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隅田川テラス [散歩]


 都心から乗った東京メトロ日比谷線の北行きの電車が、三ノ輪を過ぎて地上に出る時、進行左側の窓から外を眺めていると、近づいてくるJR常磐線の高架との間に挟まれた狭い土地にちょっと大きなお地蔵さんを見下ろすことが出来る。
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 既に速度をかなり落とした電車は、その直ぐ先の南千住駅に到着。南口の改札口から猫の額のようなロータリーに出ると、向かい側にそのお地蔵さんが見えている。延命寺というお寺の境内に鎮座するそれは「首切地蔵」という縁起でもない名前のお地蔵さんで、なぜそんな名前がついたかというと、江戸時代に小塚原の刑場がこのあたりにあったからだ。常磐線の線路によって分断される前は、その北隣にある小塚原回向院と一体になっていて、要するに幾多の刑死者が埋葬された場所だったのだ。

 回向院の境内に入ってみると、幕末期の「安政の大獄」で処刑された橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎らの墓が並んでいる。そして、もう一つ忘れてはならないのが、ここは前野良沢、杉田玄白らによって刑死者の「腑分け」が日本で初めて行われた場所で、それに因んで「解体新書」の表紙のデザインをレリーフ化した「観臓記念碑」が置かれている。
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 おっと、いけない。目的地で電車を降りたとたんに道草をしてしまったが、今日は歴史探訪の散歩に来た訳ではなかった。駅前に戻って更に北へ進もう。JR貨物の隅田川駅を右手に見ながら、新興の高層マンション街を抜けて10分ほど歩くと、やがて隅田川の右岸に出た。

 岸の高さまで降りてみると、左側(=上流側)にトラス橋が見えていて、日比谷線の南行き電車が轟音を立てながらその鉄橋を渡るところだった。実はそこはメトロの日比谷線、つくばエクスプレス、そしてJR常磐線用のそれぞれのトラス橋が3つ並行する、鉄道風景としてはなかなか壮観な場所なのである。
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 おっと、いけない。今日は鉄旅をしに来た訳でもなかった。私はジョギング用の服装でここまでやって来た。これから隅田川の右岸沿いの遊歩道を、河口に近い勝鬨橋まで距離にして12kmほどなのだが、それをジョギングしてみようという魂胆である。今朝の東京は今冬一番の冷え込みとなったが、正午を過ぎたばかりの今は風もなく、冬晴れの太陽が眩しい。

 昨年の4月末に膵臓がんの開腹手術を受けた私は、その後の養生の過程で3回ほど隅田川沿いの遊歩道「隅田川テラス」を部分的に散歩していた。初回は術後2ヶ月ちょっとの7月初めに、両国駅から浅草駅までを恐々と歩いた。まだ体調は全く安定していない時期だったから、試運転そのものだ。その2ヶ月後の9月初めに、今度は永代橋から佃島を経て築地の勝鬨橋までを歩いた。少し元気が出て来た頃だった。更に、金木犀の香る10月初めには、京成関屋の駅を起点に水神橋を渡って浅草までを歩いた。そうした隅田川沿いの散歩を重ねるうちに、「本当に元気になったら、この隅田川テラスを千住から築地まで通しで走ってみたい」と思うようになっていた。

 既にこのブログにも綴って来た通り、術後の抗がん剤の服用も12月下旬で予定通り終了し、半年後の今年6月の経過観察までは病院に通うこともない身になった。体力の回復も概ね順調で、日帰りの山歩きにも特に問題なく行けている。ならば、この週末に隅田川テラスのジョギングを実行してみよう。年が明けて二週間。寒さは厳しいが、今この12kmを完走出来たなら、自分にとっても励みにもなることだろう。
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 汐入公園と呼ばれる一画の西端にあたる隅田川テラスの起点からジョギングを開始。そこは隅田川の大きな蛇行に沿って右カーブが続き、真昼の今は太陽を真正面に見ながら走ることになる。程なく汐入大橋・水神橋という比較的新しい橋を通過。そこから先は上述の通り散歩をしたことがあるので大体の様子はわかっている。白髭橋を過ぎるともう浅草が近い。
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 白髭橋の一つ下流側に桜橋というエックスの形をした歩行者専用のユニークな橋が架かっている。そこからは東京スカイツリーがもう見上げる高さまで近い。今日の起点からここまで凡そ3.5kmの距離である。
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 再び走り始め、言問橋を過ぎると、歴史を感じさせる、しかし重厚なだけでなくどこか優雅なスタイルのトラス橋が近づいてくる。1931(昭和6)年に竣工した東武伊勢崎線の隅田川橋梁だ。ちょうど上り列車が橋を渡って右手の浅草駅に進入するところで、列車は殆ど止まりそうなほどゆっくりとアプローチしている。
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 それもそのはずで、東武伊勢崎線のルートは隅田川を横断するや否や半径僅か100mほどの左急カーブを切り、最終的には川に並行した東武浅草駅のホームへと入って行く。従って、この間は15km/hの徐行にならざるを得ないのだ。
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 明治30年に北千住・久喜間で営業を開始した東武鉄道は、その後南北に鉄路を伸ばすも、隅田川を越えて都心への乗り入れを行うことにはなかなか認可が下りなかった。京成電鉄との激しい鍔迫り合いの末、昭和6年に念願の浅草入りを果たすのだが、当時東都最大の繁華街の一つだった浅草に線路を敷くのは大変で、そのルートも隅田公園に入らぬように配慮した結果、現在の急カーブになったという。橋のトラスの背が高くないのも同様に景観への配慮で、だから鉄橋の割にいかめしくない印象があるのだろう。
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 おっといけない、またしても鉄旅気分になってしまった。先を急ごう。浅草駅前のほぼ真下になる吾妻橋の西詰を潜り、なおも走り続けると、風格のあるアーチ橋が近づいてくる。1927(昭和2)年竣工の駒形橋だ。関東大震災後の復興計画の一環として新たに架けられた橋で、それ以前は渡し舟が行き来していたという。
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 春日通りが走る厩橋をくぐり、次の蔵前橋を過ぎると、再び大きなアーチ橋が迫る。JR総武線の隅田川橋梁だ。1932(昭和7)年、総武線の両国・御茶ノ水間の延伸のために架けられた鉄橋で、たった一つの長いアーチが印象的である。今日の起点から約6.5kmだから、コースの半分が過ぎたところだ。今のところ、お世辞にも速くはないが、私なりに順調に走れている。
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 さて、この橋を過ぎたら右手の陸側に上がるように気をつけていないといけない。この先は右手から神田川が隅田川に合流するため、遊歩道自体は一度途切れている。江戸時代には、ここから隅田川を遡って遊郭・吉原へと通う舟が多数出入りしていたという。
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 小さな橋で神田川を渡り、幅の広い靖国通りを横断して両国橋の西詰へ。その先から隅田川テラスが再び始まる。首都高の6・7号線を潜ったあたりから隅田川は少し東向きに蛇行。そのために新大橋を過ぎるあたりまでは走路が日陰になり、とたんに寒くなった。太陽エネルギーとは、やはり偉大なものなのだ。
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 それが、再び南方向にカーブしていくと正面に太陽が復活。眩しい光の中に現れるのが、優雅な吊り橋の清洲橋だ。そのクラシックな姿は見ていて楽しい。これも震災復興計画の一環として1928(昭和3)年に架けられたというから、今年で満90歳の卒寿だ。いつまでも大切にしたい景観である。
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 もう一つ首都高の下を潜る所があって(地上部分には隅田川大橋という一般道用の橋があるのだが)、それを過ぎるといよいよ永代橋が近く、そのどっしりとしてクラシックなアーチと、背後に並び立つ佃島の高層マンション群とが絶妙なコントラストを見せている。
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 永代橋の手前で日本橋川が右から合流するので、隅田川テラスはそこで再び途切れており、陸側で日本橋川を越え、永代通りを横断して永代橋の西詰から川に戻る。ここから先は昨年9月に家内と歩いたコースだが、あの時に比べると、冬晴れの下で高層ビル群が更にくっきりと見えている。

 コースが幾分西を向き、日本橋川の分流が右から合流するところで中央大橋を渡り、佃島へ。眺めの良いこの佃島の北端で360度のパノラマ写真を撮りたかったので、予定通りそこで小休止。隅田川の本流と豊洲運河に囲まれた「水辺の風景」がパノラマ写真には絶好の場所だと、前回来た時から思っていたのだ。今日の起点からちょうど10kmの距離である。


 さあ、残りは僅かになった。再び頑張ろう。佃島の北端から中央大橋を潜って南西方向へ。左手に住吉神社の境内をチラッと眺め、その先の佃大橋へと上がって隅田川の右岸に戻る。そして隅田川テラスに下りれば残りは1kmほどである。
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 何度か写真を撮りながらの行程になったので、ずっと走り続けた訳ではなく、タイムを意識するつもりもなかったからスピードは極めてゆっくりとしたものだったが、特段ペースを変えることもなく、呼吸の苦しさや足の疲れを感じることもなく、今日はこうして築地の近くまで走り続けることが出来た。昨年の秋に散歩をしていた頃は、隅田川テラスを走ることが出来るのはいつになるだろうかと思ったものだが、年明けから二週間後の今日、こうして12kmの道のりの完走を間近にしてみると、色々な感慨がこみあげて来る。何よりも、ここまで元気を取り戻したことについて、昨年4月の入院以降お世話になった、そしてご心配をいただいた多くの方々への感謝の気持ちで一杯だ。

 隅田川テラスが行き止まりになる勝鬨橋の真下。誰もいないその場所にゴールテープが張ってあるつもりで、私は今日のランニングを終えた。
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