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会津・上越 各駅停車 (4) [鉄道]


 2016年10月1日(土)、出張の帰りの日。会津若松を朝6時に出て足掛け4時間43分の「只見線の旅」を楽しんだ私は、上越線・小出駅のベンチに座り、上りの普通列車を待っていた。未明から続いていた小雨が上がったばかりで、遠くの高い山々にまだ雲がかかっている。上越線のこの区間は1時間に1本のダイヤ。駅構内はいたって閑散としている。

1732M (11:10 小出 → 12:43 水上)

 11時9分、長岡発・水上行きの普通列車が定刻に到着。二両連結の電車の座席は7割ほどが埋まっている。数えるほどの乗降客が入れ替わり、11時10分に発車。非電化の只見線を走ってきたキハ48に比べれば、VVVFインバータ制御のE129系電車の走りはさすがに軽快だ。

 小出を出発して二つ目の駅が浦佐。東京へ早く帰るならここで(或いは越後湯沢で)上越新幹線に乗り換えればいいのだが、私はそのまま普通列車に乗り続ける。それには理由があった。(そもそも会津若松から東京に早く帰りたいのであれば、只見線経由などにはしないものだ。)

 「長岡発・水上行きの普通列車」とサラッと書いたが、それは上越国境の山々を清水トンネルで越えて行く列車である。そして、上越新幹線が間もなく開業33周年を迎える中、戦前に建設された清水トンネル(下り線は昭和42年開通の新清水トンネル)を走る在来線の定期列車は、今や1日5往復しか設定されていない。その「希少」というべき列車に27分の接続で小出駅から乗れたのだ。今日は土曜日。急いで東京に帰るニーズも特にないならば、この電車を途中で降りてしまう手はない。私自身にとっても、在来線で上越国境を越えるのは33年ぶりのことになる。
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 その浦佐駅では、雨上がりの雲が八海山や越後駒ヶ岳をまだ隠している。よく晴れていれば、進行左手の窓の外にその姿が大きく見えていた筈だ。
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(浦佐駅付近からの眺め。左が越後駒ヶ岳、右が八海山)

 東西に迫る山々の間に形成された平地を辿りながら、列車は魚野川を遡るようにして走る。その平地の幅は一駅ごとに狭くなり、一段と山が迫るようになった所が越後湯沢だ。列車はここで9分間の停車。かなりの乗客が降り、これから始まる山越えの区間を乗り続ける人々は1両あたり20人程度になった。
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(越後湯沢駅に到着したE129系)

 私が中学・高校を過ごした1970年代に、上越線には「新潟色」という塗装を施された電車が走っていたものだった。朱色と山吹色のツートンカラーに塗られた旧型国電で、車体も塗装も首都圏では見かけない物珍しい存在だったのだが、現在のE129系電車に施された二色のラインが、その伝統をさりげなく引き継いでいる。
http://rail.hobidas.com/kokutetsu2/archives/2011/10/70.html

 ホームの南端に立つと、いよいよこれから越えていく上越国境方面の山々が行く手に続いている。もっとも今見えているのは、本当の上越国境(谷川岳や茂倉岳など)から見てまだ前衛の山々に過ぎないのだが。
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 越後湯沢を出た普通列車が関越自動車道を潜るあたりが岩原スキー場前駅。その直ぐ先に、線路がかなり急な右カーブで綺麗な半円を描いて行く場所がある。
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 一見すると、田んぼの中をわざわざ遠回りしているようなのだが、地図ソフトで調べてみると、この半円形の始めと終わりの標高は後者が30mほど高い。それを直径約800mの半円形で上るのだから、計算してみると23‰ほどの急勾配である。この区間の開業は清水トンネルと同じ昭和6年だが、上越国境に向かって標高を上げて行くためにはこうしたループが必要だったのだ。

 越後中里を過ぎて再び関越自動車道の下を潜ると、下り線の線路が右手に分かれて行く。下り線は戦後に作られたルートで、私が乗っている上り線が昭和6年開業時のルートだ。それは右回りのループ・トンネルで標高を稼ぐ「松川ループ」と呼ばれるもので、列車に乗っていてもそれがループ・トンネルであるかどうかは実感しにくいのだが、地図を調べてみると、二つのトンネルの入口と出口では70m強の標高差がある。
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(松川ループ)

 その松川ループを過ぎて土樽駅に到着。新潟県最南端の駅で、その先にはいよいよ国境の清水トンネルが待っている。

 12:10 土樽駅を発車。速度を上げて列車は清水トンネルに進入。それまでの急カーブの箇所とは違って、真っ直ぐに掘られたトンネルの中を列車はぐんぐんと加速して走っていく。1922(大正11)年に着工し、9年の歳月をかけて1931(昭和6)年に開通した全長9,702mの清水トンネル。前後の土樽駅も土合(どあい)駅もトンネルの入口の直ぐ近く。列車はちょうど10分間でこの区間を走り抜けた。
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(清水トンネルの断面図)

 12:30 群馬県側の土合駅に到着。ここは上り線だけが地上ホームで、下り線のホームは戦後に建設された新清水トンネルの中の地下ホームになっている。谷川岳を目指す登山者たちが、この地下ホームから500段近い階段を上る姿がかつては有名だったのだが、土合駅を通る列車の数が激減した今は、この駅を利用する登山者も少ないようだ。
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(土合駅上り線ホーム)

 私も高校時代に冬の谷川岳へ行った時、夜行列車を降りて延々とこの階段を上った経験があるのだが、その時以来の土合駅。今日の上り線ホームでは一日5本の希少な列車を目当てに、鉄ちゃん達がカメラを構えていた。
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(谷川岳の東の麓にある土合駅)

 土合駅を過ぎて、まだもう一つ見どころが残っている。次の湯檜曽(ゆびそ)駅へと降りて行く際に通る「湯檜曽ループ」だ。土合駅を出て直ぐにトンネルがあり、その次のトンネルを出ると、進行右下に湯檜曽川の深い谷がかなり低い位置に見える。そのまま注目しよう。しばらくするとその谷底に、私たちが乗っている電車とは直角方向に谷を渡る線路が見える。実はそれがこの先の私たちのルートで、谷を渡ったところが湯檜曽駅なのだ。
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(土合から湯檜曽へ)

 列車はほどなく第二湯檜曽トンネルに入り、一度外に出た後、直ぐに第一湯檜曽トンネルに進入。この区間が一体となってループ線を形成し、先ほど見たように、このループ線に入る前の場所の真下に、それまでの進行方向とは直角に出るのである。ループの前後の標高差は凡そ46m。そうやって到着した湯檜曽駅のホームから線路の方向を見上げると、先ほど通って来たループ線の直前の地上部分が見えるのではないだろうか。(そんな暇もなく列車は直ぐに出発してしまうのだが。) なお、下り線の湯檜曽駅は、土合駅と同様に新清水トンネルの中に設けられた地下ホームになっているため、こうしたループ線を楽しむことは出来ない。
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(湯檜曽ループ)

 「国境のトンネルを越えると雪国であった。」という小説の書き出しとは逆方向に上越国境を越えて来た今日の乗り鉄。山の向こうとこちらで劇的に天候が変わることもなく、群馬県側も曇り空で高い山は雲に隠れている。そして、定刻の12:43に終点の水上に到着。反対側のホームには15分で接続する高崎行きの電車が待っていた。
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(水上駅)

740M (12:58 水上 → 14:01 高崎)
4835Y (14:14 高崎 → 15:53 池袋)

 水上から先は、山の中から関東平野へと降りて行くルートである。晴れていれば車窓から武尊山、赤城山、榛名山などの山々の姿を楽しめたのかもしれないが、今日は曇り空で、渋川の近くの子持山(1296m)の一角が辛うじて見えた程度だ。今日の乗り鉄のハイライト部分が終わってしまったことや、朝6時から列車を乗り継いで7時間を超えたことから、高崎行きの電車の中で、私は少しウトウトしてしまった。座席に座り続けてさすがにお尻も痛い。高崎で湘南新宿ラインの特別快速に乗り換えた時には、グリーン車に席を取ることにした。
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 会津若松から只見線・上越線を経由して池袋まで、6本の普通列車(含:只見線の代行バス)を乗り継ぎ、9時間と53分をかけた今日の乗り鉄の旅。いや、正確にいえば前日も郡山から会津若松までは磐越西線の普通列車に乗って来た。我ながら、「各駅停車」と名付けたこのブログの本領発揮といったところだろうか。

 子供の頃から列車の車窓を眺めるのが好きだった私の人生。還暦を過ぎた今も、「三つ子の魂」はなかなか抜けそうにない。

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