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神様が命じた断食 [宗教]

 ‘90年代半ばの、ある年の夏のことである。私は仕事でマレーシアの首都クアラルンプールを訪れていた。現地の或る政府系企業を相手にしたビジネスがあって、当事者間での契約書の調印セレモニーに出ることが目的だった。

 ホテルの小ぶりなパーティー・ルームに数十人が集まり、まずは参加各社の代表者たちによる契約書への調印作業。それがテキパキと終わり、すぐ隣のレセプション会場に全員が移動したのは、予定より少し早い時刻ながら、それでもKLの街に夕暮れの迫る頃だった。

 この手のレセプションでは、乾杯はシャンパンと相場が決まっている。お酒を飲めない人はジンジャーエールか何かだ。いずれにしても、調印自体は滞りなく終わったのだから、もう何時でも乾杯に入れる態勢にあった。

 すると、レセプションの主催者を代表してその政府系企業の幹部が空のシャンパン・グラスを手に壇上に立ち、にこやかに語り始めた。浅黒い顔に口ひげをたくわえた、いかにもマレー人の風貌である。
 「皆さんのご協力のおかげで、調印は無事に終わりました。しかし、予定より早く終わったのでまだ日没には少しだけ時間があります。従って、まずは空のグラスで乾杯だけを始めましょう。」

 会場では誰もが事情を察しているから、特に違和感もない。ともかくも空のグラスで乾杯の真似事だけをして、しばらくはテーブルの上のビュッフェにも手をつけず談笑をすることになった。要するに、この日はイスラム教におけるラマダン(断食月)の真っ最中だったのである。
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 ラマダンという言葉の本来の意味は、「イスラム暦の第9月」なのだそうだ。その一ヶ月は日の出から日没までの間、飲食を絶つべしというのが、コーランにも記載のあるムスリムが守るべき五つの行の中の一つなのである。(その代わり、日が沈んだらいくら飲み食いをしても構わない。) そしてイスラム暦は純粋な太陰暦で、一年が354日ほどだから、太陽暦との間ではラマダンの時期も年々ずれていく。

 なぜ15年ほども前のクアラルンプールでの出来事などを思い出したかというと、今年は7月20日から始まったラマダンが、ロンドン五輪の開催期間と完全に重なってしまったからである。イスラム諸国から五輪に参加する選手たちは、大会期間中もラマダンを続けるのだろうか。もしそうだとしたら、それはさすがに競技結果にも大きな影響があるだろう。まして高緯度の英国へ行けば、夏は昼間の時間がとても長いのだから。

 だが、「信仰告白」、「礼拝」、「喜捨」、「断食」、「巡礼」の五行は神様が決めたことで、コーランにもその記載があるのだから、信者はそれを守らなければならない。「今月は大会中だから、僕はラマダンを来月に回そう。」などということを信者が勝手に決めることはできないのである。ならば、選手達はどうすればいいのだろう。

 そんなことを何となく考えていたら、関連する記事がやはりネットにも出ていた。ムスリムとして断食を守らなければならないという思いと、競技に勝ちたいというスポーツマンとしての心理の間で、選手たちは苦悩し、揺れ動いているというのである。エジプトなどでは、「大会に参加する選手は断食を免除される」という宗教見解がわざわざ出されたという。私たち日本人には、ちょっと想像の及ばないことである。
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 私はかつて、香港からアジアの各国へ出かけて行って仕事をすることが多かったのだが、マレーシアやインドネシアなどへ出かけるたびに、イスラム教のプレゼンスの大きさを認識したものだった。そして同時に、そのことが不思議でならなかった。

 イスラム暦では、一ヶ月の始まりは新月の日の日没である。要するに日が沈んでから一日が始まるわけだ。(そう言えば、イスラム諸国の国旗には三日月と星が描かれていることが多い。) そして豚肉を食べず、酒を飲まず、未亡人の救済のために一夫多妻を認めている、イスラム世界のそうした姿は、「砂漠の宗教」そのものである。それが、13世紀以降に東南アジアへの浸透が始まったという。広く明るい海があり、雨も多く、熱帯林の緑豊かなこの地域で、なぜ砂漠の宗教がこれほどまでに根付いたのだろう。私はそのことについて、今もなお納得できる説明に出会ったことがない。

 ムスリムにとって何よりも大切なコーラン。それはアラビア語で書かれたものでなければコーランとは認められないという。ならば、インドネシアやマレーシアのムスリムはアラビア語が皆わかるのだろうか? 私はある時、仕事の上での会食で一緒になったインドネシア人にそのことを尋ねてみた。答えはこうだった。
 「全員がアラビア語を理解できる訳ではもちろんないけれど、敬虔な人は勉強して、アラビア語のコーランを読んでいますよ。」
 このあたりがイスラム教のイスラム教たる所以だろう。

 それでも、東南アジアにおけるイスラム教のあり方は、サウジやイランのそれとは大きく異なるものだ。お祈りで生産活動が止まるわけではないし、女性はベールを被っても顔をしっかりと出している。何よりも、世俗の政治は政府と議会が行なうものであって、そこに「宗教指導者」が口を出すことはない。政治の最高責任者はあくまでも大統領や首相だ。「何事もコーランに忠実に」という立場から見ればケシカランということになるのかもしれないが、啓示宗教でありながらこうした「緩さ」があちこちに見られるところが、やはりアジアのフレーバーなのかもしれない。
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 一般に、国の近代化が進み、経済社会が発展して日々の暮らしが豊かになり、そして国民の間に教育が普及するにつれて、人々は「神様」から離れていくものであるらしい。先進国はどこもおしなべてそういう歴史をたどってきたと言える。新たな科学技術の開発やビジネスに成功することが世俗の「幸せ」を実現する主体になると、神様の居場所はなくなってきたのだ。

 ところが、そんな時代にムスリムだけは世界中でその人口が増え続け、「原理主義」的な信者も増えているという。軍事力を背景にした開発独裁型の政権が倒れ、代わりにイスラム政党が台頭する国々も出てきている。お釈迦様もキリストも忘れられつつある中で、アッラーの神だけは、まだまだ元気なのだ。

 日の出から日没までの間に続ける断食。それを一ヶ月も続けるというのは苦しいものであるらしい。飢えや渇きは人間にとって切実な苦しみである。だが、それをわざと我慢することで、断食を命じた神様のことを考える。ポイントはそこにあるようだ。そしてそれは、食べる物もない貧しい人々の苦しみを体感し、彼らへの支援を考えることにもつながるという。「格差社会」の中でひとりイスラム教が元気な理由は、このあたりの明快さにもあるのだろうか。

 「アラブ首長国連邦(UAE)から参加する柔道のヘミード・ドリエ選手(19)は、『私が何をしようと、断食をしようとしまいと、アラーの神は私とともにある』 『一番大切なのは神を信じてベストを尽くし、勝っても負けても神に感謝することだ』と話している。」
(『断食守るかメダルか、ラマダン中の五輪に悩むイスラム選手』 CNN.co.jp 7月24日8時42分配信記事より)

 一神教の世界は私たち日本人の大多数にはいささか縁遠いものだが、時にはこうした神様のあり方について考えてみるのも、いいかもしれない。
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