青と緑 - 燧ヶ岳・会津駒ヶ岳(2) [山歩き]
8月6日(土)
車の中での睡眠は途切れ途切れだった。
尾瀬・燧ヶ岳(2356m)の北麓にある御池駐車場は、標高1500mだから上高地と同じ。5センチほど開けておいた運転席の窓から入って来る外気は思いの外冷たく、車内でシュラフ(寝袋)を被っていた私は、そのために何度か目を覚ました。
そして、午前4時。T君が起き出した物音で私も再び目を覚まし、朝の支度を始める。車の外に出ると星々は急速にその姿を消しつつあり、尾瀬御池ロッジの向こうの空が明るくなり始めていた。これは素晴らしい天気になりそうだ。
T君が湯を沸かしてくれて、カップ麺で手短に朝食を済ませる。荷物を確認し、水を多めに持って、4時55分に駐車場を出発。燧ヶ岳への登山道に入る。ヘッドライトはもう点灯しなくてもいい明るさになっていた。
04:55 御池駐車場 → 05:45 広沢田代
御池駐車場からしばらくは森の中の木道が続いていたが、それが終わるといきなり急登が始まる。それも、大きな岩がゴロゴロとしている上に、山からの湧水が豊富であちこちにぬかるみが出来ている。
これから登る燧ヶ岳は火山で、最後の噴火は1544年頃というから室町時代の末期、鉄砲伝来の翌年ということになる。それならば岩がゴロゴロとしていても不思議はないが、その火山の山麓がこれほど緑豊かであるのは、冬の間にこの地方に降り積もる多量の雪の賜物なのだろう。
最初のピッチから急登が続くのは辛いが、我慢して登り続けると次第に傾斜が緩やかになり、広々とした草原状の地形に出る。そこが広沢田代だ。鮮やかな夏の緑が草原いっぱいに広がり、池塘が朝の光に輝いている。私が楽しみにしていた空の青と夏山の緑の組み合わせが、早くも始まった。
05:50 広沢田代 → 06:35 熊沢田代
短い休憩を取ってから出発。草原の中に続く木道は再び森の中に入り、しっかりとした登りが続く。そして30分ほどで後ろを振り返ると、明日登る予定の会津駒ヶ岳(2133m)が、その大きな姿を見せていた。
それから一登りで再び草原状の、広沢田代よりも更に雄大な眺めが広がる熊沢田代に出た。二つの池塘の間に木道が続き、彼方には燧ヶ岳のピーク(の一つ)が見えている。
ここには池塘の前にベンチが用意されているので、ゆっくり出来る。そこから西側を眺めると、越後駒ヶ岳(2003m)をはじめとする越後三山がきれいに並んでいた。
06:45 熊沢田代 → 08:12 俎嵓
眺めの良い熊沢田代で10分休憩を楽しんだ後、再び出発。ここから先は植生もだいぶ低くなって来るので、見晴らしの良いポイントが続く。振り返ると先ほどの熊沢田代が早くも眼下に見えている。
なおもしっかりとした登りが続くので、ここが今日の正念場。太陽も昇って暑くなり始めた。汗を拭き拭き、ともかくも頑張ろう。
やがて、もう一度後ろの展望が開ける箇所があり、会津駒ヶ岳がほぼ目の高さになった。先ほどの熊沢田代はもう遥か下に小さく見えている。
そこから先は、日光連山が左前方に見えるようになった。男体山(2486m)、大真名子山、小真名子山、そして女峰山は、仙台へ出張する時に東北新幹線の車窓から何度も眺めているのだが、今日はそれらの山々をちょうど反対側から眺めていることになる。
熊沢田代から登り続けてほぼ1時間半。双耳峰から成る燧ヶ岳の東側のピークである俎嵓(まないたぐら、2346m)に私たちは到着した。
その少し前に首相官邸から国民宛のLINEメッセージがスマホに入り、広島への原爆投下の日にあたる今日は8時15分から1分間の黙祷を捧げて欲しいとのこと。ちょうど山頂に着いたばかりの私たちは、眼下に広がる山河の眺めに向かって頭を垂れた。71年前のこの日の広島にも、今日のような夏空が広がっていたはずである。
(昭和20年8月6日の天気図)
さあ、それでは、山頂からの大展望をしばし楽しむことにしよう。
俎嵓からの展望
まず目の中に飛び込んで来るのは、尾瀬沼の全容とそれを取り囲む山々だ。正面に聳える一番高いピークが日光白根山(2578m)。私たちが立っている燧ケ岳は福島県内にあり、ここより北の日本では最も高い山なのだが、栃木県まで含めると日光白根山が一位になる。
そこから目を右の方に転じると、尾瀬ヶ原の向こうに至仏山(2228m)が穏やかな山容を見せている。
更に右へと首を回していくと、燧ヶ岳のもう一つのピークである柴安嵓と、その右奥に並ぶ巻機山、平ヶ岳、八海山、越後三山などの新潟県の山々を眺めることが出来る。
それにしても、何という快晴だろう。私たちは俎嵓からの大展望を30分ほども楽しんだ後、もう一つのピーク・柴安嵓へと向かう。それは50m降りて62m登り返すことになるのだが、15分程度のものだ。
柴安嵓からの展望
柴安嵓からは、尾瀬ヶ原と至仏山が真正面に位置している。その至仏山の右後方に谷川岳の姿も。上越国境付近も今日は完璧な快晴のようだ。
(矢印のピークが谷川岳)
至仏山の左奥に並ぶのは、上州の武尊山(ほたかやま、2158m)。なかなか堂々とした容姿の山である。その武尊山と至仏山のちょうど中間の彼方にうっすらと高い山が見えている。あれは何だろうとT君と話していて、その場では結論が出なかったのだが、帰宅してからカシミール3Dで調べてみたら、何とそれは浅間山(2568m)だった。
その武尊山の左の彼方には、同じく上州の赤城山(1828m)が見え、その更に左には日光連山の南端にあたる袈裟丸山(1961m)や皇海山(すかいさん、2144m)のピークが並ぶ。
こうして燧ヶ岳の二つのピークから360度を眺めまわしてみると、見えるべき山は全て見えているのだが、残念ながらその殆どの山に私は登ったことがない。これまでは東京から西の方にばかり目を向けてきたが、関東と東北の接点にあたる地域にも、いい山がたくさんあるようだ。還暦になった今、山に登れる人生があと何年残っているのかは知る由もないが、自分にとって課題はまだたくさん残っているといっていいだろう。
(柴安嵓から俎嵓に戻る)
10:15俎嵓 → 12:50 御池駐車場
真夏にもかかわらず視界がかなり遠くまで利いたこの日、私たちは燧ヶ岳の二つのピークで結局2時間ほども過ごすことになったが、山頂では折りたたみ傘を日傘に使っていたほどで、これ以上長居をしていたら益々日焼けをしてしまう。10時15分に下山を開始して、来た道を下った。
下山路で印象的だったのは、やはり熊沢田代の眺めだろうか。真昼の太陽の下、熊沢田代の池塘は朝の早い時刻とはちがって、空の青を鮮明に映し出していた。
地上の楽園ではないかと思えるような場所なのだが、この日に宿泊した旅館の女将の話によれば、天候の悪い日には、この熊沢田代は立っていられないほど風の強い場所なのだそうだ。今日のような好天ばかりが大自然の姿ではない。それはわかっているのだが、私にとって今日の熊沢田代は思い出に残る楽園であった。
大汗をかきながら御池駐車場に帰着。隣接する「道の駅」で冷たい飲み物を買い求めて水分を補給。この日に予約してある旅館のチェックインまでにまだ時間があるので、T君の発案で私たちはここから西の奥只見湖を眺めにクルマを飛ばした。(そもそもこの国道352号は奥只見ダムの建設のために開かれた道路なのだ。)
(奥只見湖)
御池駐車場から新潟県方面へ20kmほどを走り、奥只見湖が眼下に見える所で遊覧船の尾瀬口の乗り場を見つけたので、様子を見て来ることにした。そこからは一日3便の船が出るようだが、そこまでのアクセスも非常に限られたダイヤのバスしかなく、利用はしにくいのかもしれない。カンカン照りの中、船着場には人っ子一人いない。そこからは、先ほど登って来たばかりの燧ヶ岳が、双耳峰を持つ特異な山容を見せていた。
(只見川と燧ヶ岳)
それから私たちは車で桧枝岐方面へと戻り、御池駐車場からヘアピンカーブを下って、今夜の宿泊場所である七入山荘へと向かった。
(To be continued)