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アメリカの暗部 [映画]


 1950年代の半ばに生まれた私の世代にとって、アメリカ合衆国というものを子供なりに認識するようになったのは、やはりテレビ番組を通じてのことだろう。

 記憶に残っているのは1960年代に入ってからのものだが、西部劇やらアニメなどの米国製の番組が、今から思えばゴールデンタイムにテレビ放送されていた。そして、そこから子供心にも感じ取ったのは、広い国土と強力な機械文明、そして人々の豊かな暮らし。何につけても世界で一番の国アメリカというものだった。
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 その次に私が「アメリカ」を意識したのは、1963(昭和38)年11月23日、すなわち勤労感謝の日の朝のことである。その日は通信衛星による日米間での初のテレビ伝送実験が行われたのだが、それによって日本に届けられた最初のニュースが、現地時間11月22日の12:30に起きたケネディ大統領暗殺の速報だったのだ。当時小学校一年生だった私は、世界で一番の国の大統領が銃によって殺されたという報せに世の中が大騒ぎだったことを、なぜかよく覚えている。
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 その米国が長年抱えてきた問題は、JFK暗殺事件に象徴される銃の存在だけではない。19世紀の中頃に国を二分した南北戦争を経た後も、人種差別、とりわけ黒人への差別が国の中に根強く残っていたのだ。

 例えば1890年代に南部の州では白人と黒人で乗車する鉄道車両を分離する法案を可決。これに反対する人々が裁判を起こしたが、連邦裁判所は「公共施設での黒人分離は人種差別に当たらない」との判決を出して、白人と黒人を分離することを合法化した。学校や図書館、ホテル、レストラン、公共交通機関などで、黒人は白人と同じ場所にはいられない。私は史実をあまり認識していなかったのだが、そんな枠組みが19世紀はおろか第二次大戦後もなお、米国には存在していたのだった。

 1920年代にジョージア州の黒人の家庭に生まれ、綿花の農園で奴隷のような扱いを受けていた少年セシル・ゲインズが、農園での暮らしに絶望して外の世界に飛び出す。ある出来事がきっかけでセシルは執事としての教育を受けることになるのだが、ホテルのボーイとして働くうちに評判を上げ、やがてホワイトハウスの執事へと声がかかる。

 ドワイト・D・アイゼンハワー(在任’53~’61)、ジョン・F・ケネディ(同’61~’63)、リンドン・ジョンソン(同’63~’69)、リチャード・ニクソン(同’69~’74)、ジェラルド・R・フォード(同’74~’77)、ジミー・カーター(同’77~’81)、ロナルド・レーガン(同’81~’89)。34年間で7人の大統領に忠実に仕えた黒人執事のセシル。その間に、二人の息子は、そして愛する妻グロリアは・・・。
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 ユージン・アレンという実在の人物をモデルにしたという映画『大統領の執事の涙』(原題: Lee Daniels’ the Butler)は、黒人の視点から米国の戦後史を描いた、見応えのある映画である。冷たい雨が降る3月最初の日曜日。家内と二人、都心の映画館でじっくりと鑑賞することになった。(それにしてもこの邦題は、日本語として何ともいただけない。)

 先に述べたように、映画の中でセシルのホワイトハウス勤務が始まったのは、私がこの世に生を受けたのと同じような頃だから、私が’60年代以降のテレビ番組を通じて見聞きしたアメリカは、セシルがホワイトハウスで滅私奉公していた頃のアメリカということになる。だがそれは、あくまでも白人文化としてのアメリカだったのだ。子供の頃の私が知る由もなかった本当のアメリカ、それは南部の州へ行けば人が肌の色によって座る場所を分けられる、往年の南アフリカ共和国のような社会だったことを、この映画は改めて教えてくれる。
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 執事として一切の私情を封印し、「白人向けの顔」で忠実に勤務するセシルと、そんな父親の姿に反発して公民権運動へと身を投じる長男。そして葛藤を続ける二人を目の当たりにしながら一国民として兵役を志願し、ベトナムへと赴く次男。映画は三者三様の男の生き方と家族の絆を描きながら、人種差別という建国以来の宿痾に悶え苦しんできた戦後のアメリカ合衆国そのものを描こうとしている。
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 アイゼンハワーの時代の1957年、公立学校での人種隔離を違憲とする判決が最高裁から出ていたにもかかわらず、アーカンソー州知事が公立高校への9人の黒人学生の入学を拒否。国内が騒然とする中、最後には大統領が空挺部隊を動員して黒人学生を護衛し、入学させるという事件が起きた。

 8年ぶりに民主党が政権を奪回したJFKの時代は、南部各州の人種隔離に関連した一連の法律の見直しが進められ、黒人の公民権運動に対して一定のリベラルな政策が打ち出された。そんな気運の象徴が’63年6月の、キング牧師らに率いられて人種差別・隔離の撤廃を求めた20万人の「ワシントン大行進」だろう。(この時のキング牧師の”I have a dream”という演説はつとに有名だ。)

 だが、その年の秋にJFKは凶弾に倒れる。後を受けたジョンソン政権は、いわゆる北爆を始めてベトナム戦争に本格的に関与する一方、公民権運動には理解を示し、1964年の夏に公民権法が成立。これにより、法の上での人種差別・隔離はなくなったことになったのだが、この日を以て人々の心から一切の人種差別がなくなった訳では決してなかった。その後も暗躍したKKK(白人至上主義者の結社)や、キング牧師の暗殺(1968年)などは、この映画の中でも触れられている。
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(暗殺されたキング牧師)

 レーガン政権を最後に、大統領の執事の職を辞したセシル。もう「白人向けの顔」を作る必要もなくなった彼は、心の奥底に長年しまい続けて来た本当の自分を少しずつ出していくのだが、その中で呟く一つのセリフが、実に重い。

 「アメリカという国は、他国の歴史に難癖をつけるくせに、自国の暗部には目をつぶる。」

 よくぞ言った。そしてそれは人種差別という問題に限らない。銃規制一つとっても、他国のことをあれこれ言う資格が彼の国にはあるのかと言いたくもなる。

 セシルは年老いた一人の黒人として、最愛の妻グロリアと余生を過ごす。そして2008年の暮になって、その彼に何が待っていたか、そこから先はネタバレになるから、ここまでにしておこう。

 映画を見終わって、改めて思う。人種差別という米国社会の宿痾の、何という重さと痛ましさ。それとの格闘にかくも長い年月を費やし、かくも多くの血を流さざるを得なかったことの、何という愚かしさ。 そして、そんな体たらくではあるが、政府と国民によるかくも長き悪戦苦闘の現代史に光を当てて、こんな映画を作り上げられるところもまた、他ならぬアメリカなのだろう。

 それはまた、映画を観ている私たち自身への問いかけとして跳ね返って来る。

 私たち戦後の日本人は、より良い社会の実現のために何と戦い、どんな代償を払って何を成し遂げたのだろうか。

 現代史とは私たち一人一人に直接つながっているものであることを、解りやすく教えてくれる作品。これはおススメ。






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