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会津・上越 各駅停車 (2) [鉄道]


 10月1日(土)午前5:50、会津若松駅の4番ホームはひっそりと朝を迎えていた。

 まだ薄暗いホームを照らす寂しげな灯り。そのホームの向こうへと真っ直ぐに伸びていく単線鉄道のレールと、そこから分岐していく支線の数々。そして彼方に黒々と続く見知らぬ形の山並み・・・。一人旅にはこんな光景が似合っている。
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 ホームにはディーゼル・エンジンを重々しく響かせる二両連結のキハ。只見線の会津川口行き始発列車で、乗客は一両に4~5名。私は先頭車両中ほどの右側のボックス席に居場所を定める。前の座席に足を投げ出し、カメラを点検。デイパックに入れて来た「鉄道地図」を膝の上に。窓側の席から外を眺め続ける「乗り鉄」の長い一日が始まろうとしている。
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423D (06:00 会津若松 → 08:04 会津川口)

 定刻の午前6時。ディーゼル・エンジンが一段と唸りを上げて、ゆっくりと動き出す。爽やかな青空の下、秋の陽がたっぷりと降り注いだ昨日からは天気が変わり、今朝は会津若松の町並みが軽い雨に煙っている。

 昨日の午後は会津若松で仕事上の用事をこなし、夜はその流れで大宴会。殆どの人たちとは初対面だったのだが、最初からうちとけてしまい、地元企業から差し入れていただいた会津の銘酒の数々が片っ端から空瓶に。今朝はその酒が若干残っていなくもないのだが、これから「乗り鉄」をするんだと思えば大丈夫。週初から仕事の忙しい日々が続いたことも忘れて、今日は列車の旅を楽しむことにしよう。
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(会津盆地を大きく南へ迂回する只見線)

 会津若松を出た後、只見線はしばらく南下を続け、会津盆地を右回りでほぼ半周するようなルートを走る。只見方面を目指すにはずいぶんと遠回りで、どうしてこんなルートになったのか。一級河川の阿賀川を渡り、只見線の駅としては会津盆地の一番南に位置する会津本郷駅付近では、天気が良ければ北方に磐梯山や飯豊山を眺めることが出来るはずである。
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(只見線・会津本郷駅付近からの展望を再現)

 会津盆地を半周し、途中8つの駅で地元の高校生たちを少しずつ乗せて、8:36に会津坂下(あいづばんげ)駅に到着。7分停車の間に上り列車と交換する。ここが只見線のルート上では会津盆地の北西の端になり、あたり一面の田の風景ともここでお別れだ。昨日の午後から楽しんできた、秋の実りの美しい風景。その会津が戊辰戦争ではなぜあのような悲惨な目に遭わねばならなかったのか。歴史は時として理不尽なことがあるものだ。

 会津坂下を出た列車は進路を西に変え、ちょっとした山の尾根をトラバース状に左カーブで越えていく。それなりの勾配があるようで、キハはゆっくりと走るのだが、そのトラバースで尾根の反対側に出たあたりの森の中にあるのが、塔寺(とうでら)という無人駅だ。
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(会津坂下を出て只見川の渓谷に近づいていく只見線)

 一見したところ、近辺に民家は全く見当たらず、いったいどんな人が利用する前提でこの駅が設けられたのだろう。更には、列車が動き出してから気がついたのだが、ホーム上の小さな待合室に「熊出没注意」という貼紙が。それも、
 「ホーム付近にも出没しています。見かけたら躊躇なく待合室に避難してください。」
などと恐ろしげなことが書いてある。私はこの貼紙を写真に残すことは出来なかったが、ネット上にはこんな記事もあるので、ご参考まで。
http://photozou.jp/photo/show/1162398/184122913

 次の会津坂本駅も人っ子一人いない無人駅だが、右側の窓のすぐ側にまで栗の木が迫っていて、実に見事な栗の実を枝にたくさんつけている。これならやっぱり熊は出るんだろうな。
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 このあたりで只見川の流れが右から近づいて来て、只見線はその渓谷を遡るようになる。次の駅が会津柳津(あいづやないづ)で、温泉町のある所だ。只見線は会津若松からここまでが会津線と呼ばれる軽便鉄道として1928(昭和3)年までに開通し、ガソリン・カーが走っていたという。

 只見線のルートはいよいよ只見川の渓谷に近づいて行く。二回ほど鉄橋で川を渡り、7:29に会津宮下駅に到着。ここで再び上り列車と交換するため8分間の停車だ。只見線全線の内、戦前に開通したのは会津若松からここまでの区間である。
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(ローカル線色たっぷりの会津宮下駅)

 会津宮下から先は只見線の核心部に入ったといっていいだろう。一度鉄橋を渡ってトンネルに入り、それを出たところが早戸駅。そこからしばらくは只見川の渓谷を左手に見るようになり、会津水沼で再び右岸へと渡る。確かにこれが紅葉の時期だったなら、素晴らしい渓谷美を楽しむことが出来るだろう。
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 こんなに険しい地形の中でよくぞ鉄道を通したものだと感心してしまうが、先ほどの会津宮下からこの列車の終点の会津川口までは、戦後になって田子倉ダムの建設のために建設された区間なのである。開業は1956(昭和31)年9月だから、私と同様、今年で還暦ということになる。
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(第4只見川橋梁を渡る)

 会津若松を出てから既に2時間。飽きもせず窓の外を眺め続けて来たが、終点は近い。

 8:04 ついに会津川口駅に到着。列車から島式の一本のホームに降りたのは、地元の高校生たちが10人ちょっとと、他には私を含めて乗り鉄が2人だけ。ホームからは只見川の流れも見えている。
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(会津川口駅)

 列車はここが終点なのだが、レールはここで行き止まりになっている訳ではない。ここから先も只見川の上流に向かって鉄路が続いているのだが、今は列車が走ることはない。5年前の夏の豪雨による洪水で、この先は3箇所の鉄橋が落ちたままになっているのだ。
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 只見線の旅も、いよいよその最深部へと入ることになる。この先にはどんな景色が待っていてくれるだろうか。
(To be continued)

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