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どの国とも違う日本 [美術]


 私が香港に駐在して一つのチームを率いていた頃、チームのメンバーに一人のフランス人がいた。いささか我の強い男で、チームワークを取らせるのに苦労したものだが、仕事とは別に、彼は不思議と日本の文化に強い関心を示していた。

 日系の会社だから、東京から出張してきたお客さんからお土産(例えば、ちょっと高級な煎餅やあられの詰め合わせなど)をいただくことがある。それをチームの間で配ると、その一つを手に取った彼は、感心した表情でそれを眺めながら呟く。
 「スナック菓子のパッケージ一つが、なぜこれほど微細かつ洗練されたデザインで、なぜこれほど丁寧に作られているのか。これは実に驚くべきことだ。」
 もちろん、中味の”rice cracker”の歯ごたえと味わいにも彼はいたくご満悦だった。

 煎餅のパッケージだから、基本的には和風をイメージしたデザインで、着物で言えば江戸小紋のような、小さくて精密な図形の連続模様であることが多いのだが、そのフランス人の感想を踏まえて考えると、確かにそうした美意識やディーテルへのこだわりは日本独特のものだろう。

 17世紀の初めからの海禁政策によって、250年もの長きにわたり世界とは没交渉だった日本。その間に戦争のない社会を作り上げ、長い歴史と伝統に裏打ちされた独特の文化を爛熟させていた日本。幕末維新の動乱を経て、その日本の文物が海外に渡った時、それらが各国の人々の大いなる関心を集めたのも不思議ではないだろう。1878年に開催されたパリ万国博などを通じて欧米では「日本の美」に心酔する動きが始まり、既に始まっていた芸術運動(アール・ヌーボー)に大きな影響を与えたことは良く知られている。

 だが、そうした「ジャポニスム」は、例えば印象派の画家たちが日本の浮世絵から大いに刺激を受けたというようなことに留まるものではなく、様々な工芸の分野でも日本の伝統文化は注目を集めていた。その一つが、微細な連続模様で着物の生地を染め上げるために用いられた型紙であった…。
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(型紙 「伊勢海老に六弥太格子」)

 街路樹に鮮やかな新緑が甦りはじめた東京の都心、三菱一号館美術館で開催されている ”KATAGAMI Style 世界が恋した日本のデザイン”は、19世紀の後半から20世紀の初頭にかけて西欧に渡った日本の型紙が、その精緻さと優れたデザイン性において高い評価を受け、生地を染めるという本来の用途を離れていろいろな物に幅広く応用されていった、その軌跡をたどるユニークな美術展だ。この何年か着物の着付けを習ってきた家内が興味を示していたので、日曜日に二人で見に行くことにした。
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(三菱一号館)

 現代の私たちは、日本人でありながら和服を着ることが極端に少なくなってしまったから、着物が江戸小紋のような細かい連続模様にどうやって染め上がるのかを、そもそも知らない。会場ではその概要をビデオ映像で見せてくれるのだが、それは気の遠くなるような細かい手作業の積み重ねによって作られる型紙の存在が命なのである。

 まさに職人芸の極みのような技によって作られ、生地の染色に使われ、そして使い古されれば捨てられる型紙。だが、19世紀末から20世紀の初頭にかけてそうした型紙が何万枚も欧米諸国に渡り、芸術家たちの感覚を大いに刺激し、彼らの創作に様々なヒントを与えていったという。

 例えば、部屋の壁紙やカーペットの模様、布地のプリント模様、磁器の絵柄、そしてポスターのデザイン。私が仕事でロンドンに暮らしていた頃、家内が好きでリバティ百貨店をよくのぞいたものだが、「リバティ・プリント」として知られるあの連続模様の布地も、日本の伝統的なデザインからインスピレーションを得た物の一例だったのだ。
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(左:型紙「梅に変り芝翫縞」 右:リバティ商会 シラン・シルク見本帳)

 日本の”KATAGAMI”から影響を受けたとされる展示品を眺めていると、異なる文化同士の触れ合いというのは面白いものだと、改めて思う。英米圏、仏語圏、独語圏それぞれの個性の中で、「型紙」というミクロの世界に凝縮された日本の美意識が大胆に取り入れられている。ルネ・ラリックの香水瓶も、アルフォンス・ミュシャが描き出した世界も、こうした視点に立つと何だか親近感が湧いて来るから不思議である。
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(左:ルネ・ラリック 『赤い珊瑚』, 右:アルフォンス・ミュシャ 『舞踏』)

 考えてみれば、文化というものは民族や地域の個性であるようでいて、実は驚くほど柔軟な汎用性をも兼ね備えているものなのだろう。例えば、日本の寿司文化は海を渡り、今や世界各地でその地域なりの”sushi”が人気を集めている。そう思うと、私たちは自らの伝統文化を「ガラパゴス」などと卑下する必要はないのだし、むしろこういう時代だからこそ、狭小なナショナリズムとは異なる意味で、私たち自身が日本の文化をもっとよく知っておかねばならないのではないだろうか。

 英国のトニー・ブレア元首相は、今年1月に日経新聞に連載された『私の履歴書』の中で、
 「日本を訪れるたびに、ここは世界のどの国とも違う、独特の風土と文化を持った国だという思いが湧いてくる。」
といった趣旨のことを述べていた。そういう「世界のどの国とも違う」日本が生んだ型紙の文化が19世紀後半以降の世界をこれほどまでに感化してきたのだから、私たちはやはり、民族の文化のアイデンティティーというものをもっと大切にすべきなのである。

 時を忘れて美術展をゆっくりと楽しみ、外に出ると、日曜の午後の丸の内はのんびりとしている。家内と二人で、そののんびり感を楽しみながら歩き、修復中の三階部分が姿を現した東京駅丸の内口の様子を眺めているうちに、大手町に出た。
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 日曜日で人通りの少ない金融街。新たな高層ビルが幾つも建設中で、このあたりも急速に姿を変えつつある。建物だけ見れば世界の金融センターとあまり変わらないのかもしれないが、日本のこの季節だからこそ甦る街路樹の緑が、目に眩しかった。
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