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パストラーレ [季節]

 
 11月13日、日曜日。東京の都心は穏やかな晴天の朝を迎えた。

 前日から移動性高気圧がぽっかりと私たちの上空を覆い、天気図はいわゆる小春日和のパターンなのだが、昨日は「小春」を少し通り越したような暖かさで、最高気温が18度に達していた。今日もそれと同じぐらいの過ごしやすい一日になることだろう。週末の穏やかな好天。何ともありがたいことである。
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 ベランダに出ると、鉢植えの草花たちが朝の光を浴びている。金曜日の朝は冷たい雨に濡れていたが、昨日の晴天でプランターボックスの土の表面も乾いている。いつも通りに水やりをしよう。

 小さなブドウの木に二房だけ残した実が、今朝は一段と濃い紫色を見せている。会社の同僚に分けてもらった、小さいながらもピノ・ノワール種の木で、ブルゴーニュ地方で育てられていたら、その畑の地名がそのままワインの名前になっていたことだろう。同僚が以前の仕事でヨーロッパに暮らしていて、ブルゴーニュの畑から分けてもらった木を持ち帰り、大宮市郊外の彼の自宅で育てていたものを、私が更にお裾分けを受けたものだ。我家の家族になって既に5年ほどが経ち、小さいながらもそれなりの風格が、この木には出て来たように思う。

 今年8月の初め、一時だけ真夏の暑さと日照りが続いた時に水やりが足りなくて、この木は殆どの葉を枯らしてしまった。どうなることかと思っていたら、それからがしぶとかった。8月の後半になって新しい葉が盛んに出て来た後、小さな実の房が幾つも姿を現したのである。日本よりも遥かに雨が少ない地域で遥かな古代から栽培が行われて来ただけのことがあって、やはりブドウの木の生命力は逞しい。通常の実りの時期には少し遅れたが、今年もまた私たちの目を楽しませてくれている。
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 家族と共にのんびりと朝食をとり、コーヒーを飲みながら一通り新聞に目を通した後、私は再びベランダに出て、空いている鉢にスミレを植えた。

 昨日の午後、都内の実家で一人暮らしをしている母の様子を見に行った時、今日と同じように暖かくて穏やかな日和だったので、母をクルマに乗せて近郊の大きな園芸店へ連れて行くことになった。これから冬の間は庭の色彩が乏しくなるので、母は毎年スミレを植えている。それを買いに行きたいと。今年ももう、そんな季節になった。

 我家のベランダも同様だから、私も母に倣ってみることにした。そして、植えてみると何だか家族が増えたような気分になるから不思議なものだ。ピノ・ノワールの木もそうだが、こうして同じ家に一緒に暮らすのも何かの縁である。間もなくやって来る寒さの季節にも、大事に育てていこう。
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 近くの寺で、正午を知らせる鐘が鳴った。外はワイシャツ一枚でも歩けるほどの暖かさ。せっかくの日曜日。久しぶりに近所の植物園へ散歩に行こうか。いつものようにテルモスに熱いコーヒーを入れ、ピクニック・シートと若干のお茶菓子を持って、家族と一緒に外へ。頭の上いっぱいに広がる青い空。その天を突くように、背の高いイチョウの木の黄葉が始まっている。

 植物園の一角にある緑地。桜の木が並ぶその場所には、小さな子供を連れた家族があちこちにシートを並べ、それぞれに秋の日を楽しんでいる。二人の子供が既に社会人になっている我家。家内も私も、こうした子育て真っ最中の若い人たちの様子に思わず目を細める、いつの間にかそんな年恰好になった。
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 これからいよいよ本格化する高齢化社会。国立社会保障・人口問題研究所が2013年に行った人口推計によると、65歳以上の人口が総人口に占める割合が、2010年時点では25%であったのが、2020年には33%、2030年には36%、そして2040年には41%に達するそうだ。逆に、15歳~64歳のいわゆる「生産年齢人口」は2010年時点では総人口の63%であったのが、2020年には57%、2030年には55%、そして2040年には51%にまで減るという。

 65歳定年を前提にすれば、社会の中で働き手になる人が2人に1人しかいない時代が四半世紀のうちにやって来る。そして、年齢上はこの私もあと4年半足らずで働き手ではない人に括られることになるのだ。そうだとすれば、私自身を含めてこれから高齢者になる世代は若い人たちに余計な負担をかけないよう、よほどしっかりしていないといけないし、何よりも国全体が思いっきり若い人たちに目を向けた政策をとっていく必要があるだろう。数多くの子育て世代が緑の公園で休日の一時を和やかに過ごす、こうした光景を私たちは何としても守って行かねばならない。
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 秋の公園の穏やかな景色の中にいて、私はこの週末に出会った1枚の音楽CDのことを思っていた。Neue Meisterというドイツのレーベルから送り出された新譜で、”ÜBER BACH”と題されたものだ。Arash Safaianというイラン人の作曲家がJ.S.バッハの器楽曲やコラール、カンタータなどを素材にした作品を考案し、ハンブルグを中心に活躍しているドイツのピアニストSebastian Knauerとチューリッヒ室内管弦楽団がこれを演奏している。
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 その中で、第170番のカンタータ「満ち足れる安らい、嬉しき魂の悦びよ」の第一曲のアリアが素敵だ。原曲はアルト独唱用のカンタータなのだが、ここではピアノと弦楽オーケストラが互いに寄り添う構成になっている。天国の安らかさを表現している何とも穏やかなパストラーレで、私の目の前に広がる今日の公園の風景が、まさにそれに相応しい。

 Arash Safaianは1981年生まれというから、まだ若い世代である。テヘランに生まれ、ドイツのバイロイトでワグナーのオペラを聴きながら育ち、ミュンヘンで作曲を学んだそうだ。しかもその間にニュールンベルクの美術学校で絵画も学んだというから、多才な人なのだろう。その彼にとってバッハの作品の数々は「最も純粋な形としての音楽そのもの」であり、「ニュートンの万有引力の法則と同じぐらい普遍的なもの」であり、「音楽の文法」でもあり、だからこそ「バッハの作品の幾つかを翻訳し直して、『バッハの音楽』に関する音楽を作曲してみようと思った」という。そこにあるのは、バッハの作品に対する大きなリスペクトである。

 イラクやシリアの内戦に伴う大量の難民発生と無差別テロの多発。そして、それを受けて世界の先進諸国が次々と内向きになっていく今の世の中。こんな時こそ、相手への敬意と寛容の精神が求められているのではないだろうか。そういえば、11月13日の今日は、昨年の秋に発生したパリ同時多発テロの一周年に当たる。

 午後2時を過ぎると、早くも太陽の光に少しずつ赤味がさして来た。この時期は日が傾くのが早い。風も少し出て来たかな。これから明日にかけて、ゆっくりと天気は下り坂になるようだ。

 桜の園の先にある針葉樹林を抜けて日本庭園に降り、出口に向かって歩いていくと、北米種のクルミの木が園内で一番の鮮やかな黄葉を見せていた。

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