SSブログ

不器用な二人 [映画]


 日本人の平均寿命が男性79.6歳、女性なら86.4歳という時代。満60で会社を定年になったとして、その翌日から始まる日々を「余生」と呼ぶには、まだちょっと早すぎるかもしれない。

 高校を出てから42年間ずっと仕事一筋で、それも「職場の鑑」と呼ばれるほどきっちりと仕事をしてきた或る男が、いよいよあと一ヶ月で定年を迎え、その早すぎる「余生」が始まろうとしている。

 真面目で一途に生きてきた分だけ気難しさがあるのは、自他共に認めるところだ。いつもどこか不機嫌な顔をしているし、職場の同僚にもつい自分と同じ厳しさを求めてしまう、そこにちょっと煙たさがある。

 そうしたことに自覚がないわけではない。わかってはいるが、仕事を全うするために、これまでは家庭の中でもその気難しさで押し通してきた。妻には苦労をかけたとも思っている。だから、定年になったら一緒に旅行でもして、口下手で不器用ながらも、妻をねぎらってみようか。

 ところが、そんな話を妻にもちかけようと思いながら帰宅した男の前で妻が切り出したのは、夫がやっと定年になったのだから、これから自分は看護師の仕事を始めたいという話だった・・・。

 日曜日に家内と二人で見に行った映画 『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』 は、そんなところからストーリーが始まった。主人公は、富山県東部を走るローカル私鉄、富山地方鉄道のベテラン運転士、そして妻は結婚を機に看護師の仕事を辞めて家庭に入り、その後も母親の介護があったりしたので働くことを長い間諦めていた、という設定である。
RAILWAYS 01.jpg

 定年後は妻とのんびり暮らそう。そんな日々がすぐ目の前に迫っていたのに、妻が仕事を持つと突然言い出し、妻のその思いが理解できない自分との間で喧嘩になって、妻は家を飛び出してしまう。しかも離婚届までが用意されていた・・・。あれよあれよという間にそんな展開になってしまったことは、男にとって大きなショックであったに違いない。

 だが、男が思い描く「定年後は妻とのんびり」という図式の中で、妻は引続き自分にとって都合のいい「家政婦さん」になってはいなかったか。もし、この先の人生を全て余生と呼ぶのなら、自分がこんな風に余生を過ごしたいと思うのと同じように、妻には妻の余生のプランがあってもおかしくない。自分の人生に残り時間がまだあるならば、過去の経験を活かした仕事を持ってしっかり働きたい。それだって立派な余生の過ごし方ではないか。

 そのことが解りあえずに来たのは、二人のそれぞれに原因があったのだろう。「愛を伝えられない大人たちへ」というサブタイトルは、長い間夫婦でありながら互いの思いがすれ違うばかりだった二人の、これまでの不器用な生き方を暗示している。
RAILWAYS 02.jpg

 家を飛び出してまで仕事に就いた妻の行動をなかなか理解できなかった男だが、ある出来事をきっかけに、妻が強い使命感を持って仕事に取り組む姿を目の当たりにして、初めて気づく。それは42年間生真面目に勤め上げてきた彼だからこそわかることだった。自分の仕事に真摯に取り組む人間の姿とは、何と尊いものだろう。長年家を守ってきた妻にも、そうやって一生懸命になれる仕事があったのだ・・・。

 妻への優しさ、夫への思いやり・・・そんな言葉では括りたくない思いがある。これから余生が始まろうとする時に、この夫婦が互いに傷つきながら模索したものは、それぞれが何を生き甲斐にしてこれからを生きるか、人としての尊厳とは何か、それをお互いにどうやって尊重し合えばいいのか、そういうことではなかっただろうか。そして、そこにたどり着くまでの二人の不器用さは、人間誰もが大なり小なり持っているものなのかもしれない。

 職場に戻る妻を乗せた車を、男が鉄道員としての敬礼姿で、黙って見送る。このあたりのカメラワークが実に巧みだ。雨に濡れた男のその背中が、ちょっと泣かせる。

 この夫婦が若い頃に二人して歩いた、桜の咲く小高い丘。あれは富山市の呉羽山だろうか。二人が二人でなくなってから、それぞれが一人だけで同じようにしてそこを訪ねるシーンが切ない。そう、地味な作風ながらしみじみとした味わいのあるこの映画に、いかにも日本らしい淡色の彩りを添えているのが、自然の豊かな富山県の美しい景色と、その中をトコトコと走るローカル電車なのである。
RAILWAYS 03.jpg

 大学を出て社会人になった私が、その駆け出しの3年間を過ごしたのがこの富山市だった。だから、早春になお純白の雪を抱く立山連峰や剱岳を背景に、富山地方鉄道の電車が常願寺川の鉄橋を渡るシーンなどを見せられると、私は殆ど条件反射のように胸がキューンとなってしまうのだ。富山は本当にいい街で、多くの人々にお世話になった。その3年間については、楽しかったことしか覚えていない。

 映画に出てきた呉羽山から小さな峠を一つ隔てて南側に、テレビ塔の立つ城山というやはり小高い丘があって、当時はそこが私のお気に入りの場所だった。秋のよく晴れた日など、日の出の少し前に独身寮からそこまで出かけていって、朝日にシルエットになった北アルプスの峰々を、目を凝らして眺めたものだ。それもまた、懐かしい思い出である。
a view from Toyama.jpg

 家内と一緒に見に行って、今日はよかった。しみじみとそう思える映画だった。そして、久しぶりにまた、あの懐かしい富山へ行きたくなってしまった。

 雪はもう、降り始めただろうか。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。