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白い箱 [美術]


 私が子供の頃、東京・赤羽駅の北西にある高台に、赤羽台団地という公団住宅が建てられた。東京23区内では初の「マンモス団地」で、ズラリと並ぶ鉄筋コンクリート製の建物は5・6階建てぐらいだっただろうか。母方の親戚がそこに入居していて、小学生の頃に遊びに行ったことがあるのだが、コンクリートの四角い箱の両面に機械的に並ぶ無機質な窓や、どこまでも続く縦も横も直線的な景観は、当時の私にとっては全くの近未来だった。東京といえども、オリンピックの前後の頃はそれがまだ珍しかったのである。

 白い箱のような家を建て、窓を大きく作り、直線的なデザインの家具に囲まれて過ごす。空間の使い方としては最も合理的なそのスタイルが人類にとって当たり前になったのは、実はそれほど古いことではない。

 TVドラマのシーンからモノを語るのは安易に過ぎるかもしれないが、例えば、ジェレミー・ブレットが演じる『シャーロック・ホームズ』に出て来るロンドンの街中は、煉瓦造りの重厚な建物が続き、家の窓は縦長で小さい。街中の交通手段は馬車で、急ぎの通信は電報だ。ホームズがベイカー・ストリートの221bに事務所を構えていたのは1881~1904年とされるのだが、当時は世界随一の先進国だった英国の首都でも、街の景色はそんな風だったのだろう。
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 それが、アガサ・クリスティーの『エルキュール・ポワロ』になると、時代は二つの世界大戦に挟まれた1920~30年代となる。アメリカもヨーロッパ大陸も工業化が進み、人々が大量の工業製品に直接触れることによって、生活・文化のスタイルが急速に変わっていった時代である。

 デヴィッド・スーシェ扮する名探偵ポワロは自動車で事件の現場に向かい、秘書が電話を取り次ぐ。そしてポワロの事務所兼住居であるロンドンの「ホワイトハウス・マンション」は、曲面ガラスを多用したアール・デコ調の建物だ。ホームズの時代から半世紀も経っていないが、ずいぶんと大きな違いである。
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 そのポワロの時代の少し前、第一次世界大戦が始まった1914年に、真四角な箱型の家を建てることを初めて提唱した一人の男がいた。工業化の時代を先取りする画期的なアイデアを生み出したその男は、当時28歳の若者だった。

 1887年にスイスで時計の文字盤職人の家に生まれ、その家業を継ぐために装飾美術学校に進んだが、校長からは建築の才能を見出され、パリで鉄筋コンクリート建築を学ぶ。大学は出ておらず、建築事務所で働きながらの実学だ。1922年には従兄弟と共に建築事務所を構えるようになるのだが、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレという彼の本名よりも、その頃から使い始めたペンネームの方が遥かに有名になった。

 ル・コルビュジェ。言うまでもなく、20世紀のモダニズムを代表する建築家である。
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(Le Corbusier 1887 - 1965)

 時は流れ、1959(昭和34)年に東京・上野で国立西洋美術館が開業を迎えた。戦後、フランス政府によって差し押さえられていた、いわゆる松方コレクションの返還を受けるにあたり、それらを展示する専用の美術館を建てることが条件になった。そして、日本政府からその設計を依頼されたのが、巨匠ル・コルビュジェだったのだ。

 その国立西洋美術館で、『ル・コルビュジェと20世紀美術』という展覧会が開催されている。建築設計の傍ら、現代絵画や彫刻、版画なども多数手掛けたル・コルビュジェの作品の数々を、彼自身の設計による建物の中で鑑賞するという、なかなかユニークな企画である。よく晴れた日曜日の午後、家内と出かけることにした。
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(国立西洋美術館・本館)

 本館の常設展入口から中に入ると、普段は「19世紀ホール」として使われている場所にル・コルビュジェの彫刻作品が展示され、いきなりキュビズム的な世界に引き込まれる。そして、緩いスロープを歩いて二階に上がると、普段はこの美術館の所蔵品である14~18世紀の絵画が常設展示されているフロア全体に、ル・コルビュジェ、及び彼と交友関係のあった人々の作品の数々が展示されている。ル・コルビュジェならではの吹き抜け構造。壁の上方に配置された横長の窓、或いは吹き抜け部の天窓からの柔らかな外光の取り入れ。そして空間の中でアクセントになる細い階段・・・。改めて建物の中を眺め回してみると、確かにこれは、合理的な中にもしっかりとした個性を持った造りである。

 1914年にル・コルビュジェが提唱した箱型の住宅。「ドミノ・システム」と名付けられたそれは、「第一次世界大戦によって破壊された街で、安価な住宅を、緊急かつ大量に確保するための原理を提案したもの」なのだそうだ。
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(ドミノ・システム - Foundation le CorbusierのHPより拝借)

 「六本の柱、三枚の床板、階段、それだけを描いた図に、提案内容が尽くされている。つまり、壁がないのだ。骨組みだけを用意してやり、壁は住民自らが、周囲に散乱している瓦礫を積み上げてつくる。」
(『ル・コルビュジェを見る』 越後島研一 著、中公新書)

 柱が四隅や壁面から少し内側に立っているのがミソで、建物の重量は柱で支えられているため、外壁は煉瓦のように重厚なものでなくてもいい。好みによって凹凸を付けることも可能だ。何よりも、建物を支える必要がないから、壁面に(場合によっては建物の四隅にすら)大きな窓を置くことも可能だ。壁面に軽くて平らな建材を使うことで、すっきりとした白い箱型の家を建てることができる。後にル・コルビュジェの作品で最も有名になった「サヴォワ邸」(1931年)につながるコンセプトの原型がここにある。

 そして1925年にパリで開かれた万国博覧会では、「レスプリ・ヌーヴォー館」の設計をル・コルビュジェが担当。装飾のない“四角い箱”そのものの建物は、アール・デコ一色だった博覧会の中で極めて異色の存在であったという。
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(Pavillion l 'Esprit Nouveau 1925 - 同上)

 「いま街で普通に見かける、豆腐を切ったような形態の建物は、二十世紀以降に特有のものだ。十九世紀までの重々しい建築が、植物形態を特徴とする世紀末に大きく変わり始め、その果てに到達したのが、こうした直方体の姿なのだ。」

 「十九世紀末、建築家たちは、それまでの『閉鎖的な箱の中』という空間を拒否し始めた。まずは分厚い壁を、萌え上がる植物装飾で覆って重苦しさから逃れようとした。そうした流れが最終段階に到ったのがこの一九二〇年代だった。二十世紀にふさわしい建築や都市のあり方が、徐々に具体的に見えてきた時期だったのだ。そうした過渡期にル・コルビュジェは、絵画から都市に到る、最大幅で斬新な提案をした。それは、新たな快適さ、新たな都市像などの発想を支える基盤が、つまり新たな空間のあり方が正確に捉えられ、また表現の武器として有効に使えるまでに消化されていたからこそ可能だったのだ。」
(以上、いずれも前掲書)

 とは言え、“白い箱”だけで建物の魅力を保ち続けることは不可能で、個々の建築作品には、緻密な計算と共に様々なアートの感性が必要だ。朝はアトリエで絵を描き、午後は事務所で設計に取り組むという日々と、様々なアーティストたちとの交友を通じて、ル・コルビュジェはそのマルチな才能を如何なく発揮していったのだろう。
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(Villa Savoye 1931 - 同上)

 とりわけ、フェルナンド・レジェ(1881~1955)、パブロ・ピカソ(1881~1973)、ジョルジュ・ブラック(1882~1963)といった、彼とは同世代のキュビズムの画家たちから、ル・コルビュジェは大きな感化を受けたという。だから、例えばレジェが次第にキュビズムの手法から離れて、くっきりとした輪郭と明快な色彩を持つシンプルなフォルムの作風へと変わっていったように、ル・コルビュジェが描く物も、いつしか曲線を多用したタイプの現代絵画になっていく。

 そして、ヨーロッパに大規模な破壊をもたらした第二次世界大戦が終わり、時代の要請である大規模な共同住宅の設計に参画しつつ、ル・コルビュジェが辿り着いたのは、壁に曲面を大胆に取り入れた「ロンシャン礼拝堂」(1955年)という、白い箱のサヴォワ邸のイメージとは対極にあるものだった。
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(Chapelle Notre Dame du haut, Ronchamp 1955 - 同上)

 展覧会では、このロンシャン礼拝堂の模型が展示されていて、その内部の様子も覗いてみることができる。建物の外見は不規則で不思議な形をしているが、内部は思いのほかすっきりとしていて、窓からの採光もよく、合理的に出来ているところは、やはりル・コルビュジェなのだと思う。

 サヴォワ邸からロンシャン礼拝堂へ。展覧会の展示物を見ることだけで私はもう頭の中が一杯になってしまったが、ル・コルビュジェのこのような作風の変遷の背景を、これから私なりに時間をかけて、じっくりと理解して行きたいと思った。

 考えてみれば、我家もマンションという四角い箱の中である。そのことを普段は何ら意識せずに暮らしていて、頭の中まで四角くなってしまっているが、たまにはそれを丸くして、ライフスタイルを見直してみようか。そんなことを考えるには、秋はいい季節かもしれない。

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