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冬は北へ (3) 五能線 [自分史]


 JR弘前駅3番ホームに、先ほどまで側線に停まっていた四輌編成の列車が、青森方からゆっくりと入線して来た。爽やかな緑色に包まれたそれは、昨年(2016年)7月にデビューしたばかりの新型車輌、HB-E300系だ。電気でモーターを動かして走るのだが、電源はディーゼルエンジンで回す発電機とリチウムイオン蓄電池で、発車時・加速時・減速時にその二つを使い分けるハイブリッド車輌なのである。これが全席指定の快速「リゾートしらかみ4号」として、これから五能線を経由して秋田までの区間を走るのだ。
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 車内に入ると、前後の座席の間隔がとても広いのでゆったりとしている。何よりも窓が上下に大きいので視界が広い。そして私たちが指定席を取った3号車は後ろ半分が洒落たカウンターになっている。
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 列車は定刻から数分遅れで出発。奥羽本線の川部まで二駅戻り、そこから進行方向を変えて五能線へと入る。本来の始発駅である青森から乗る予定だった人々のために、おそらくはJRが急遽バスでも仕立てたのだろう。川部駅での5分間の停車時間の間に乗客が次々に乗り込み、座席はほぼ埋まった。

 五能線の東側は1918(大正7)年に川部・五所川原間を開業させた私鉄の陸奥鉄道がその前身にあたる。奥羽本線は青森から弘前を経由して秋田までの間が既に明治時代に官営鉄道として開業しており、陸奥鉄道はその官設鉄道と五所川原を結ぶ役割を担っていた。1925(大正14)年には日本海側の鯵ヶ沢まで延伸開業していたが、金融恐慌が起きた1927(昭和2)年に陸奥鉄道は国有化されて「五所川原線」になり、1934(昭和9)年に鉄路を深浦まで伸ばしていた。今日の私たちは深浦の3つ先のウェスパ椿山まで行く予定なので、戦前の五所川原線の部分を全て走ることになる。
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 4号車が先頭になって、「リゾートしらかみ4号」は平野の中を軽快に北上。頭を雲の中に隠した岩木山は、今度は左の車窓に見えている。寒冷前線の通過で強風が吹き荒れた昨日はこの列車が全面運休になったのだが、幸いにして今日は、(おそらく下り列車の遅延が原因で青森・弘前間が運休になったものの)弘前から先の上り方面は平常通り運行されている。

 後になって気象庁のHPからデータを拾ってみてわかったのだが、昨日(1月27日)は日本海に面した深浦で朝の8時頃から瞬間風速が20m/秒を超え、強風のピークとなった午前11時代にはそれが25m/秒を超えていたのだ。五能線は瞬間最大風速が20m/秒を超えると減速、25m/秒を超えたら運休になるそうなので、昨日はまさにそれに当てはまる日だったことになる。そして、日付が替わってからはそれが20m/秒を超えることはなくなり、次第に弱まっていったので、全面運休になることは免れた訳だ。本当に一日違い。我ながら「持ってた」のかもしれない。
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(10分毎の瞬間最大風速の推移)

 15時08分、五所川原に到着。そして列車が再び動き出した時に右の窓の外に注目していると、津軽鉄道のホームと停車中の現役気動車、そして廃車後も留置線に置かれたままの古い気動車の姿が見えた。
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 旅客を扱うものとしては今や日本最北の私鉄となる津軽鉄道。これは前述した陸奥鉄道が昭和2年に国有化された時、出資金が倍になって戻って来た旧陸奥鉄道の株主たちが、もう一つ鉄道を作ろうということで新たに会社を設立し、昭和5年に五所川原の北方、金木までの区間を開業させたのだそうで、歴史が繋がっていてなかなか興味深い。

 その五所川原を出ると、五能線は大きく左へカーブし、岩木山の北麓を西に向かって走る。そして五所川原から僅か20分ほどで、右の車窓には日本海が一気に広がった。途端に車内では歓声が上がる。皆、この眺めを待っていたのだ。
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 15時33分、鯵ヶ沢駅に到着。かつては廻船の寄航地として栄えた港町だ。その名前からしていかにも海の幸が美味しそうで、名物はヒラメやヤリイカなのだとか。ここで下車せずに列車に乗り続けるのは何だか惜しい気もしてくる。

 海の眺めが始まり出した五能線。全長147kmの内86kmの区間で海が見えるこの路線は、いよいよこれからがハイライト部分だ。何と言ってもその86kmの内の殆どの区間は本当に海岸線のすぐ近くを走り、風の強い日は線路が波を被るのではないかと思うような箇所の連続なのである。

 窓一杯に広がる冬の日本海。それを眺めたのは何年ぶりのことだろう。その荒涼とした眺めが旅情を誘う。

 鯵ヶ沢から海岸線をたどること20分。陸が北に向かって海に突き出した所で、駅舎もなくホームが一本だけの「千畳敷」という無人駅に着く。快速「リゾートしらかみ4号」はここで15分停車。その間に乗客は駅前の道路を渡って海岸まで降りることが出ることができるのだ。その昔、殿様がこの千畳敷で大宴会を開いたという、あたり一面の岩床。それが1792(寛政4)年に起きた地震による隆起で出来上がった地形だというから驚いてしまう。
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(空から見た千畳敷海岸)

 防寒着に身を固め、家内と二人して千畳敷の岩床に立つ。「寄せては返す」という悠長な響きとは異なり、もっと猛々しい日本海の波。時刻は16時を回ったところだ。思えば今朝は八甲田山麓の雪深い酸ヶ湯温泉にいたのに、7時間後の今は冬の海を目の前にしている。遠くへやって来たものだと、改めて思う。
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 発車3分前になると列車は汽笛を鳴らせてくれて、それを合図に乗客は列車に戻る。先ほど海に出る時には気づかなかったのだが、線路の陸側には岸壁が迫り、そこからの湧水が凍結した姿が続いている。「氷のカーテン」と呼ばれる、これまた冬の五能線の名物なのである。
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 千畳敷を過ぎると、海岸線は南西へと向きを変える。つまり、右側の車窓に広がる海は概ね日没の方角になる訳で、ここから深浦駅の少し先までの区間は海と夕焼けを眺めることの出来る区間なのである。

 もっとも、「リゾートしらかみ4号」の場合は千畳敷発が16時13分、深浦着が16時37分、そして私たちが降りるウェスパ椿山着が16時53分だから、この時間帯の間に日没になる季節でないと、海に没する太陽は見られない。今日、1月28日の青森市の日の入りは16時49分、方角は246.5度(つまり西南西より21.5度だけ北)だから、ウェスパ椿山に着く直前にその光景に出会う可能性がゼロではないのだ。

 列車はほぼ定刻の運行で、深浦駅で上りの「リゾートしらかみ5号」と待ち合わせ。雲の垂れ込めた冬空が、灰色なりに日没が近い色調になってきた。弘前から続いた私たちの列車の旅も、残りはあと17分。列車はなおも変化に富んだ海岸線を几帳面に辿っていく。そして、何ということだろう。その頃から日没の方向で海の彼方の雲が切れて夕日が差しはじめたのだ。

 列車の大きな窓ガラスに釘付けになる家内と私。そして、おそらくは横磯という無人駅を通過した頃だったのだろう、海を赤く染めながら日本海に沈む直前の太陽の姿が私たちの目の前に広がった!
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 何という幸運。家内も私も、言葉が見つからない。旅先でこんな風景に出会えたことに、何と言って感謝を捧げればいいのだろう。

 その余韻に浸るのも束の間、ウェスパ椿山到着が近いことを告げる車内放送。荷物を持ってホームに出ると、ここも駅舎のない無人駅だが、目の前の広場に送迎バスが待っている。結構な人数がそれに乗り込み、海を見下ろす道を10分ほど走って、今日の目的地黄金崎不老不死温泉に到着した。

 全室がオーシャン・ビューのこの温泉旅館。部屋に通されると、既に陽が沈んだ海と空が今日最後の輝きを失いつつあった。
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 やはり、旅に出てよかった。
(To be continued)


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コメント 1

TT

冬の夫婦旅、良いですね。北の地の魚が食べたくなりました。
by TT (2017-03-28 19:25) 

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