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「美味しい」ということ [映画]


 2012年の何月現在かは知らないが、ある統計によると日本全国には計8,400軒近い数のフレンチ・レストランがあるそうである。そのうち東京には1700軒強が集まっていて、人口10万人あたり13軒との計算になるという。日本の中にある外国料理のレストランの中でも、フレンチが占める割合はきっと上位にあるのだろう。

 結婚式の披露宴に招かれると、食事は大抵がフランス料理だ。また、ビジネスでも外で公式な会食という時は、フレンチになることが多い。いずれの場合もたいそうなご馳走で、今時の目線でいうと、摂取カロリーも気になるところだ。私たちのように、たまにしかフランス料理を食べない人間はともかくとして、本場フランスでは、皆が毎日あのような食事をとっているのだろうか。それも、偉い人たちの場合は。

 1981年5月にフランス第五共和政下の第4代共和国大統領に就任したフランソワ・ミッテラン(1916~96)は、7年後の大統領選挙で政敵ジャック・シラクを下すと、政権の第二期が始まる時に、大統領専属の料理人としてダニエル・デルプシュという女性を雇ったという。それは、料理人としての華麗なる履歴とは無縁の女性だった。

 彼女はフランス南西部ペリゴール地方に生まれ育ち、主婦になるまで料理をしたこともなかった。だが、以後は祖母や母から伝えられた家庭料理に腕を磨き、やがて料理学校を兼ねた小さなレストランを開くようになる。更には米国の料理学校でフランスの家庭料理を教えて評判を上げた。素朴な日常食を作れる料理人を求めていたミッテラン大統領にそんな彼女を推薦したのは、あのフランス料理界の大御所、ジョエル・ロブションであったという。

 1988年から2年間にわたる、エリーゼ宮での彼女の活躍を描いた映画『大統領の料理人』が、今月から上映されている。我家は普段、フランス料理には殆ど縁がないのだが、エリーゼ宮の厨房が出て来ることに興味を誘われて、日曜日に家内と見に行くことにした。台風18号の接近で外は時折強い雨が降っていたが、そんな天候なら逆に人出も少なく、映画館で並ぶこともないだろう。その読みが当たって、銀座の映画館で席を取るのは楽勝だった。(以下、多少のネタバレあり。)
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 ペリゴールの田園風景の中を公用車が疾走するシーンから、この映画は始まる。その田舎で農場を営んでいたオルタンス・ラボリの前に現われた、フランス大統領官邸からの急使が、彼女をエリーゼ宮へと送り届けている最中である。

 オルタンスが初めて足を踏み入れてみると、エリーゼ宮の厨房には料理長以下30名の料理人が働き、海外からの国賓を大統領が迎える場合の饗宴は彼らの役目。オルタンスが受け持つのは、そうした公式の会食がない場合の大統領の日常食と、大統領が近しい人々を招いた時の食事だった。人数は直前まで知らされず、大統領に直接好みを聞くことも許されない。だが、メニューは事前提出。それに食材の調達にも沢山の決まりがあった・・・。

 第一、料理長が仕切る主厨房は完全な男性社会だ。そこへ、宮廷史上で初めて女料理人が「鶴の一声」でやって来た。しかも、一流レストランで名を上げた経歴もない。どこの国でも、料理人の世界というのは一種独特であるようだが、エリーゼ宮の厨房でも、彼女に対する嫉妬や冷ややかな目、そして非協力的な態度にオルタンスは早くも直面することになる。
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 旧弊を打ち破るということは、どんな世界でも大変なことなのだろう。まして舞台は伝統あるエリーゼ宮の中だ。主厨房の誇り高き料理人たちとの葛藤。官邸スタッフのいかにもフランス的な官僚ぶり。オルタンスの孤軍奮闘。そして彼女の実力を素直に認めて行く若き助手。宮廷の中の様々な人間模様がユーモアたっぷりに描かれていくのだが、それだけに留まらないところがこの映画の魅力だ。
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 ストーリーは、大統領の料理人としてのオルタンスと、その職を辞した後に選んだ、舞台も登場人物も全く異なる次の職場での彼女の姿とを交互に描きながら、まるでDNAの二重螺旋のように進行していく。宮廷内での出来事が次の職場での出来事の伏線であったり、その逆のエピソードも登場したり。そのあたりは、よく構成が考えられている。そして、そうした場面の数々を通じて私たちが共感を持つのは、どこへ行ってもベストを尽くす料理人の姿勢と、その料理を通じて「美味しい」ということを人と分かち合えることの素晴らしさなのだろう。
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 それは、食材の贅を尽くすということでも、技巧を凝らすということでもない。料理人は、相手が欲するものに想像を巡らせ、その時々の条件下で得られる最高の食材を選び、それらの持ち味を活かした「美味しい」料理に手間をかける。その料理を食べる人は、その「美味しさ」を引き出してくれた料理人の腕と、そこに込められた真心をたたえる。薀蓄はなくていい。彼らのまあるい笑顔が、料理人にとっては最高の賛辞なのだ。エリーゼ宮の厨房も、オルタンスが選んだ第二の職場でも、そして家族を前にした世界中のお母さんたちも、それは皆同じはずである。

 しかも、その「美味しさ」は人と分かち合っても決して減ることはなく、むしろ人の数だけ増えていく。それこそが、「美味しい」ということの素晴らしいところなのだ。だから、古今東西、人類は「美味しい」料理を作ることに夢中になってきた。
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 そして、人類のそのような姿を最もよく体現しているのが、この映画に登場する大統領フランソワ・ミッテランその人なのだろう。

 フランス社会党の第一書記として1981年の大統領選挙に勝利したミッテラン。法定労働時間の削減や有給休暇の拡大、死刑の廃止、民間企業の国有化など、一連の社会主義政策を実行するのだが、昔からコチコチの社会主義者だったのかというと、それが一筋縄ではいかない。

 戦前の彼は極右政党に属していた。第二次大戦中は親ドイツのヴィシー政権に参画して勲章までもらっている。だが、その後は対独レジスタンス運動に身を転じ、ロンドンにいたド・ゴールの臨時政府に参加。そして戦後のアルジェリア独立運動に対しては鎮圧派だった。そんなミッテランが左派に転じたのは60年代のことである。
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 実在の料理人ダニエル・デルプシュがミッテランに仕えた1988~89年。それは政権第二期の始まりだが、第一期の終わり頃にはジャック・シラク首相の右派内閣が成立。大統領が左派で内閣が右派の「コアビタシオン」(保革共存)という、何事も思い通りにならない状態が続いた。だが、そのシラクとの決戦をしぶとくも制してミッテランは再選を果たす。そして翌1989年はフランス革命二百周年。その革命記念日当日にパリで開かれた先進国首脳会議(いわゆるアルシュ・サミット)を主催している。女性料理人デルプシュが勤めていた頃の大統領官邸は、多忙を極めていたことだろう。

 映画の中で、オルタンスと直接話す機会の出来たミッテランが彼女に託したのは、「素朴でいいから、懐かしさや温かみのある料理」だった。子供の頃から料理の本が好きで、フランス各地の伝統的な家庭料理を彼はこよなく愛していたという。そういう意味での美食家だった。とりわけトリュフが好物だったようだ。
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 政治思想上の変節の数々と美食、そして女性関係。社会主義者にしてエピキュリアンというミッテランのこの上ない人間臭さに、私たちはどこか魅せられてしまう。(レジスタンス時代の同志だった正妻の他に、同じぐらい長い付き合いの愛人が彼にはいて、隠し子をもうけていた。そのことをマスコミに突っ込まれても、「それが、何か?」と答えて平然としていたというエピソードは、つとに有名である。)彼が「フランス最後の国父」として今も国民に親しまれている所以なのだろう。

 そんなミッテランから笑顔で「あなたの料理は、まさに私が求めていたものだ。」と言われたら、オルタンス・ラボリ、いや、実在のダニエル・デルプシュにとっては料理人冥利に尽きたに違いない。

 「飾らない家庭料理」というのに、「牛肉のパイ包み」や「サーモンのファルシ」、それにデザートがサントノーレとはお昼から何とも凄いなと圧倒されつつ、映画を見終わった後に、家内も私も頭の中をよぎるのは、やはり食べ物のことだ。

 さて、今夜は何にしようかと話しながら、雨上りの銀座を二人で歩いた。

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