし、その中に新しさを見出したバルトークの「ルーマニア民族舞曲」。どこかの映画で見た、ジプシーたちの自由奔放で熱い演奏を思い出すような、エキゾティックな世界が広がる。そしてそれとは対照的に、その後に続くベートーベンの有名なスプリング・ソナタは、いかにも彼のものらしいきっちりとした構成を改めて堪能させてくれた。二人のお嬢さん、いや演奏者の息がよく合い、若い二人ゆえの瑞々しさを湛えた見事な演奏である。

 20分ほどの休憩を挟み、新たな衣装に包まれて再びステージに登場する二人。その笑顔はまさに自分の娘を見ているようだが、その二人の眼差しが張りつめたものに戻ると、いささか風変わりなリズムと共に、ヴァイオリンもピアノもいきなり全速力で疾走を始め、私たちは早くもぐいぐいとその世界に引き込まれていく。プーランクの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」である。そのアレグロの後にふと現れる、甘美でお洒落で、そしてさらっとした憂愁を帯びたメロディーは、いかにもフランス人のものだ。
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(Francis Poulenc)

 フランシス・プーランク(1899~1963)は、裕福な家庭に生まれ育った生粋のパリジャンだそうである。彼の父と叔父は、かつてのフランスの有名な化学・製薬会社、ローヌ・プーランの創業者だという。(そういう意味では、「プーランク」ではなく「プーラン」と表記するのが整合的なのだろう。)

 裕福な家庭ゆえに5歳の時からピアノに親しみ、同時代の音楽家としてエリック・サティやラヴェルから大きな影響を受けている。共にバレエ曲としてはそれまでの常識を覆した、ストラヴィンスキーの「春の祭典」やサティの「パラード」の初演を見て感銘を受け、後に「六人組」と呼ばれる音楽活動を展開するようになる。いわゆるサロンを出入りした音楽家の系譜の最後を飾る部類に入るのだろう。私が愛聴しているプーランクの室内楽全集のジャケットに登場する彼の姿は、まさに上流階級のお洒落そのものである。
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 歌曲やピアノ曲が作品の中心だというが、その歌曲には宗教的なものが多く、その一方で遊び心たっぷりの音楽も作曲し、ピアノ以外では管楽器を特に好んだという。要するに器用で多才な人だったのだろう。その作風は、20世紀の文明が一気に花開いたパリで、生活に困ることなく生涯を過ごした彼ならではのお洒落な感性と、作品に込めたユーモアとアイロニー、いかにも都会的な憂愁などが織り合わされた、独特の上品さを持っている。それらは「軽妙と洒脱」と表現されることが多いが、私にとってはそれ以上の、どこか人生を達観しているような面白さが大きな魅力である。

 二人が今夜演奏してくれている「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」には、「ガルシア・ロルカの追憶に」という副題が添えられている。ガルシア・ロルカはスペインを代表する詩人で、スペイン内戦が始まった直後に、フランコ軍に捕らえられて射殺された。その死から6年あまり。1942~3年に完成されたこのソナタは、そのロルカの追悼という、プーランクにしては珍しく政治的な意図が込められた作品なのである。完成当時のフランスはまだドイツ軍による占領下にあった。そのことへの思いもあったのだろうか。
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(ガルシア・ロルカ 1898~1936)

 二人の演奏者は、まだ若いのに、情感たっぷりのプーランクを聴かせてくれた。おかげで私たちは、フレッシュなブーケの赤ワインと共に今夜のメイン・ディッシュを楽しんでいる気分である。

 プーランクの音楽は軽妙に見えて、実は深い。だから、彼女たちはこれからの人生を積み重ねていく中で、その年齢なりの表現を、このソナタを通じてこれからもきっと見せてくれることだろう。まるで親のような心境になった家内と私にとっては、彼女たちの今後の活躍が本当に楽しみである。

 最後に、ラヴェルの超絶技巧的な演奏会用狂詩曲「ツィガーヌ」の熱演があって、一際大きな拍手と共に、小ホールでのコンサートはお開きになった。我家の娘と同じ世代の若い二人の演奏者に私たちが大いに元気をもらった、素晴らしい一時であった。

 台風は今どこにいるのか、外はやや風が強いが、雨は落ちていない。胸の中にまだ残るコンサートの余韻を楽しみながら、私たちは駅までの道を歩いた。

 文化とは、やはりいいものである。

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