SSブログ

春の調べ [音楽]


 3月23日(月)に東京で桜の開花が始まってから、最初に迎えた土曜日。暖気が入り込んで朝から気温がぐんぐんと上がり、都心では各所の桜が一気に見頃になった。長袖のシャツ一枚でも外を歩けるほどで、つい数日前まで通勤にコートを着ていたのが嘘のようだ。

 午前中をそれぞれのスケジュールで過ごした家内と私は、13時半過ぎに錦糸町駅から歩いてすぐの「すみだトリフォニー・ホール」の前で集合。土曜の午後のクラシック・コンサートを楽しむことにしていた。以前に長く勤めた会社の後輩にあたるH君からお誘いをいただいていたのだ。彼の今の会社が新日本フィルハーモニーの賛助会員になっていて、今日はペアで招待券を送ってくれたのである。

 今日の演目はバッハの管弦楽組曲。それも、第一番(BWV1066)から第四番(BWV1069)までの全てが演奏されるという。バッハの音楽を長年愛好してきた私にとっては願ってもない機会だ。H君が声を掛けてくれた時、私は二つ返事でご好意に甘えさせていただくことにしたのだった。

NJP.jpg

 会場に入ってみると、私たちの席は二階席の最前列の中央だった。舞台全体をど真ん中から見下ろせる最高の席である。オーケストラのメンバーが登場してそれぞれの位置に座り、コンサート・マスターに導かれて音合わせが始まると、それぞれの楽器から発せられた音が私たちの席に何とも心地よく響いてくる。これから始まる演奏が本当に楽しみだ。

 時刻は14時ちょうど。指揮者のマックス・ポンマーが左手から登場すると、場内は大きな拍手。そして一瞬の静寂と緊張の後に、華やかなトランペット、重々しいティンパニー、2本のオーボエ、そしてストリングスと通奏低音の全てが一斉に響き、管弦楽組曲第3番(BWV1068)の祝祭的な序曲が始まった。
BWV1068.jpg

 高らかに鳴る3本のトランペットが主役の朗々とした導入部分に続いて、ストリングス(第一・第二ヴァイオリンとヴィオラ)と通奏低音(チェロ、コントラバス、チェンバロ)がお互いを追いかけ合うようにして疾走を始める。CDを聴いている時とは違って、生のコンサートではその追いかけ合いの様子を実際に自分の目で見ることが出来る。何と言ってもバッハの音楽の醍醐味はフーガ。つまり、そうした音の追いかけ合いにあるのだ。

 今から28年前の秋、息子が生まれた時に、その記念として買い求めたのが、このバッハの管弦楽組曲第3番のCDだった。私と家内にとって初めての子供が生まれたことの喜びと、親になったことへの厳粛な思い。そして平和な家庭を築いていくことへの誓い。それらを一つの音楽で象徴するとしたら、その時の私にとって、このBWV1068をおいて他にはなかったのだ。

 平明で堂々とした序曲に続いて、ストリングスと通奏低音だけによる優美なエアが始まる。「G線上のアリア」として世に親しまれているものだ。人類がこの世に残した音楽の中で最も優しさに満ちた作品の一つと言えるだろう。

 第三曲のガボットは、一転して全ての楽器が鳴り響く極めておめでたい曲想だ。中学や高校などの卒業式・入学式で使われることがあったので、私はこれを聴くと条件反射のように春の風景を思い出す。もっとも、そうした刷り込みは別にしても、BWV1068を構成する5曲に共通する明るさとめでたさは、やはり春のものなのだろう。第五曲のジーグが終わるまで、大ホールの中は上質の華やかな気分に包まれていた。

 続く管弦楽組曲第2番(BWV1067)では楽器の編成が大きく変わる。
BWV1067.jpg

 トランペットとティンパニー、オーボエは姿を消して、ストリングスと通奏低音が残り、新たにフルートの奏者が舞台の最前列に登場した。そう、このロ短調のBWV1067は、管弦楽組曲というよりはフルート協奏曲のような趣がある。ラッパも太鼓もない分、第三番よりも繊細で室内楽に近い装いだ。作曲されたのは1720年頃とされるから、バッハがケーテンという小さな町で室内楽や器楽曲をもっぱら手がけていた時期である。

 実際に、このBWV1067ではフルートが大活躍だ。特に終曲の「ポロネーズ」はフルート奏者にとっては極めて過酷な内容で、その演奏を実際の目の前で見つめると、それがいかに大変なのかがよくわかるのだが、新日本フィルの主席フルート奏者・白尾彰さんの演奏は実に見事で、私たちは大いに魅せられた。演奏が終わると盛大な拍手が鳴り止まず、休憩の前にポロネーズだけアンコールが行われたほどだった。

 20分間の休憩の後は、管弦楽組曲第1番(BWV1066)。第二番の器楽編成に木管楽器のオーボエとファゴットが加わる。金管楽器と打楽器は空席のままだ。
BWV1066.jpg

 これはバッハの管弦楽組曲の中では最も知られていない作品だろう。実際に今回のコンサートでも、第7曲の演奏が終わった時に、これが終曲だったのかどうか聴衆には一瞬の迷いがあったほどだ。確かに、休憩前に演奏された第三番や第二番に比べれば、特徴があって皆の耳目を集めるような曲がこれといってない。けれども、序曲の後に続くオーボエとストリングスの追いかけ合いなどはいかにもバッハのもので、私はうっとりと聞き続けた。オーボエとファゴットがそれぞれ高音と低音でやり取りするパートなどは、見ていて実に面白いものである。

 そして演目の最後の管弦楽組曲第4番(BWV1069)になると、ティンパニーと3本のトランペットが更に加わり、舞台上の楽器はフル編成になる。
BWV1069.jpg

 なるほど、この賑やかな演目はトリに相応しいし、最初に演奏された第3番(BWV1068)に編成が近いから、自然な形でアンコールに繋げるには便利だ。案の定、アンコールでは第三番の華やかなガボットが演奏され、更には「G線上のアリア」までが演じられた。聴衆は、その穏やかで調和に満ちた弦楽器の和音がゆっくりと消えていく、その最後の瞬間まで身動き一つしない。そして、一呼吸置いて会場には最大級の拍手が鳴り響いた。素晴らしいコンサートだった。
large hall of Sumida Triphony.jpg

 家内と共にバッハの管弦楽組曲に包まれて過ごした二時間余り。バッハを聴いた後はいつもそうなのだが、色々な物が混沌と渦巻いていた頭の中が不思議と整理されたような気分になって、私は幸せである。しかも外は桜の花が一斉に咲き開いた土曜日の暖かく明るい夕方だ。寒さの季節もようやく終わり、今年もまた春がやってきた。春生まれの私には、そのことがただシンプルに嬉しい。

 私たちは都バスに乗って隅田川を渡り、高く聳えるスカイツリーを眺めながら家路へと向かった。今夜は旬の食材を楽しみつつ、いつものようにカジュアルなワインを楽しむことにしよう。

 やはり、春はいいなあ。

sakura2015.jpg






nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。