北の晩夏 - 下北半島・函館の旅 (3) [自分史]
8月29日(土)、下北半島北部・薬研温泉のホテルの部屋で目が覚めたのは、朝の5時少し前だった。
前日はこのホテルに着いてから周囲を少し散策した後、ゆっくり温泉につかり、18:30から夕食にしたのだが、これまた品数がたくさんの大変なご馳走だった。ホタテとイカだけでもそれぞれ三種類の料理が出て来て、とても全部は食べきれないほどだ。
我家では、温泉ホテルに泊まって夕食は上膳据膳の豪華料理、というような旅をしたことがなかった。そういうスタイルの旅を家内が好まなかったこともあるのだが、改めて体験してみると、昼も夜もここまでご馳走が続かなくてもいいのではないかと思うところもある。ともあれ、昨夜は用意された夕食で文字通り腹いっぱいになり、部屋に戻ってから早々に眠り込んでしまったのだった。
そんな風だったから、バイキング形式の今朝の食事も、とにかく品数を取り過ぎないよう控え目に済ませることにした。
今日の行程は朝9時のスタートだからゆっくりしている。家内は昨日から通算してもう5回も6回も温泉に入っているようだ。十分にモトは取れたことだろう。
チェックアウトを済ませて予定の時刻にロビーの外に出ると、借り上げのタクシーが待っていてくれた。今朝はこれから大畑という下北半島北岸の町に出て、そこから海沿いに西へ、下北半島の「まさかり」の先端をなぞるようにして、仏ヶ浦への観光船が出る佐井という港へ向かう。このタクシーで一時間ほど走るそうである。
幻の「大間線」
薬研温泉から沢沿いに西へ走ると、やがて地形が平になって人家が多くなり、そして海に出る。そのあたりが大畑だ。今から14年前までは、大湊線の終点の一つ手前、下北という駅からスイッチバックしてこの大畑まで鉄道が走っていた。大畑線である。
下北半島の付け根にあたる東北本線・野辺地駅から、陸奥湾沿いに北上して大湊までの鉄道(大湊線)が開通したのが大正10年。元々人口の少ない地域だが、津軽海峡を構成する下北半島は国防上の重要な地域だったのが鉄道敷設の理由だった。人よりも軍事物資の輸送に力点があったのだろう。
翌大正11年に制定された「改正鉄道敷設法」の別表において、今後国が建設すべき鉄道として、本州の部の第1号に、「青森県田名部ヨリ大畑ヲ経テ大間ニ至ル鉄道」が規定された。そして昭和に入り戦争の足音が近づくと、津軽海峡に面した大間の要塞を強化するために、予定線であったこの鉄道の建設が具体化していく。
その第一フェーズとして下北・大畑間18kmが昭和12年に着工、そして同14年に営業を開始。これが大畑線である。そして、その先の大間までの区間もかなりの程度鉄道建設が進んだのだが、戦局が悪化した昭和18年に工事が中断。戦後の国鉄の時代にも手が付けられることはなく、「大間線」とも呼ぶべき区間はそのまま未成線になってしまった。(東北地方で唯一の国鉄未成線である。)
そんな経緯で第一フェーズだけが残った大畑線。だが、国鉄時代の末期になると廃止の対象となり、昭和60年に地元の下北交通がこれを引き受けたのだが、やはり経営は厳しく、平成13年の春に廃止となってしまった。
かつては大畑線があり、その先にも「大間線」の構想があったことをタクシーの運転手さんと話していたら、その「幻の大間線」の遺構を見られる場所があるという。ちょうど通り道だからというので、連れて行ってもらうことにした。
それは、下風呂という地区にあった。下北半島の北部では最も有名な温泉地なのだが、道路の左側に階段があって、それを登っていくと、かつてのコンクリートのアーチ橋が残っていて、その一部にモニュメントとしてレールが敷かれ、足湯までが用意されている。家内がその足湯を楽しんでいる間、私はレールの彼方に広がる海を見つめながら、この最果ての地で鉄道建設が行われていた時代に思いを巡らせていた。
それにしても、辺りでは不思議なことにアジサイとヒマワリとコスモスが同時に咲いている。冷涼な気候の下北では、夏の間もアジサイの花が枯れないのだろうか。
仏ヶ浦へ
下風呂から下北半島の北端をかすめるようにして西に進み、佐井港へ。そこから10:30発の観光船に乗って、私たちは景勝地・仏ヶ浦を目指した。
佐井から船で30分。その同じ船で再び佐井に戻るので、現地での滞在時間は30分しかないのだが、ここは訪れてみる価値が十分にある場所だ。
緑色凝灰岩が長い年月をかけて海蝕を受けた、それによって形成された奇岩の数々と白砂の浜辺。そして澄んだ海。出来ることならばいつまでも眺めていたい風景である。
「すごいなー、この眺め!」
遠足に来た子供のように無邪気な家内の笑顔が、私には嬉しい。
今日も前日と同じような曇り空だが、この仏ヶ浦に向かった頃から頭の上には部分的に青空がのぞくようになってきて、浜も岩も眩しく輝き始めた。夏の海でカンカン照りはかなわないから、これぐらいの薄日の方がありがたい。
本州の最北端・大間崎
仏ヶ浦の景色を堪能して佐井に戻った後は、再び借り上げタクシーに乗って、今度は大間崎へ。下北半島の「まさかり」の突端。言うまでもなく「大間のマグロ」で有名な場所だ。
途中、左側の海の向こうにJ Powerが建設中の大間原発を遠望できる場所があった。何とも大がかりな設備で、文字通りの大工事のようだ。
下北半島の突端のような場所になぜ原発を?と思ってしまうが、近くには北海道と本州を結ぶ海底直流ケーブル(両者間で電力を融通し合うための設備)が2系統あるなど、やはり立地条件を考えてのことであるようだ。東日本大震災の後は工事が止まったので、タクシーの仕事も少なくなったと、運転手さんがこぼしていた。
ちょうど12時半に大間崎に到着。ここは半島の突端なのだから、とにかく目の前には海しかない所だ。
ここで昼食は自由行動なのだが、運転手さんが気を利かせて場所だけは取っておいてくれた。たいそう賑わっているお店で、皆のお目当てはやはりマグロである。昨日からご馳走が続いている私たちはボリュームが一番軽そうな定食を頼んだのだが、確かにマグロの切り身は大変立派かつ美味であった。
(右下は「マグロの唐揚げ」。これもなかなか美味)
食事を終えて13:30に「マグロのモニュメント」の前に集まると、大間観光を担当している元気のいい地元の女性が大漁旗を手に待っていて、短い時間ながらも大間についての話を聞かせてくれた。
曇り空の今日はあまり遠望が聞かず、残念ながら津軽海峡の対岸は見えないのだが、沖合に浮かぶ弁天島を境にして、右手の太平洋側は波が荒く、左手の津軽海峡の中は波がいたって静かだ。そのコントラストが実に面白い。
(弁天島の右は太平洋)
(左は津軽海峡)
そんな風にひとしきり海を眺めた後は、再びタクシーに乗車。来た道を少し戻る形で大間港に向かう。半日お世話になった気さくな運転手さんとお別れをして、私たちは14:10発のフェリーに乗船。それに1時間半ほど揺られていけば、函館の街が待っている。
(To be continued)
2015-09-02 23:46
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