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禁ヲ解ク (2) [宗教]


 「お釈迦さま」として崇められるゴータマ・シッダールタ。その生年には諸説があるようだが、学校の教科書ではひとまず紀元前563年頃とされている。

 ヒマラヤ山脈の麓、現在はネパール王国の領内になるルンビニーの地に王族の子として生まれ、16歳で結婚。何一つ不自由のない生活を送っていたが、心の内に深い苦悩を抱え29歳で出家。様々な苦行を経て、35歳の時にガンジス河中流域のブッダガヤーで悟りを開く。以後、80歳で入滅するまでの45年間は、各地で穏やかに過ごしつつも説法を続ける日々であったという。

 インドに毎年やって来る雨季。その4ヶ月ほどの間を、釈尊は弟子たちと一つの場所に籠って過ごしたそうだ。新たに姿を現わした草木や小動物を踏みつぶさないためのもので、雨安吾(うあんご)或いは夏安吾(げあんご)と呼ばれた。サーヴァッティー(舎衛城)という地のジェータ園林はその代表的な場所で、「祇園精舎」の名で知られている。
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 釈尊がその祇園精舎で過ごしていた或る日のことである。

 「一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころ、ジェータ林を隈なく照らして、師(ブッダ)のもとに近づいた。近づいてから師に敬礼して傍らに立った。そうしてその神は師に詩を以て呼びかけた。

 『われらは、(破滅する人)のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか? 師にそれを聞こうとしてわれらはここに来たのですが、――。』」
(『ブッダのことば スッパニパータ』 中村 元 訳、岩波文庫)

 釈尊の前に現れたのがいったい何の神様なのか、私にはわからないが、釈尊はその神に対して、「破滅する人」のパターンを12例も挙げていく。その内の8番目と11番目は、それぞれ次の通りだ。

 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽(ふけ)り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる。――これは破滅への門である。」

 「酒肉に荒(すさ)み、財を浪費する女、またはこのような男に実権を託すならば、これは破滅への門である。」
(引用前掲書)

 なるほど、酒や女に深入りしてはいけないということか・・・と、ここだけ読めばそうとも取れるのだが、この同じ祇園精舎で別の機会に、五百人の在家信者の前で釈尊はこうも述べている。

 「次に在家の者の行うつとめを汝らに語ろう。このように実行する人は善い<教えを聞く人>(仏弟子)である。(中略)

 ① 生きるものを(みずから)殺してはならぬ。(中略) = 不殺生戒 
 ② (中略)なんでも与えられていないものを取ってはならぬ。不偸盗戒
 ③ ものごとの解った人は婬行を回避せよ。(中略)不淫戒
 ④ (中略)何びとも他人に向って偽りを言ってはならぬ。(中略)不妄語戒
 ⑤ 飲酒を行ってはならぬ。(中略)不飲酒戒
(引用前掲書)

 以上の五項目は五戒と呼ばれ、仏教の在家信者が守るべき根本的な行動指針とされている。ということは、酒に深入りするかどうかという程度問題ではなくて、飲酒という行為自体がダメなのだ。しかも、この不飲酒戒について、釈尊は更に次のように述べている。

 「この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が酒を飲むのを容認してもならぬ――。
 これは終(つい)に人を狂酔せしめるものであると知って。
 けだし諸々の愚者は酔のために悪事を行い、また他の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。
 この禍いの起るもとを回避せよ。
 それは愚人の愛好するところであるが、しかし人を狂酔せしめ迷わせるものである。」
(引用前掲書)

 いやあ、手厳しいなあ・・・。お釈迦さまはこんなにはっきりと、酒を飲んではいかんと仰っている。もはや解釈の仕方云々の話ではなく、酒を「般若湯」などと呼び換えて済むようなことではないはずだ。

 人類の文明の中に酒が登場するのは、今から4000年ほど前のことだそうである。果物や穀物が何らかの条件下で偶然に発酵し、それを飲んでみたら案外旨かったということから、その発酵条件の再現を追及したことが酒造りの始まりなのだろう。そして、先に引用した『スッパニパータ』は仏教の初期に編纂された最古の仏典の一つとされている。お釈迦さまが生きていたのは、酒の生産量はまだずっと少ない時代だったはずだが、それでも彼がここまで口を極めるぐらい、酒の害というものは既に世の中に蔓延していたということなのだろうか。
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 釈尊の入滅(紀元前483年頃)から150年以上が経過した紀元前4世紀の初めに、チャンドラグプタ王があの広いインドを史上初めて統一してマウリア朝を樹立。前3世紀の中頃のアショーカ王の時代に王国は最盛期を迎える。征服活動の過程で多くの犠牲者を出した王は仏教に深く帰依し、全土に84,000ものストゥーパ(仏塔)を建てたという。仏典の大々的な編纂も行われるのだが、前2世紀にその王朝は衰退。ちょうどその頃から西北インドにギリシア人が進出し、次いで騎馬民族のクシャーナ族が侵入してインダス河の流域に新たな王朝を築いた。

 1世紀から200年間ほど続いたこのクシャーナ朝は、2世紀半ばのカニシカ王の時代にピークを迎えるのだが、実はこのクシャーナ族のインド侵入に際しては相当な殺戮が行われたらしい。そして、彼らの王国が成立した頃から、ガンダーラとマトゥラーという二つの地域でインド史上初めて仏像が登場するのである。釈尊の入滅から凡そ500年後のことだ。

 クシャーナ族の侵入によってインド各地で毎年繰り広げられた征服と殺戮、そして略奪。そんな乱世が続き、人々が仏教に求めるものが変わっていったのが、そうした仏像誕生の背景にあったとされる。個々人の心の安寧よりも、繰り返される戦乱からの救済が人々の切実な願いなのだと。なるほど、この世に大乗仏教が登場したことには、そんな悲惨な背景があったのか。
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 そうした中で、2世紀後半のインド南部に天才的な学僧が現れた。龍樹(りゅうじゅ、ナーガールジュナ、150~250年頃)である。紀元前後に成立したとされる般若経典をもって「空(くう)」の考え方を深め、大乗仏教を伝統的な上座部仏教に対抗し得るものに体系化したという。「八宗の祖」とも言われ、彼より後の大乗仏教の各宗派は、程度の差こそあれ龍樹の影響を受けているのだそうである。

 その龍樹が残した著作の一つが、『摩訶般若波羅蜜経』の注釈書で全100巻にも及ぶという『大智度論』で、その後の中国や日本の仏教界に大きな影響を与えたという。但し、その原典は残っておらず、西域僧の鳩摩羅什(くまらじゅう、クマーラジーバ、344~413年(異説あり))の手による漢訳があるだけだそうだ。(鳩摩羅什の名前だけは学生時代の教科書にも載っていたが、こんな大仕事をしていたとは・・・。)

 その『大智度論』の中で、龍樹は先に挙げた仏教の五戒について、なぜそれらが戒めとされているのかを詳しく解説しているそうだ。まず、酒には「穀物酒」、「果実酒」、「薬草酒」の三種類があるとした上で、世間一般では「百薬の長」などとされている酒は、
 「身体に益となる点はとても少なく、害になることが大変多いのだから、飲んではならない。それは、美味い飲物だけれど中に毒が混じっているようなものだ。」
と述べているという。

 そして更に、
 「酒は三十五の失(とが)あり。」
として、数々の経典の中に記された酒の弊害を集約したダメ押しがあるそうだ。今は便利な世の中で、それもネットサーフィンで眺めることが出来る。

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 最初の10項目を見ただけで、私などは早くも打ちのめされそうだ。龍樹が生きた2世紀後半から3世紀という時代のインドで、酒がどこまでポピュラーになっていたのかは想像もつかないが、酒の弊害のトップがもう既に「散財する」となっていることが驚きである。

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 次の10項目では、13~20までが他人を尊敬しなくなることだ。酒を飲むと無礼かつ尊大になるのは、古今東西変わらないのだろう。

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 その次の10項目も、思い当たるフシが多々あるのは認めざるを得ない。特に、自分がどうなるかということよりも、他人から疎まれる、信用されなくなるという部分は、ともすると自分では気がつかないことだろう。

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 残りの5項目の中では、最後の二つが極めつけだ。う~む、ここまで言うか。

 伝統的な上座部仏教の立場からは、菩薩が衆生を救済するという大乗仏教は「ご利益仏教」に成り下がったという批判があるようだが、それでも龍樹の頃の大乗仏教は、このように明確に「不飲酒戒」を掲げている。だが、そうした大乗仏教が日本に伝わった後、この不飲酒戒はどこかへ行ってしまった。
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 そして、話は私自身の極めて小さなことに立ち戻る。今年10月末に内臓に小さな手術を受けて以来、医師の指示に従ってちょうど5週間、35日続いた私の禁酒生活。明後日からはそれが解禁になるのだが、果たしてそれを喜んでいいのやら。

 私は仏教の在家信者ではないが、お釈迦さまがあそこまで仰ることは解らぬでもない。この国では、酒が何かと人間関係の潤滑油の役目を果たしており、社会に出てからの私もそうやって過ごして来た。それはそうなのだが、いつまでもその延長線上にいていいものか。この歳になって体験した35日間の貴重な禁酒体験を、無駄にせぬように生きるべきではないのか・・・。解禁日を前にして悩みは尽きず、迷いはふっ切れず、答は到底出そうにない。

 よしあしの なにはの事は さもあらばあれ 共に尽くさむ 一杯の酒 (良寛)

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