SSブログ

かつてそこにあった危機 [映画]


 1968(昭和43)年8月21日というと、私が小学校6年生だった年の夏である。

 遡ってカレンダーを調べてみると、その日は水曜日だった。天気がどうだったのかは覚えていないが、いつものように午後から学校のプールで泳いでいたのだから、太陽の輝く暑い夏の一日だったのだろう。

 区立の小学校で、夏休みの間開かれていたプール学校。その日の当番はよく太った教頭先生だった。なぜそんなことを覚えているかというと、終了時刻が来て私たちがプールから引き揚げる時に、先生の席にあったトランジスタ・ラジオが伝えた臨時ニュースの内容を、大きなお腹を揺すりながら私たちに伝えてくれたからだった。小学校6年生といえば社会科で世界の国々のことを少しばかり学ぶ頃だから、海外から飛び込んできたそのニュースも一つの生きた教材になると、教頭先生はそう思われたのだろうか。

 それは、東欧のチェコスロヴァキアに対してソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍が前夜に軍事介入を始めた、という臨時ニュースだった。その年の1月から始まっていた政治の自由化の動き、いわゆる「プラハの春」をソ連が戦車で踏み潰した事件である。(もちろん先生はその時、もっと平易な言葉で説明してくれたに違いない。)
Prag in 1968.jpg

 当時は米ソの対立が激しく、世界中のいたる所が東西冷戦の構造下にある、今から思えば緊張感の強い時代だった。日本を含む西側世界では「共産主義の脅威」が語られ、事実「鉄のカーテン」の向こう側は万事秘密主義で、子供心にも不気味な存在だった。(チェコスロヴァキアへの軍事介入も発生は現地時間で8月20日の深夜だったのだが、東側はだんまりを決め込み、西側社会がそれを知るまでには時間が必要だったのだ。)

 東西両陣営とも、核兵器を相手に向けて睨み合う。だが本音では「第三次世界大戦」は避けたい。そんなチキン・レースのような冷戦の中で両陣営がしのぎを削ったのが、諜報活動だった。

 そんな時代背景のもと、’70年代初頭の英国を舞台に、同国の諜報機関MI6の幹部の中に潜むKGBの「モグラ」(=二重スパイ)を炙り出せ、という密命を背負った一人の男の活動を描いたのが、今公開中の映画『裏切りのサーカス』 (原題は”TINKER TAILOR SOLDIER SPY”)である。日本語の題名は何ともいただけないが、「サーカス」とはMI6の別名で、その元職員だったジョン・ル・カレによる同名のスパイ小説を映画化したものだ。
spy 01.jpg

 渋い。その一言に尽きるかもしれない。

 登場人物は人生に疲れたような表情をした中年以上の男たちばかりだ。地味な背広を着て、情報収集・分析という地味な仕事を積み重ね、目立たぬように動く。そして自らが殺しや誘拐に手を染めることはしない。要するに、ジェームズ・ボンドなどとは正反対の世界なのだ。だから、派手なアクションや最新の秘密兵器、そしてボンド・ガールなどを期待する向きにはお奨めしない映画である。(もちろん、「殺し」のシーンや女性の登場が全くない訳ではないが。)

 調査をコツコツと進める地味なシーンの連続で、ストーリーは理詰めだ。多数の人物が登場して、彼らの間の人間関係が頭に入っていないと話の展開に追いつくのが難しい。細かい説明もなしにシーンが次々に飛んでいく。そうなのだが、実は画面の中に次の展開への小さなヒントがさりげなく置かれたりしていて、そういう「三を聞いて十を知れ」みたいな謎めいたところが、逆に知的好奇心をくすぐってくれる。

 とりわけ、何度も繰り返し出てくるMI6のかつてのクリスマス・パーティーのシーンが鍵だ。何年も前の、MI6の古き良き時代を懐かしむという意味で出てくるのだが、全てのストーリーのエッセンスがこのシーンに凝縮されていて、そこに立ち戻るたびに真実解明のヒントがほのめかされる。よく計算された構成と言うべきだろう。

 それにしても、実力のある俳優を並べたものだ。人を心底信用しない仕事を長年続けてきた、そのことで染み付いた翳が顔にも背中にも出ている、そんな男たちを体一つ、表情一つで演じるのは並大抵のことではないだろう。しかもその地味な背広姿が実にキマッていて、同年代の私などは、こういう男の渋さと翳りに憧れてしまう。
spy 03.jpg

 渋さといえば、この映画にはすっきりと晴れた青い空が出てこない。ロンドン、ブダペスト、イスタンブール、パリ┅。舞台がどこに飛んでも、頭の上はヨーロッパの沈鬱な冬の曇り空ばかり。それが、この映画の持ち味と実に良くマッチしている。そう、大人というのは、敢えて苦いコーヒーを飲む生き物なのだ。

 時代設定が’70年代の初頭だから、諜報部員たちの仕事場もまだ固定電話とテレックス、新聞の切り抜き、オープン・リールの録音機というアナログの時代。だがそれだけに、彼らのコツコツとした作業の積み重ねによるストーリーの展開に、人間としての確かな手触り感がある。そして、それを実力派の俳優たちが思いっきり渋く演じているのだ。こうした極めつけの大人の映画に出会ってしまうと、CGで荒唐無稽な映像を作り、暴力と破壊と安っぽい正義感ばかりの凡百のハリウッド映画が、何と子供じみて見えることだろう。

 原作となる小説は1974年に発表されたそうだが、それに先立つ’50年代から’60年代初頭にかけて、実際に英国ではキム・フィルビーというソ連の二重スパイがMI6に入り込んでいた。フィルビーはケンブリッジ大学に在学中からソ連のエージェント入りし、MI6では長官候補にまで登りつめた男だった。彼の暗躍で英国の対ソ諜報活動は大きな打撃を被ったのだが、彼の他にケンブリッジ大卒の人材が何人もソ連のエージェントになったように、当時はマルクス・レーニン主義への信奉者がインテリ層にも数多くいた時代だったのだ。

 「ベルリンの壁」が壊され、ソ連が崩壊してから既に20年以上が経ち、今の私たちにとって冷戦時代は遠い過去になった。共産党が一党支配している国々でさえ、今は「市場経済」の仕組みを取り入れて金儲けに必死である。そんな中、スパイの世界の複雑な謎解きを楽しみながら、「共産主義の脅威」と隣り合わせだった時代を思い出してみるのも、たまにはいいかもしれない。
spy 02.jpg

 なお、「プラハの春」が踏み潰された’68年8月の軍事介入の2ヶ月後、メキシコシティーで開催されたオリンピック大会で、チェコスロヴァキアの女子体操チームは、共産主義の象徴である赤色を避けて濃紺のユニフォームを着用。民主化運動を支持していたために事件発生後は十分な練習環境になかったベラ・チャスラフスカが、圧倒的な強さを見せて個人総合優勝を遂げている。

 私の周囲の大人たちはみなチャスラフスカを応援していた、というのが今も残る小六の秋の記憶である。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

夏が始まる日山の常識 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。