SSブログ

青と緑 - 燧ヶ岳・会津駒ヶ岳(3) [山歩き]

 
8月7日(日)

 午前3時50分起床。車中泊だった前夜とは違い、旅館の布団ではさすがによく眠れた。

 昨日に続いて今日も山を目指す私たちは、洗顔を済ませて荷物の確認を開始。桧枝岐村の七入地区にある七入山荘は登山者の利用も多く、私たちのような早出組が他の部屋からも起き出していた。

 七入山荘は桧枝岐村の中心地区からは離れているが、とても快適な旅館だった。昨夜の食事では地元の山菜の数々を楽しませていただいたが、中でもヤマブドウの天麩羅は珍しく、爽やかな酸味が印象的だった。同じく地元産のイワナの塩焼きも実に美味。テーブル毎に同じおひつのご飯を分け合うのもどこか山小屋風だ。そして今朝も、私たちのように朝の早い登山者には、朝食用のおにぎり弁当を4時半からフロントに置いてくれる。日程に余裕があれば、是非もう一泊したくなる旅館だった。

 そのおにぎり弁当を受け取って、私たちは4時半過ぎに車で出発。夜明けの桧枝岐村を走り抜け、会津駒ヶ岳登山口のバス停のある角を左折して林道を上がり、実際の登山口の直前にある駐車場を目指した。カーブの連続する林道の途中には道路脇に駐車スペースが何箇所かあるのだが、私たちは何とか最上部の一角に停めることが出来た。

 おにぎり弁当を半分だけ食べて、いよいよ出発。前日の燧ヶ岳登山の疲れは幸いにして残っていない。そして、今日もまた素晴らしい天気になりそうだ。

05:15 最上部の駐車場 → 06:45 水場のベンチ

 車を停めた場所から林道の続きを歩いていくと、左側に長い鉄梯子があり、そこから会津駒ヶ岳への山道が始まる。
aizukomagatake-101.jpg

 火山特有の大きな岩がゴロゴロしていた昨日の燧ヶ岳とは対照的に、今日は実に穏やかな山道で歩きやすい。山麓には大きなブナの木が続き、その濃い緑が夏空によく映えている。
aizukomagatake-102.jpg

 とはいえ、早々にしっかりとした登りがあるので、自分の体が本当に目覚めるまでは辛抱しなければならない。最初の30分に一汗かいたところで5分休憩。そして、展望のない樹林の中を引き続き黙々と登り、登山口からちょうど1時間半でベンチのある休憩場所に着いた。近くに水場があるようだが、飲み水は多めに担いでいるので、水場の確認はパス。それにしても汗が出る。
aizukomagatake-103.jpg

06:55 水場のベンチ → 07:55 展望の良いベンチ

 10分休憩を取ったベンチから再び歩き始めて10分、木々の間から会津駒ヶ岳の稜線が見え始める。今日のコースは登るにつれて傾斜が緩くなるので、このあたりからは歩くのも楽だ。そして足元ではオヤマリンドウの鮮やかな青が涼しさを運んでくれる。
aizukomagatake-104.jpg

 やがて、山道の周りの植生が樹林から草地へと移り始め、木道が現れるようになると、その直ぐ先の眺めの飛び切り良い場所にベンチが用意されていた。先ほどのベンチからちょうど1時間だ。
aizukomagatake-106.jpg

 この日初めてその全容を現した会津駒ヶ岳が目の前に。そして、そこからの稜線を左に辿ると、駒の小屋の三角屋根が見えている。足元にはキンコウカが咲き乱れ、あたり一面が穏やかな草原だ。いつまでもそこで過ごしたくなる景色である。時間に余裕があるので、空の青と夏山の緑を私たちはゆっくり楽しむことにした。
aizukomagatake-105.jpg
aizukomagatake-107.jpg

08:12 展望の良いベンチ → 08:30 駒の小屋

 ベンチを後にして木道を更に進むと、一登りで展望が一気に開けた。駒の小屋直下の登りは、前後左右どちらを向いても、実に素晴らしい眺めだ。

 私たちの背後には帝釈山や田代山など、福島県と栃木県の県境を成す山々が連なっている。
aizukomagatake-108.jpg

 左手には、昨日登った尾瀬の燧ヶ岳が天を突くように聳え、右の後方には同じく尾瀬の至仏山が立派だ。空と山、草原と池塘。何と素晴らしい組み合わせなのだろう。
aizukomagatake-110.jpg

 そして行く手には駒の小屋の三角屋根と会津駒ヶ岳の丸い山頂。まるでお伽話の世界の中にいるような気分だ。
aizukomagatake-109.jpg

 そんな四方八方の眺めを楽しみながら、8時半ちょうどに駒の小屋に到着。今日はこれから会津駒ヶ岳を越えて中門岳までを往復する予定だが、戻って来たらここで是非ゆっくりすることにしよう。
aizukomagatake-111.jpg
aizukomagatake-112.jpg

08:35 駒の小屋 → 08:52 会津駒ヶ岳

 駒の小屋から山頂に向けて草原の中を緩やかに登る。程なく山道は山頂直下の西側をトラバースしていくのだが、そこからの南側の眺めが素晴らしい。駒の小屋の後方に燧ヶ岳から日光連山までの山々が勢揃いだ。
aizukomagatake-113.jpg

 そして、山頂へと続く階段が右手に現れ、標高差50mほどを登れば会津駒ヶ岳の山頂だ。雲一つない青空。緑が濃い。
aizukomagatake-114.jpg

08:57 会津駒ヶ岳 → 09:35 中門岳

 先へ進もう。山頂から北西方向に尾根を下る木道を辿ると、直ぐに中門岳までの展望が広がる。穏やかな草原の中に木道がどこまでも続く、ちょっと日本離れした風景だ。そして、最初の鞍部へと下っていく途中ではニッコウキスゲが今日初めてその姿を見せた。
aizukomagatake-115.JPG
aizukomagatake-116.jpg

 今年はこの山域には例年より雪が少なかったそうで、そのためか幾つかの池塘は涸れていたが、あたりでは至るところにミヤマリンドウが咲いている。いつまでも歩いていたくなる道だ。
aizukomagatake-119.jpg
aizukomagatake-117.jpg

 こんな風に穏やかな草原の中の道だから、高山植物の花を愛でつつどんなにゆっくり歩いても、かかる時間は知れている。会津駒ヶ岳から40分ほどで、私たちは大きな池塘の前に着いた。
aizukomagatake-118.jpg

 地形図を見ると、標高2060mの中門岳のピークはあと500mほど先のはずだが、道標には「中門岳(この一帯を云う)」と書かれている。まあ、どこがピークかわからないような穏やかな地形の中で、池塘の前が休むのにいい場所だから、ひとまずここに道標が置かれ、ベンチが用意されたということなのだろう。こういう「ゆるい」感じがこの山には相応しい。私たちもゆっくりすることにしよう。

 それにしてもいい天気。あたりの森からは、ポケモンではなくてムーミンやスナフキンがひょっこりと現れるのではないだろうか。

10:00 中門岳 → 10:50 駒の小屋

 中門岳の池塘の前で30分近くのんびりと過ごした後、私たちは来た道を戻る。こんなに素晴らしい景色とお別れしてしまうのが何とも名残惜しい。後ろを何度も振り返りつつ、草原の中の木道を辿った。
aizukomagatake-120.jpg

 予定よりも一時間以上早く行動してきたので、時間には余裕がある。駒の小屋のベンチではT君が熱いコーヒーをいれてくれた。空の青と夏山の緑を眺めながら、アルミの食器でゆっくりと味わうブラックコーヒー。シンプルながら何と贅沢なことだろう。

11:20 駒の小屋 → 12:55 最上部の駐車場

 会津駒ヶ岳から中門岳にかけての眺めを存分に楽しんだ私たち。後は山を下り、温泉で汗を流して東京に帰るだけだ。そうなれば、一気に降りよう。昨日の燧ケ岳のように大きな岩がゴロゴロした山道ではないから、下りも楽なはずだ。T君が先頭に立って、コースタイム2時間20分の道を私たちは1時間半ほどで駆け下った。
aizukomagatake-121.jpg

 最高の天気に恵まれ、燧ヶ岳と会津駒ヶ岳からの展望を存分に楽しんだ今回の山行。写真も数多く撮ることになったが、その中での一番のお気に入りを、今回の記録の最後に掲げておくことにしたい。それは、駒の小屋から下山を始める直前に撮った、山の上での最後の写真である。
aizukomagatake-123.jpg

 空の青と山の緑。日本の山岳風景の原点は、もしかしたら信州のアルプスよりも、東北の山々にあるのかもしれない。

青と緑 - 燧ヶ岳・会津駒ヶ岳(2) [山歩き]


8月6日(土)

 車の中での睡眠は途切れ途切れだった。

 尾瀬・燧ヶ岳(2356m)の北麓にある御池駐車場は、標高1500mだから上高地と同じ。5センチほど開けておいた運転席の窓から入って来る外気は思いの外冷たく、車内でシュラフ(寝袋)を被っていた私は、そのために何度か目を覚ました。

 そして、午前4時。T君が起き出した物音で私も再び目を覚まし、朝の支度を始める。車の外に出ると星々は急速にその姿を消しつつあり、尾瀬御池ロッジの向こうの空が明るくなり始めていた。これは素晴らしい天気になりそうだ。
hiuchigatake-101.jpg

 T君が湯を沸かしてくれて、カップ麺で手短に朝食を済ませる。荷物を確認し、水を多めに持って、4時55分に駐車場を出発。燧ヶ岳への登山道に入る。ヘッドライトはもう点灯しなくてもいい明るさになっていた。

04:55 御池駐車場 → 05:45 広沢田代

 御池駐車場からしばらくは森の中の木道が続いていたが、それが終わるといきなり急登が始まる。それも、大きな岩がゴロゴロとしている上に、山からの湧水が豊富であちこちにぬかるみが出来ている。
hiuchigatake-102.jpg

 これから登る燧ヶ岳は火山で、最後の噴火は1544年頃というから室町時代の末期、鉄砲伝来の翌年ということになる。それならば岩がゴロゴロとしていても不思議はないが、その火山の山麓がこれほど緑豊かであるのは、冬の間にこの地方に降り積もる多量の雪の賜物なのだろう。

 最初のピッチから急登が続くのは辛いが、我慢して登り続けると次第に傾斜が緩やかになり、広々とした草原状の地形に出る。そこが広沢田代だ。鮮やかな夏の緑が草原いっぱいに広がり、池塘が朝の光に輝いている。私が楽しみにしていた空の青と夏山の緑の組み合わせが、早くも始まった。
hiuchigatake-103.jpg
hiuchigatake-104.jpg

05:50 広沢田代 → 06:35 熊沢田代

 短い休憩を取ってから出発。草原の中に続く木道は再び森の中に入り、しっかりとした登りが続く。そして30分ほどで後ろを振り返ると、明日登る予定の会津駒ヶ岳(2133m)が、その大きな姿を見せていた。
hiuchigatake105.jpg

 それから一登りで再び草原状の、広沢田代よりも更に雄大な眺めが広がる熊沢田代に出た。二つの池塘の間に木道が続き、彼方には燧ヶ岳のピーク(の一つ)が見えている。
hiuchigatake-106.jpg
hiuchigatake-107.jpg

 ここには池塘の前にベンチが用意されているので、ゆっくり出来る。そこから西側を眺めると、越後駒ヶ岳(2003m)をはじめとする越後三山がきれいに並んでいた。
hiuchigatake-108.jpg

06:45 熊沢田代 → 08:12 俎嵓

 眺めの良い熊沢田代で10分休憩を楽しんだ後、再び出発。ここから先は植生もだいぶ低くなって来るので、見晴らしの良いポイントが続く。振り返ると先ほどの熊沢田代が早くも眼下に見えている。
hiuchigatake-109.jpg

 なおもしっかりとした登りが続くので、ここが今日の正念場。太陽も昇って暑くなり始めた。汗を拭き拭き、ともかくも頑張ろう。

 やがて、もう一度後ろの展望が開ける箇所があり、会津駒ヶ岳がほぼ目の高さになった。先ほどの熊沢田代はもう遥か下に小さく見えている。
hiuchigatake-110.jpg

 そこから先は、日光連山が左前方に見えるようになった。男体山(2486m)、大真名子山、小真名子山、そして女峰山は、仙台へ出張する時に東北新幹線の車窓から何度も眺めているのだが、今日はそれらの山々をちょうど反対側から眺めていることになる。
hiuchigatake-111.jpg

 熊沢田代から登り続けてほぼ1時間半。双耳峰から成る燧ヶ岳の東側のピークである俎嵓(まないたぐら、2346m)に私たちは到着した。
hiuchigatake-113.jpg

 その少し前に首相官邸から国民宛のLINEメッセージがスマホに入り、広島への原爆投下の日にあたる今日は8時15分から1分間の黙祷を捧げて欲しいとのこと。ちょうど山頂に着いたばかりの私たちは、眼下に広がる山河の眺めに向かって頭を垂れた。71年前のこの日の広島にも、今日のような夏空が広がっていたはずである。
weatherchart06aug1945.jpg
(昭和20年8月6日の天気図)

 さあ、それでは、山頂からの大展望をしばし楽しむことにしよう。

俎嵓からの展望

 まず目の中に飛び込んで来るのは、尾瀬沼の全容とそれを取り囲む山々だ。正面に聳える一番高いピークが日光白根山(2578m)。私たちが立っている燧ケ岳は福島県内にあり、ここより北の日本では最も高い山なのだが、栃木県まで含めると日光白根山が一位になる。
hiuchigatake-112.jpg

 そこから目を右の方に転じると、尾瀬ヶ原の向こうに至仏山(2228m)が穏やかな山容を見せている。
hiuchigatake-114.jpg

 更に右へと首を回していくと、燧ヶ岳のもう一つのピークである柴安嵓と、その右奥に並ぶ巻機山平ヶ岳八海山、越後三山などの新潟県の山々を眺めることが出来る。
hiuchigatake-115.jpg

 それにしても、何という快晴だろう。私たちは俎嵓からの大展望を30分ほども楽しんだ後、もう一つのピーク・柴安嵓へと向かう。それは50m降りて62m登り返すことになるのだが、15分程度のものだ。

柴安嵓からの展望

 柴安嵓からは、尾瀬ヶ原と至仏山が真正面に位置している。その至仏山の右後方に谷川岳の姿も。上越国境付近も今日は完璧な快晴のようだ。
hiuchigatake-116.jpg
(矢印のピークが谷川岳)

 至仏山の左奥に並ぶのは、上州の武尊山(ほたかやま、2158m)。なかなか堂々とした容姿の山である。その武尊山と至仏山のちょうど中間の彼方にうっすらと高い山が見えている。あれは何だろうとT君と話していて、その場では結論が出なかったのだが、帰宅してからカシミール3Dで調べてみたら、何とそれは浅間山(2568m)だった。
hiuchigatake-117.jpg

 その武尊山の左の彼方には、同じく上州の赤城山(1828m)が見え、その更に左には日光連山の南端にあたる袈裟丸山(1961m)や皇海山(すかいさん、2144m)のピークが並ぶ。
hiuchigatake-118.jpg

 こうして燧ヶ岳の二つのピークから360度を眺めまわしてみると、見えるべき山は全て見えているのだが、残念ながらその殆どの山に私は登ったことがない。これまでは東京から西の方にばかり目を向けてきたが、関東と東北の接点にあたる地域にも、いい山がたくさんあるようだ。還暦になった今、山に登れる人生があと何年残っているのかは知る由もないが、自分にとって課題はまだたくさん残っているといっていいだろう。
hiuchigatake-119.jpg
(柴安嵓から俎嵓に戻る)

10:15俎嵓 → 12:50 御池駐車場

 真夏にもかかわらず視界がかなり遠くまで利いたこの日、私たちは燧ヶ岳の二つのピークで結局2時間ほども過ごすことになったが、山頂では折りたたみ傘を日傘に使っていたほどで、これ以上長居をしていたら益々日焼けをしてしまう。10時15分に下山を開始して、来た道を下った。

 下山路で印象的だったのは、やはり熊沢田代の眺めだろうか。真昼の太陽の下、熊沢田代の池塘は朝の早い時刻とはちがって、空の青を鮮明に映し出していた。
hiuchigatake-120.jpg

 地上の楽園ではないかと思えるような場所なのだが、この日に宿泊した旅館の女将の話によれば、天候の悪い日には、この熊沢田代は立っていられないほど風の強い場所なのだそうだ。今日のような好天ばかりが大自然の姿ではない。それはわかっているのだが、私にとって今日の熊沢田代は思い出に残る楽園であった。
hiuchigatake-121.jpg

 大汗をかきながら御池駐車場に帰着。隣接する「道の駅」で冷たい飲み物を買い求めて水分を補給。この日に予約してある旅館のチェックインまでにまだ時間があるので、T君の発案で私たちはここから西の奥只見湖を眺めにクルマを飛ばした。(そもそもこの国道352号は奥只見ダムの建設のために開かれた道路なのだ。)
hiuchigatake-124.jpg
(奥只見湖)

 御池駐車場から新潟県方面へ20kmほどを走り、奥只見湖が眼下に見える所で遊覧船の尾瀬口の乗り場を見つけたので、様子を見て来ることにした。そこからは一日3便の船が出るようだが、そこまでのアクセスも非常に限られたダイヤのバスしかなく、利用はしにくいのかもしれない。カンカン照りの中、船着場には人っ子一人いない。そこからは、先ほど登って来たばかりの燧ヶ岳が、双耳峰を持つ特異な山容を見せていた。
hiuchigatake-125.jpg
(只見川と燧ヶ岳)

それから私たちは車で桧枝岐方面へと戻り、御池駐車場からヘアピンカーブを下って、今夜の宿泊場所である七入山荘へと向かった。
hiuchigatake-126.jpg
(To be continued)

青と緑 - 燧ヶ岳・会津駒ヶ岳(1) [山歩き]

   
 8月5日(金)の午後5時過ぎ、旧友T君が運転する車は東北自動車道の西那須野塩原ICを降り、国道400号を山に向かっていた。

 遅れていた関東甲信地方の梅雨明けを気象庁が発表したのが7月28日(木)。東北南部も翌29日に梅雨明けとなったのだが、今年は梅雨前線の北上型ではなく消滅型での梅雨明けで、宣言の後も日本の北半分では上空に寒気が残ったために天候の不安定な日が続き、特に東北地方以北では連日の大雨となっていた。

 T君と私は、当初の予定では8月3日(水)午後の出発で夏山に出かけることにしていたのを、直前になってその日程を2日後ろにずらすことに決めた。その甲斐あって、今日は関東地方にも元気な夏空が広がり、午後3時に新宿西口でT君と集合した時には都心も大変な暑さで、登山用の荷物を抱えてT君の車に乗り込んだ私は汗まみれになっていた。

 午後5時半頃、国道400号沿道のファミレスで夕食をとる。少し早めだが、ここから先の道中にはそういう場所も殆どないようなので、今のうちに済ませておこう。ついでに隣のコンビニで今夜の寝酒と明日の朝食を調達することにして、午後6時過ぎに私たちは再び車を走らせた。

 T君と目指す今年の夏山は、燧ヶ岳(ひうちがたけ、2346m)と会津駒ヶ岳(2133m)の二座である。いずれも南会津の最南端にあり、特に燧ヶ岳の場合はそのすぐ南側の尾瀬沼が福島県と群馬県の県境だ。今夜はその燧ヶ岳の北側の登山口がある国道352号の御池駐車場に車中泊の予定で、先ほど夕食をとった場所からそこまで、山の中を抜け、平家の落人伝説のある桧枝岐(ひのえまた)村を経て、まだ97kmほどを走らねばならない。
hiuchigatake-001.jpg

 栃木県側から南会津へ。これから走る97kmはその大半が山の中の道である。それもそのはずで、地図を眺めてみると、那珂川、利根川、そして阿賀野川の三つの流域にまたがるルートなのだ。従って、必然的に分水嶺の山々を越えていくことになる。これから順に国道400号、121号、352号を走るのだが、日暮れの時刻とも重なって、沿道の風景はどんどんと寂しくなっていった。
hiuchigatake-002.jpg

 塩原温泉郷を過ぎて、那珂川流域から利根川流域へ、栃木県の中で最初の分水嶺を長大トンネルで超える。それが1988年に竣工した全長約1.8kmの尾頭(おがしら)トンネルだ。その建設を推進した地元政治家・渡辺ミッチーの銅像が塩原側に立っているのだそうだが、私たちはそれに気づかぬまま通過してしまった。

 トンネルを出ると、ほどなく国道121号と合流。そこから先は国道400号、121号、352号が重複する区間で、道路脇には三つの国道のプレートが縦に並ぶ全国でも珍しい標識を見ることができる。地図を見ると、東武鬼怒川線と会津鉄道との間を繋ぐ野岩鉄道の線路がほぼ並行して走っているはずなのだが、夕闇の迫る中、それは車窓からは見えない。
hiuchigatake-003.jpg

 やがて、短いトンネルを越えるといよいよ福島県に入る。同時にそれは、利根川流域を越えて阿賀野川の流域に入ったことを意味している。文字通り、関東と東北の境といっていいだろう。

 沿道はすっかり寂しくなった。国道といいながらもセンターラインのない箇所が多く、車の通行量は極めて少ない。そして携帯電話の電波も入らない。そんな地域にも「道の駅」があったりするのだが、この時刻にはもう店を閉じていて灯もない。なおも走り続けると、やがてT字路の上を単線鉄道のアーチ橋が横切る箇所に出た。桧枝岐へはそこを左折することになる。国道400号及び121号とはそこでお別れで、これからは352号独自のルートだ。
hiuchigatake-004.jpg
(写真はGoogleのストリートビューによる)

 夜の闇はいよいよ濃くなり始めたが、道路の左側に並行する鉄道の架線がかろうじて見えている。先ほど見た野岩鉄道の続きで、この区間は会津鉄道の線路である。旧国鉄・会津線を引き継いだ三セク鉄道だ。会津若松方面から会津田島までは戦前に開通しており、今見ている会津滝ノ原(現・会津高原尾瀬口)までの区間が完成したのは昭和28年だった。

 一方、鉄建公団が進めていた野岩線(国鉄日光線・今市⇔会津線・会津滝ノ原)の建設が、国鉄再建法の施行によって凍結されたため、既に着工していた新藤原・会津滝ノ原間の建設を三セクの野岩鉄道が引き継いだのが昭和57年。この区間はJR発足の前年の昭和61年秋に会津鬼怒川線として開業し、4年後の平成2年には会津鉄道の南端が電化されて、東武鉄道からの直通列車が会津田島まで運行されるようになった。要は、大正11年の改正鉄道敷設法の別表に記載された予定線「栃木県今市ヨリ高徳ヲ経テ福島県田島ニ至ル鉄道」が、68年の歳月をかけて、東武鬼怒川線と接続する形で実現したことになる。

 なお、旧国鉄・野岩(やがん)線及び野岩鉄道というネーミングは、「下野国」(栃木県)と「岩代国」(福島県会津地方)を結ぶことに由来するのだそうである。

 さて、日はとっぷりと暮れて、国道352号に並走していた会津鉄道の築堤も見えなくなった。対向車も殆どない寂しい道を走り続け、幾つかの集落を抜けると、再びT字路に。それを左折すれば、いよいよ桧枝岐村へのラストスパートだ。
hiuchigatake-005.jpg

 宵闇の中を15kmほど走ると旅館の灯の数々が現れ始める。だがそれもしばらくの間だけで再び深い闇が始まり、道路も上り坂に入った。七入(なないり)という地区で、標高が1,000mを少し超えた所だ。それからはヘアピンカーブが続き、高度をぐんぐんと上げていく。そして、その坂道をほぼ登り切る手前で左側の駐車場へと道が分かれた。450台ほどのキャパを持つ御池(みいけ)駐車場。ここが今夜の目的地だ。時刻は午後8時10分になろうとする頃だった。

 車を停めて外に出ると、頭上にはたくさんの星が出ていた。考えてみれば、一昨年の夏から今年まで、私にとっての夏山は三年連続で前夜が駐車場での車中泊だ。そして、一昨年の鳥海山も昨年の北アルプス・扇沢も、駐車場では今夜のように星空がきれいだった。これならば、明日もきっと好天に恵まれることだろう。空の青と夏山の緑が楽しみだ。

 後部座席を倒して寝る場所を作り、T君と二人で寝酒の缶ビールを開けると、程なく私たちは眠りに落ちていた。
(To be continued)


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。