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会津・上越 各駅停車 (1) [鉄道]


Prelude (1227M 11:40 郡山 → 12:59 会津若松)

 郡山で新幹線を降り、連絡口を通って在来線のホームに降りると、磐越西線の会津若松行き電車が既に入線していた。会津地方の郷土玩具「赤べこ」から生まれたマスコット・キャラクターが車体に描かれた「赤べぇ塗色」の719系交流電車。一時間に一本のダイヤながら、平日の昼間に6両編成とは立派である。
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 9月30日(金)の11時40分、今週初めて見る青い空の下、電車はゆっくりと郡山のホームを離れ、新幹線の高架を右に見送って会津盆地へと向かう鉄路を走り始めた。乗客の人数はというと、3両連結の電車でも十分な程度と言えばいいだろうか。今日は私の会社が所属する業界団体の活動の関係で、会津若松へ出張する用事が出来た。そんなことでもなければ、平日の昼間にこんなにのんびりした普通列車に乗ることもなかなかないものだ。右の車窓には安達太良山(1718m)がよく見えている。
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(磐越西線・喜久田駅付近からの安達太良山の眺めを再現)

 よく考えてみれば、磐越西線に乗るのは生涯で二度目のことになる、初回は大学に入った年の夏に旧友のT君と飯豊連峰へと登山に出かけた時だったから、今から39年も前のことだ。当時は上野から455系電車の夜行の急行「ばんだい」に乗って朝の5時半頃に会津若松に着き、そこでディーゼル列車に乗り換えて喜多方の一つ先の山都まで行き、更に路線バスに揺られて飯豊連峰の南側の登山口へと辿り着いた。そういう時間帯だったから、天気は悪くなかったはずなのに磐越西線の沿線風景は全く覚えていない。

 この時の飯豊連峰が私にとっては初めての東北の山だったのだが、山の深さと雄大さ、そして標高2,000mに満たない山の尾根がハイマツに覆われていることに驚いたものだった。(信州の北アルプスだったら森林限界は標高2,500m程度なのだから。) いい山だった、という思い出が今も残っている。

 この路線は郡山・喜多方間が1967(昭和42)年に交流電化している。その時からほぼ半世紀が経過しているのに、沿線の駅の様子は何だかつい最近まで非電化だったかのような雰囲気だ。それは昔の時代の低いホームが残されているからだろうか。何せ郡山を起点に1898(明治31)年から部分開業していった岩越鉄道という私鉄がオリジンになる、歴史のある路線なのだ。
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(磐越西線 郡山・会津若松間)

 山越えの区間の途中にあり昔はスイッチバックの駅だった中山宿を出て、分水嶺の山を中山トンネルで越えて上戸(じょうこ)駅に着くと、かつての貨物ホームが赤錆びた線路と共に残されていた。
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 その上戸駅を過ぎると鉄路は猪苗代湖に近づき、川桁駅を過ぎるといよいよ右の車窓に磐梯山(1819m)が大きな姿を現した。爽やかな秋空とまさに収穫期を迎えた田んぼの黄色が鮮やかなコントラストを見せている。それにしても、今日は久しぶりに良い天気だ。背広なんか着ているのが勿体ない。
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 翁島駅を過ぎると、磐越西線は勾配緩和のための大きなループを繰り返すようになる。磐梯山の裾野を会津盆地に向けて下っていくのだが、当然のことながら逆方向の列車にとっては上り勾配の連続である。

 2011年3月11日の東日本大震災の直後、磐越西線は一躍注目を集めることになった。震災で東北地方太平洋側の鉄道や道路が寸断されて被災地が燃料不足に陥ったため、郡山の石油ターミナルに石油を運ぶべく、震災発生から二週間後の3月25日を初回とする臨時の石油輸送列車が仕立てられ、この路線を通ったのである。そのルートは、横浜の根岸駅から出発して高崎線、上越線、信越本線を経由して新津から磐越西線に入るというものだった。貨物列車が通らなくなって久しい磐越西線の急勾配を、DD51型ディーゼル機関車が重連で10両のタンク貨車を牽き、最後部からDE10型機関車が押し上げる姿は、大震災の最中の東北地方にあって、希望の光のように眩しかったのだ。
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 列車が会津盆地の入口にさしかかった頃、右の車窓の遠くには平坦な山容ながら頂上付近の一部にうっすらと雪が積もった山の姿が現れた。これが飯豊山(2105m)だ。北アルプスの初冠雪の話はまだ聞こえて来ないのに、やはり東北の秋は早いな。
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(磐越西線・広田駅付近からの展望を再現。左が大日岳、右が飯豊山)

 鉄路はなおも左カーブで会津盆地へと入り込む。あたり一面が黄金色に輝く秋の実りの風景の彼方には、会津と越後を隔てる山々が続いている。
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 今日はこの後、会津若松で工場見学などを含めた業界団体の用事が夕方まであり、夜は宴会だ。一泊して明日の土曜日は東京に帰るだけなのだが、行きと同じルートで郡山から新幹線に乗るのもつまらない。こんな機会も滅多にないからと私は一計を案じていた。せっかく会津に来たからには、只見線に乗ってみようという計画である。秋の紅葉の美しさで知られる只見線は、会津盆地の北西から只見川の渓谷を遡り、田子倉ダムの北辺を長いトンネルで越えて上越線の小出まで、深い山のなかを細々と走る典型的なローカル線だ。
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(JR只見線)

 その只見線は、東北の大震災の年の7月に発生した「新潟・福島豪雨」で甚大な被害を受け、途中の区間が寸断されてしまった。現在は会津若松・会津川口間が一日6往復、そして只見・小出間が3往復しか走っておらず、両者の間の不通区間である会津川口・只見間を上り7便・下り6便の代行バスが結んでいる。ダイヤが何とも限られているのだが、会津若松を朝6時ちょうどに出る列車に乗ると比較的乗り継ぎ時間が短く、10:43には小出に辿り着くことが出来るのだ。これは行かない手はない。明日は早起きをして、只見線の全ルートを是非とも走破してみよう。
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(只見線 下りの時刻表)

 11時06分、定刻から7分遅れで列車は会津若松駅に到着。出口には今日の会合に出席するメンバーが三々五々集まっている。ともかくも、これから始まる仕事の日程を無事にこなすことにしよう。

(To be continued)

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