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続・冬は北へ (3) 津軽鉄道 [自分史]


 1月22日(月)、青森県・大鰐温泉の朝は氷点下13度まで下がった。

 「この冬一番の冷え込みです。こっちの気候に慣れてる筈の私でも、今朝は『うわぁ、寒っ!』って思いましたもの。」

 ホテルのフロント係の女性が肩をすくめながらそう言って笑った。朝8時に迎えを頼んだタクシーは、後部トランクが凍結して開かないと、ゴマ塩頭の運転手さんが四苦八苦している。移動性高気圧は東へ去ったが、オホーツク海と日本海中部にそれぞれ低気圧があって、東北地方の北部は緩い気圧の尾根が東西に延びた形になっているため、夜は晴れたのだろう。それが放射冷却をもたらしたという訳だ。ホテルのロビーから眺める池も、今朝は完全に凍りついている。

 折角のリゾートホテルだから朝はゆっくりしたかったのだが、今朝は弘前発08:49の快速「リゾートしらかみ2号」に間に合うように、ホテルを出なければならない。朝食は少し急ぎ足にならざるを得なかったのだが、その代わりに神様からの素晴らしいご褒美があった。タクシーが大鰐温泉の中心部を抜けて国道7号に入り、岩木川の支流が造る狭い谷から津軽平野に出ると、津軽の名峰・岩木山(1625m)の大きな姿がフロントガラス一杯に広がったのだ。しかも、山頂までくっきりと見えている。
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 厳冬のこの時期に何という幸運。昨年の一月下旬にも家内と私は弘前を訪れているが、その時の岩木山にはガスが終日かかり、中腹から上は見えなかった。それだけに、今日のこの眺めには大感激だ。

「この山が風を防いでくれるから、津軽には米もリンゴも育つんですよ。」

 タクシーの運転手さんは、そう語る。津軽平野の西に忽然と盛り上がったような岩木山。周囲には他に高い山がないため、その裾野の広がりの優雅さがひときわ印象的だ。30万年前頃から噴火と山体崩壊を繰り返し、現在のスカイラインが形成されたのは1万年前頃のことだそうだ。いつまでも眺めていたい山である。

 予定通り8時半過ぎには弘前駅に到着。駅のコインロッカーに荷物を預け、私たちは五能線を走る「リゾートしらかみ」に乗車。40分足らずで五所川原に着いたら、そこから私鉄の津軽鉄道に乗ることにしている。タクシーの中からはあれほどすっきりと見えていた岩木山の山頂は、列車の中からその姿を追いかけた時にはもうガスの中だ。やはり、山というのは朝早くに眺めるべきものなのである。

 その岩木山の山裾を見つめ続けているうちに、間もなく五所川原に到着する旨の車内放送が流れた。先頭車両に乗っていた私たちは、運転席の右側の窓から正面を凝視。ゆっくりと近づいて来た五所川原駅の構内は、何とも懐かしい昭和の雰囲気に満ちている。
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そして、ホームに降り立つと、跨線橋の向こうの津軽鉄道の小さなホームには、お目当てのストーブ列車が私たちを待っていた。
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 左から、ディーゼル機関車DD350、客車のオハフ33、津軽21型気動車、そして最後部になぜか雪かき車キ100の姿が。機関車の左に見えている古い気動車は、既に廃車になって留置線に置かれている旧国鉄のキハ22である。(昨日乗って来た秋田内陸縦貫鉄道を走っていたこともあったそうだ。)

 この編成の中で、客車には2台の石炭焚だるまストーブが暖房用に設置され、冬の風物詩として観光客の人気を集めている。(但し、乗車には400円のストーブ券が必要だ。) 平日にもかかわらず、今日もこの客車の席がほぼ埋まっている。そんな中で私たちがストーブの近くに席を取ると、先ほどまで乗って来た五能線の「リゾートしらかみ」が、秋田を目指して発っていった。
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 9:32 津軽中里行きのストーブ列車は定刻に発車。2台のだるまストーブのおかげで、車内は暖かい。同乗している女性アテンダントによる沿線の観光案内が早速始まると共に、ワゴンによる車内販売も同時にスタートした。言うまでもなく、車内で楽しむ酒やスルメ、そして津軽鉄道グッズなどの販売である。
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 そこで買い求めたスルメは、もちろん車内のストーブで焼いてくれるのだが、女性アテンダントは実に手際よくそれをこなしている。私たちを含めてかなりの乗客が途中の金木駅で降りるので、乗車時間は30分足らず。その間に次々とスルメを焼くのだから彼女は結構忙しいことになる。

 僅かの時間ではあるが、それでもこのスローでレトロなストーブ列車に揺られ、スルメをかじりながら常温の酒で一杯というこの一時は、なかなか得難い経験である。
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 9:58 五所川原から12.8kmを走ったところにある金木駅に到着。ホームの様子は何やら映画「鉄道員(ぽっぽや)」の一コマでも見ているかのようだ。
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 私たちはここで下車し、街の中を700mほど歩いて「斜陽館」を見学。言うまでもなく、太宰治(1909~48)の生家だった旧津島家の大邸宅である。太宰の実父で戦前の衆議院議員も務めた大地主・津島源右衛門が1907年に建てた木造二階建て、入母屋造り、宅地面積が680坪の邸宅で、今は国の重要文化財に指定されている。太宰はここに生まれ、自らが旧制青森中学に進学するまでの間、この家で育てられたそうだ。(上京後は共産党の活動に手を染めたりしたために、彼は郷里から勘当されている。)
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 館内では案内係の男性が30分ほどの時間をかけて一階・二階それぞれの様子を詳しく説明してくれた。或る部屋では太宰の時代のマントを羽織って写真を撮れたりするのだが、ここで冬の今は床が冷え切っていて、靴を脱いで屋敷の中を歩いていると両足が芯から冷えて来る。太宰が暮らしていた当時、全部で19部屋もあるこの屋敷では、一体どれほどの量の薪を燃料に使ったのだろうか。

 この大きな屋敷の中をそれなりにゆっくりと見学させていただき、来た道を通って駅に戻ると、上りのストーブ列車が程なくやって来た。先ほど乗って来た列車が終点の津軽中里で折り返して来たものである。
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 津軽に鉄道がやって来たのは、意外に古い。官営鉄道として奥羽本線の青森・弘前間が開業したのは1894(明治27)年の12月だ。鉄路はそれから南に延びて、1992(明治35)年には秋田に達した。
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 次いで、鉄路は津軽半島地域にも延びていく。1918(大正7)年9月、奥羽本線の川部(弘前から2つ青森寄りの駅)と五所川原を結ぶ私鉄の陸奥鉄道・五所川原線が開業。それは大正時代が終わるまでの間に、日本海に面した鰺ヶ沢まで延伸していた。

 他方、秋田県の能代から海岸線沿いに北上する官営鉄道の能代線の建設が1908(明治41)年から順次進んでおり、1926(大正15)年の暮には秋田・青森両県の県境に近い岩館までが開業していた。そして、国は能代線と五所川原線を一体の鉄道として管理することを企図し、1927(昭和2)年6月に陸奥鉄道を買収。1936(昭和11)年に日本海側で南北の線路が繋がり、ここに現在の五能線が全通することになった。

 この陸奥鉄道の買収に際し、株主たちには当初の出資金の2倍を超える金額が払われたそうだ(額面50円の株式に対して115円!)。だが、昔の人は偉かったと言うべきか、巨額の金を手に入れた陸奥鉄道の株主たちは、「この資金で郷里にもう一つ鉄道を造ろう。」という意見でまとまる。そこで翌1928(昭和3)年に設立されたのが、津軽鉄道株式会社なのである。同社は直ちに鉄道建設に取り掛かるが、岩木川沿いの湿地は地盤が緩く、想定を越える難工事になった。そのためにかなりのコストオーバーランになったようだが、ともかくも1930(昭和5)年11月に五所川原・津軽中里間20.7kmが全通することになった。

 因みに、1930年というと太宰が21歳の年だ。それよりも前、彼は中学入学と共に実家を離れているから、この津軽鉄道開通には縁がなかったことになる。後の1945(昭和20)年に彼が東京から疎開して来た時には、この鉄道に乗ったのかもしれないが。

 こうしてスタートした津軽鉄道。だが、結果的に昭和恐慌の真っ只中で開業したために、当初は業績が振るわず苦労したようだ。地域の乗合バス事業を次々に買収して収入源を確保し、何とか危機を乗り越えたが、色々あって戦後はそのバス事業も手放している。

 金木駅から雪原の中に細々と続く単線鉄道のレール。今から88年前の津軽鉄道の開業時も、こんな風景だったのだろうか。
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 津軽鉄道が公表している直近の財務諸表は2年前の2015年度のものだが、それによると鉄道事業は▲25百万円の営業赤字。これに対して15百万円ほどの補助金を得ているが、最終損益は▲5.3百万円の赤字である。バランスシートには▲65百万円の累損を抱え、純資産は36百万円だから、このペースで赤字が続くと、7年後(→現時点からは5年後)には債務超過に陥ってしまうことになる。

 五所川原駅ではJRから津軽鉄道に乗り換える際にも跨線橋に改札口がないから、そうした乗客に対しては車掌が車内で改札を行っている。その際に使われるのは、乗車駅と降車駅の欄に車掌がハサミを入れる、昔懐かしい補助券だ。そして有人駅で発売する切符は、これまた昔ながらの硬券である。かつて鉄道が開通した頃から殆ど何も変わっていないようなこうした姿は、私たちからすればいつまでも残して欲しいと思うが、ビジネスの現状を見る限り、よほどの観光需要に支えられない限り、存続は非常に厳しいのではないか。そういえば、昨日・一昨日と回って来た田沢湖温泉郷や秋田縦貫鉄道がアジアからの観光客を引き付けていたのと比べると、今日は中国語も韓国語もかなり限定的にしか聞こえて来ない。
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 11:29 ストーブ列車での往復も終わり、私たちは五所川原駅に戻って来た。JRに隣接する津軽鉄道・津軽五所川原駅の駅舎は、いたって簡素である。
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 それから私たちは雪が舞う五所川原の中心街を歩き、海産物を扱う市場でゆっくりと昼食。食堂で買った丼飯を魚屋の前に持って行き、好みの刺身を注文するスタイルで、これがなかなかいい。そして、食堂のテレビのニュースでは、予報通り東京で大雪が始まり出したことを頻りに伝えていた。
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 食後は津軽鉄道直営の店でコーヒーを楽しみながら、五能線の列車を待つ。私たちが乗る13:20発の弘前行きが出ると、その次の列車は2時間51分後だ。それもまた、五能線の味わいである。
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 昨年に続いて、今年もまた真冬の東北を家内と旅した。厳しくも美しい自然。人と人の触れ合いの素朴な温かさ。そして、そこかしこに残る懐かしい日本の姿。冬の東北がまた一つ好きになった旅が終わろうとしている。

 川部駅で進行方向が逆になり、列車が弘前へと近づいていく時、窓の外には再び岩木山の大きな姿があった。
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