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続・海が見える山道 - 熱海・玄岳 [山歩き]


 成人の日の三連休の中日。湘南地方は朝から風のない穏やかな晴れの日である。

 時刻は9時少し前。熱海行き電車が小田原を出ると直ぐに、左の窓一杯に明るい海が広がった。右手は山とミカン畑。左手の海との間のいくらもない平地をなぞるようにして電車は進み、幾つかのトンネルを越えて行く。小田原から二つ目の根府川駅は、進行右手の席に座っていると、下り線のホームの向こうには海しか見えない。そして、そんな構図がなぜかとても懐かしい。

 この区間を走る電車から見える海の眺めにノスタルジーを感じるのは、子供の頃の夏休みの思い出か。或いはまた、芥川龍之介の短編『トロッコ』を読んだ遠い記憶によるものか。

 「小田原熱海間に、軽便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平の八つの年だった。良平は毎日村外れへ、その工事を見物に行った。工事を――といったところが、唯トロッコで土を運搬する――それが面白さに見に行ったのである。」

 こんな書き出しで始まる『トロッコ』のモデルは、東海道本線の熱海ルートが大正時代に建設される前にこの区間を細々とつないでいた豆相人車鉄道だ。4・5人の乗客を乗せた車両を人が押して進むという、世界にも他に例のない鉄道が小田原・熱海間を結んだのは1896(明治29)年。この区間に3時間半ほどを要したが、それでも人力車や駕篭よりは速かったという。
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(豆相人車鉄道 - 神奈川県のHPより拝借)

 「軽便鉄道敷設の工事が始まった」というのは、この人車鉄道が蒸気機関車による軽便鉄道に転換したことを指しているのだろう。社名も1905(明治37)年に熱海鉄道になり、軌間610mmの線路が762mmに改軌されて、1907(明治39)年に軽便鉄道として再スタート。その間の工事の様子を主人公の良平は飽かず眺めていたことになる。

 やがて、1922(大正11)年に官設鉄道が小田原から根府川まで延伸すると、この軽便鉄道は並行する部分を廃止。そして翌年の関東大震災によって残る営業区間が壊滅的な打撃を受けたため、遂に廃業してしまったという。官設鉄道は1925(大正14)年に熱海まで更に延伸。それからの大工事によって1934(昭和9)年に丹那トンネルが開通すると、そのルートが東海道本線となり、鉄道交通の大動脈となったのは言うまでもない。

 午前9時15分、終点の熱海駅に到着。向かいのホームには伊東線経由でここまで乗り入れている伊豆急行線の電車が停まっていた。東急のお古の8000系がこれまた懐かしい。
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 初めから「鉄分」が濃くなってしまったが、ともかくも8人の山仲間が熱海駅に集合。すぐに接続する路線バスに20分ほど揺られて、今日の登山口となる「玄岳(くろだけ)ハイクコース入口」バス停に着いた。ハイクコースの入口といっても、山の東斜面に続く住宅地の中である。
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 昨年の12月6日、私たちは「沼津アルプス」を縦走。山の上から海を眺めて歩くことの楽しさを満喫することが出来た。それで味を占めたという訳ではないが、新年最初の日帰り山行も、山の上から海を眺め、初富士も眺めて、下山後には風呂に入り、その後は旨い魚で新年会という欲張りな計画にしてみたかった。そこで選んでみたのが、熱海から登る玄岳(799m)である。上りが2時間、下りが1時間という軽めのコースながら、伊豆半島の背骨まで上がるので眺めも良さそうだ。

09:50 玄岳ハイクコースBS → 10:05 登山道入口 → 10:35 熱海新道出合 → 11:05 氷ヶ池への分岐 → 11:15 玄岳

 事前に調べてみると、今日のコースは約11度の傾斜がほぼ一定して続く道のようだったが、実際に歩き始めてみると本当にその通りで、抑揚なく同じペースで登り続けていく道だ。この冬は異様に暖かく、今朝も早春のような陽気だから、まだ住宅地を抜け切っていないのに、早くも汗が出て来た。気がつけば辺りではもう梅が咲き始めている。
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 ちょうど15分で舗装道路が終わり、漸く山道へ。しかしその先も本当に一定の登りが続く。竹林を過ぎ、植林の中の登りが終わると、そこからは明るい雑木林になった。
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 トップを行くH氏がいいペースでリードしてくれ、歩き始めから45分で熱海新道をオーバーパス。計画より15分ほど早い。ここで一度、伊豆半島の背骨にあたる主稜線が行く手の彼方に見えていた。
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 すぐに展望はなくなり、再び雑木林の中の単調な登りが続く。山道が北を向いた時に、右手の木々の枝の向こうに海が広がっているのだが、一望できるような箇所はなく、黙々と登るしかない。

 先ほどの熱海新道のオーバーパスからちょうど30分後、やっと海の眺めの広がる場所に出た。熱海の街の向こうに真鶴半島が広がり、気温が高いためか少し霞んではいるが、その奥には大磯あたりまでの海岸線が見えている。
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 ここから先は背の高い木が急速に姿を消し、代わりに笹が足元に広がりだした。氷ヶ池への山道との分岐が直ぐに現れ、一面の笹に覆われた広い稜線に出ると、いきなり富士山が姿を見せる。左手には玄岳への最後の登りが待っていて、山頂までは10分足らずだ。私たちのテンションは一気に上がった。
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 それにしても広い眺めだ。北には箱根の神山が大きな姿を見せ、その左には金時山をはじめとする箱根の外輪山。少し離れて左に富士の高嶺があり、更に左には駿河湾がゆるやかに弧を描いている。
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 11時15分、玄岳山頂に到着。私たちは風を避けられる場所を選び、スープを温めながら山頂からの展望を満喫することになった。
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 それにしても、空には何と数多くのパラグライダーが浮かんでいることだろう。葛飾北斎がもし生きていたら、これを題材に現代版の富嶽三十六景を一枚加えていたに違いない。
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 そして、駿河湾の方に目をやると、沼津アルプスが堂々としていて実に立派だ。昨年の12月6日、これを縦走した私たちが強烈なアップダウンにバテバテになったのも無理はない。
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12:00 玄岳 → (往路と同じコース) → 13:03 玄岳ハイクコース入口BS

 広々とした眺めを楽しみながら軽い昼食を済ませた私たちは、正午に下山を開始。箱根へと続く笹の尾根を正面に見ながら玄岳を下り、登って来た道を戻る。伊豆半島の背骨の右に見下ろす明るい海。とても1月10日という厳冬期とは思えない何とものどかな、春のような眺めだ。
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 芥川の短編に登場する良平少年は、仲間と共にトロッコを坂の上まで押し上げ、次の下り坂を今度は重力を利用して一気に下る、その爽快感が忘れられず、ある日の午後、鉄道敷設工事の人夫たちを手伝ってトロッコを押し、随分と遠くまでやって来ることになった。季節は二月の中頃という設定である。

 「竹薮のある所へ来ると、トロッコは静かに走るのを止めた。三人は又前のように、重いトロッコを押し始めた。竹藪は何時か雑木林になった。爪先上りの所所には、赤錆びた線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。」

 時刻はもう少し夕方に近かったのだろうが、この時に良平が見た「広広と薄ら寒い海」というのが今の季節本来の姿なのだろう。海が見えた場所は真鶴から根府川に向かう途中のどこかのようだが、この短編のハイライトである。

 日暮れが近くなり、二人の人夫から「われはもう帰んな。おれたちは今日は向こう泊まりだから。」と言われた良平は、やって来た線路の上を一目散に駆け出した。薄暗がりの中を走りに走り、家の門口に辿り着いた途端、良平は火がついたように泣き出してしまう。『トロッコ』は、そんなストーリーだった。

 今日の山道は終始一定の斜度だから下りも楽だ。良平少年のような寂寞感に囚われる必要もなく、50分ほどで山道が終わった。後は住宅地の中をいく舗装道路を少し下るだけだ。山が迫り、遠くに海が見えて、辺りには柑橘の木。いかにも湘南らしい風景の中を歩くのは楽しい。
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 いいペースで玄岳を往復して来たおかげで、予定よりも30分早いバスに乗れたため、私たちは13時半前に熱海駅に到着。伊豆山の日帰り温泉でゆっくり汗を流すことが出来た。山歩きそのものは3時間足らずだが、充実した半日だった。山道から海を眺めるというのは、やはりいいものだ。

 「良平は二十六の年、妻子と一しょに東京へ出て来た。今では或雑誌社の二階に、校正の朱筆を握っている。が、彼はどうかすると、全然何の理由もないのに、その時の彼を思い出す事がある。全然何の理由もないのに?――塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。」

 芥川龍之介の『トロッコ』の結びはこうだったことを、私は長らく忘れていた。何やら意味深な終わり方だ。確か中学一年の国語の教科書に載っていたはずだが、当時の私たちはこの結びから何を感じ取っていたのだろう。十三歳やそこらでは、人生のほろ苦さ、ほの暗さのようなものは、まだろくに解らなかったはずなのだが。

 それから月日は巡り、今日一緒に山を歩いた8人のメンバーは、全員が今年還暦を迎えることになる。その年の最初の山歩きで、私たちは山の上から明るい海の眺めを楽しむことができた。『トロッコ』の良平少年には申し訳ないが、この先に「塵労に疲れ」ることがあったとしても、今日の思い出はそこから再び立ち上がるための活力として、大切にしたいと思う。

 汗を流した後に温泉から眺めた伊豆の海は、午後も穏やかだった。

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