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身の回りの早春賦 [季節]


 2月最後の日曜日は、朝からきれいな青空が広がっていた。

 東京都心部の日の出の時刻は6時13分。明るくなるのが早くなったものだ。ベランダに出て深呼吸。実に気持ちの良い朝である。家内も含めて花粉症持ちの人たちはこれからが辛いシーズンになるようだが、鈍感力だけが取り柄の私は、いまだにそのアレルギーがない。元々が春生まれということもあってか、日々春に向かっていくこれからの季節は、一年の中でも一番好きなのだ。

 ベランダに並べた鉢植えに水遣りをしていると、ブドウの木に小さな春が始まっていることに気がついた。新芽はまだ硬い時期なのに、その一つから今年初めての若葉が姿を現し始めていたのである。
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 4~5年前に会社の同僚から枝を分けてもらったこのブドウ。品種は一応ピノ・ノワールで、実を結ぶのはごく僅かだが、葉はよく茂る。その緑が夏の間は涼しげで、秋の終わり頃には鮮やかな紅葉を見せてくれるのが楽しみだ。昨年の暮以来、木はまだ眠り続けていると思っていたのだが、中には気の早い芽もあるようだ。その仲間が、これから二つ三つと増えていくのだろう。

 朝食を済ませ、家内と二人で近所のスーパーへ週一回の買出しに。そして戻って来ると、10時からマンションの理事会。議題が結構あったので時間がかかり、閉会した時には午後の1時半を回っていた。それでも、外は晴天が続いている。前日よりは少し風があるが、日向は本当に暖かい。せっかくの日曜日。陽の高いうちに外を歩いて、東京都心の早春を楽しむことにしよう。

 近くのバス停から都バスに乗ると、道路も空いているので10分少々で上野広小路に着いた。そして、上野公園の方向へと歩いていくと、入口の大寒桜が満開で、多くの外国人たちが歓声を上げていた。
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 時刻は午後の2時半近く。一日の中で気温が最も高い時間帯だ。浴衣姿の西郷さんの銅像も、今日の陽気なら寒そうには見えない。そういえば今日は東京マラソンの開催日だから。ランナーたちも大汗をかいていることだろう。
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 上野公園にやって来たのには、訳があった。書道を続けてきた中学時代の友人が、上野の森美術館で開催されている「日本書研展」という展覧会に作品を出展していたのである。日本書道研究会の漢字部とかな部で師範以上の人々の作品だけを展示するもので、毎年開催されて今年で51回目だそうである。

 私の友人は、昨年秋の同会の「書心展」で最高賞の東京都知事賞の栄誉を受けたほどの腕前。それに対して私には書道の素養など全くないから、会場に入っても何となく気後れしてしまうのだが、こんな機会でもない限り書を眺めることもないから、余計なことは考えずに、ともかくも書と向き合うことにしよう。

 彼女の作品は、盛唐期の詩人・孟浩然(689~740年)の有名な「春暁」であった。

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 春眠不覚暁   春眠暁を覚えず
 處處聞啼鳥   處處(しょしょ)啼鳥(ていちょう)を聞く
 夜来風雨聲   夜来 風雨の聲(こえ)
 花落知多少   花落つること多少なるを知らんや

 この漢詩は最初の五文字があまりにも有名だが、その続きをちゃんと読むことは意外とないものだ。2月末という今の季節よりももう少し後の、本当に春の盛りの頃をうたったものなのだろうが、私たち日本人は季節を先取りすることが大好きだから、今の季節にこの漢詩を読んで春を待つというのも、なかなか素敵である。それにしても、こんな風に自在に筆を操れたらいいだろうなあ。

 孟浩然という人は、李白(701~762年)、王維(699~759年、または701~761年)と同時期の詩人で、彼らとは実際に交遊関係があったそうだ。そういえば、李白の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(い)くを送る)という詩は、高校時代の漢文の教科書にも載っていた。

 故人西辞黄鶴楼   故人西のかた黄鶴楼を辞し
 烟花三月下揚州   烟花三月揚州に下る
 孤帆遠影碧空尽   孤帆の遠影碧空に尽き
 唯見長江天際流   唯見る長江の天際に流るを

 これなどは旧暦の三月だから、本当に春も真っ盛りの頃の長江の景色なのだろう。李白より一回り年上の孟浩然が、湖北省の武漢にほど近い黄鶴楼から長江を下って遥か東方の揚州へと旅立っていく、その姿を楼閣の上から眺めている様子が目に浮かぶ。日本では物事の区切りが三月末になることが多いから、三月というのは別れの季節でもある。李白のこの詩に私たちが独特の感情移入をするのも、そんなことが背景にあるのかもしれない。(因みに、漢文の授業で「故人」とは「旧友」の意味であることを最初に教わるのが、大抵はこの詩である。)

 短い時間ではあったが、書の鑑賞を楽しませていただいた後、私は電車で飯田橋に向かい、神楽坂を経由して家までの散歩を続けることにした。春の兆しをもう少しの間楽しみたかったのだ。

 散歩の途中、地下鉄の検車区の近くの斜面では、吹く風に沈丁花が微かに香っていた。
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 昼間よりも少し風が出て来たようで、夕方を迎えて気温も下がり始めた。この後、夜中には一度雨になるようだ。

 春は名のみの 風の寒さや
 谷の鶯 歌は思えど
 時にあらずと 声も立てず
 時にあらずと 声も立てず

 昔の唱歌「早春賦」の歌詞を、私は思い出していた。大正二年に発表されたというこの歌は信州・大町の風景がモデルなのだそうだが、その歌詞は素晴らしい日本語である。

 氷解け去り 葦は角ぐむ
 さては時ぞと 思うあやにく
 今日も昨日も 雪の空
 今日も昨日も 雪の空

 そう、この時期は、春がやって来たかのような暖かい日があっても、また直ぐに元の通りの寒さに戻る。その繰り返しなのだが、これは辛抱強くやり過ごすしかない。

 そして、「早春賦」が素晴らしいのは三番の歌詞だ。

 春と聞かねば 知らでありしを
 聞けば急(せ)かるる 胸の思いを
 いかにせよとの この頃か
 いかにせよとの この頃か

 暦は春だと聞いていなければ、知らないでいたのに、
 春と聞いたからこそ待ち焦がれてしまう、胸の中の春への思いを、
 いったいどう晴らせというほどに、この頃の季節のじれったいことだろうか

 この歌が生まれてから既に一世紀。現代の私たちも当時の人々と同じ思いで、陽の長くなった空を見つめている。

 散歩を終えて我家に戻ると、山形産の「うるい」が夕方の食卓に上る。その瑞々しい緑が、何とも嬉しかった。

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