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ジャズと共に [音楽]


 休日の午後6時過ぎ、私は一人、ほろ酔い加減で新橋からメトロで渋谷に向かっていた。

 直前まで新橋の居酒屋で家族と共に一杯やっていた。五月の四連休も、気がつけば今日がもう最終日だ。この休みの間、新潟で司法修習中の息子が帰省していたので、家の中は久しぶりに賑やかになっていた。もちろん、家族それぞれに個々の予定はあったのだが、その中で四人一緒に過ごす時間も可能な限り作った。あっという間に過ぎてしまった気もするが、それは本当に楽しい時間であった。

 そして、今日の夕方の新幹線で息子は新潟に戻り、私はこれから渋谷で自分1人の時間を過ごそうとしている。それは、この連休の間に予定していたことの最後の一コマだ。

 銀座線の改札を出て階段を下りると、渋谷の駅前はまだ薄明るい。そして何とも大勢の人々が出歩いている。今日の昼間は夏日に近い陽気になったから、この時間でも上着はいらない。暮れていく街の風情を楽しみながら、私はBunkamuraのオーチャード・ホールへと向かった。

 私が席を取っていた二階から広いホールの全体を見下ろすと、暗がりの中、ステージの中央部分だけにスポットライトが当り、グランドピアノと横置きにしたコントラバス、そしてドラムスという三種類の楽器だけが浮かび上がっている。やがて、開演時間が近いことを知らせる放送があり、ホールの中の座席が聴衆で埋まると、わくわくするような気分が一気に高まっていく。

 定刻の午後7時。ステージの左端から背の高い三人のプレイヤーが登場すると、場内は割れるような拍手に包まれた。各人が楽器の前に位置を正すと、一瞬の静寂。そして次の瞬間、このピアニスト独特の甘美なメロディーによるイントロが始まる。それに聴き惚れていると、ベースの野太い低音と、軽快にリズムを刻むドラムスが滑らかに寄り添っていく。CDを聴いているだけのシチュエーションとは違い、目の前でジャズ・トリオの演奏が始まっていく、その様子を実際に眺めるのは、やはりいいものだ。

 ピアノ: キース・ジャレット、ベース: ゲイリー・ピーコック、ドラムス: ジャック・ディジョネット。私の目の前で華麗な演奏を始めてくれたのは、あのキース・ジャレット・トリオなのである。
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 キース・ジャレットといえば、中腰でピアノを弾きながら時折うなり声を上げる、その独特の演奏スタイルで有名だ。先に述べたように、即興を加える時のメロディーが詩情豊かでとてもきれいなことから、女性ファンも多い。今夜も聴衆の年齢層は実に幅広く、女性とペアで訪れた人も多いようだ。

 1945年生まれのキース・ジャレットは、今年で68歳になる。アルバム・デビューは1965年にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに加入した時のものなのだそうだが、その当時の活躍については、私は知識を持っていない。’70年代に入った頃にはマイルス・デイビスのバンドに参加したこともあるそうである。

 若い頃に読んだジャズの本の中に、こんなことが書いてあった。ジャズを聴く人は、ジャズの歴史の中で自分が好む演奏スタイルが流行した時代に錨(いかり)を下ろしており、そこを中心にして、その人なりの振れ幅の中で時代を遡ったり下ったりしているのだと。

 私個人の場合は、マイルスがもたらしたモード・ジャズが全盛期を迎えた’60年代前半あたりのジャズに錨が下りているのかなと、自分でも思う。ジャズを聴き始めたのが’70年代に入った頃だったから、ハードバップ期の作品よりも、相対的に新しいモード・ジャズの方がカッコよく思えたものだ。高校生になったばかりの私は、マイルスのあの謎めいたトランペットに憧れていた。
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(モード・ジャズの金字塔、マイルスの"Kind of Blue")

 その’70年代に、(私の印象でいうと)キース・ジャレットはソロ演奏の方で注目を集めた人だった。エレクトリック・サウンドが導入されたり、ファンキーな要素が大きく取り入れられたりと、ジャズの世界にも大きな変革が始まった’70年代。それらとはまた別の次元で、うなり声を上げながら陶酔感溢れる独特のソロ・ピアノの世界を築き上げたのがキースだった。’75年にリリースされた、あの伝説の"The Koln Concert"の存在は、普段ジャズとは殆ど無縁のような女の子でさえ知っていたほどだ。
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 そんなキースが、’80年代からはトリオ演奏で注目を集めた。それが、今夜私たちの前で演奏を繰り広げてくれている、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットとのトリオである。’83年にリリースされた”Standards Vol.1”と”Standards Vol.2”、そして’85年の”Standards Live”は、ジャズのトリオ演奏が好きな人なら誰もが持っていたようなアルバムだろう。(今思えば、私が新婚の頃にリリースされた”Standards Live”は、当時の家内と私にとって週末のリラックスの友のような存在だった。第一曲の”Stella by Starlight”がとても素敵なのだ。)
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 そのキース・ジャレット・トリオ(通称:スタンダーズ・トリオ)の結成から、今年で何と30周年だという。途中、’90年代の後半にはキースが「慢性疲労症候群」という原因不明の病気を患い、全く活動が出来ない時期が2年ほど続いたのだそうだが、それからよくぞカムバックしてくれたものである。

 だが、このトリオによる日本公演は、結成30周年記念の今回をもって最後になるという。ここまで長く続いたトリオだけにとても残念だが、これ以上を期待するのは無理というものだろう。

 途中20分間の休憩を挟んで、三人の熱演は続いた。そして、鳴り止まない拍手に応えてアンコールを三曲も演じてくれて、コンサートはこれ以上ないような賞賛の中で終了した。

 会場をゆっくりと出て、体の中にまだ残るコンサートの余韻を楽しみながら、夜の渋谷を歩く。そして、ふと思い出した。あれは、もう間もなく高三になる頃だったか、級友たちと四人でチック・コリアのバンドのコンサートを聴きに行ったことがあったのだ。(当時のチック・コリアは”Return to Forever”というバンドを結成。カモメが颯爽と飛ぶ写真をジャケットにしたレコードが大ヒットし、ジャズ・フュージョンの代表作になっていた。) 1974年といえば、キース・ジャレット、チック・コリア、そしてハービー・ハンコックの三人がいずれも30歳前後。ジャズ界の気鋭の御三家として注目の的になっていた時代だった。(もちろん、この三人がその後もジャズ界をリードし続けてきたことは言うまでもない。)
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 その頃はまだオーチャード・ホールなどなくて、会場はここからすぐ近くの渋谷公会堂だった。あれからもうすぐ40年。渋谷公会堂は老朽化のために再来年にも建て替えが始まるのだという。やはり40年という歳月は、大きくて重たいものなのだろう。私個人にとっても、それはこれまでの人生の2/3以上を占めているのだから。

 ジャズに親しみながら過ごしてきた40年。高校生になりたての頃に聴き始めたのは、大人の仲間入りをしようと、少し背伸びをしていたからかもしれない。それでもなお、長年ジャズを好きでいてよかったと、今あらためて思っている。

 連休最後の夜が終わろうとしている。明日からはまた仕事だ。今週は色々と予定が詰まっているが、それらが終わった後の週末は、食卓のBGMを再びジャズにしてみよう。

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