So-net無料ブログ作成

冬は北へ (4) 不老不死温泉 [自分史]


 朝7時に目が覚めた。

 旅に出ているにしては朝寝坊をした。木造の古い建物で夜間は客室内もぐっと気温が下がる八甲田の酸ヶ湯温泉とは違い、ここ黄金崎不老不死温泉は室内のエアコンが快適に効いている。それもあって私はぐっすり眠りこんでしまったようだ。家内の姿がないが、温泉に来た時はいつものことで、朝食前の湯に浸かりに行ったのだろう。

 窓のカーテンを開けると、視野いっぱいに冬の日本海が広がる。今朝は風もあまりなく、この時期としては穏やかな眺めである。
to-the-north-201.jpg

 今朝のスケジュールはゆっくりしている。JR五能線の秋田行「リゾートしらかみ2号」がウェスパ椿山駅を出るのが11:15で、それに合わせて(といってもだいぶ早めだが)この温泉からの送迎バスが10:00に出る。要するに旅館の中で10時前までゆっくり出来る訳だ。品数のとても豊富な朝食をゆっくりいただいた家内と私は、名物の露天風呂へ行ってみることにした。

 本館の下から岩浜に降りる通路があって、それを辿ると日本海の波打ち際の直ぐ近くに露天風呂が用意されている。女性用は目隠し的に壁が高くなっているのだが、男性用はそれがないから、湯に浸かると日本海の波濤が本当に目の前だ。
to-the-north-202.jpg

 ここへのカメラの持ち込みは禁止なので、そのダイナミックな眺めを画像に残すことは出来ないが、なるほど、これは絶景である。こういう楽しみがあるのだから、やっぱり日本はいいなあ。
to-the-north-203.jpg
(空から見た黄金崎不老不死温泉と露天風呂)

 館内の大浴場も海に面した露天風呂もそれぞれに満喫した私たちは、予定通りの送迎バスに乗る。雪深い八甲田の酸ヶ湯と、冬の日本海を目の前にした不老不死温泉。いずれも思い出深い滞在となった。
to-the-north-204.jpg

 ウェスパ椿山の駅前で1時間近くの列車待ち。周辺には観光施設も幾つかあるのだが、私たちは眺めるだけで、とりたてて買う物もない。そうこうしている内に、外では雪がちらつき始めた。

 本来は11:15発のリゾートしらかみ2号が5分ほど遅れてやって来た。ハイブリッド車両だった昨日の「橅(ぶな)編成」とは異なり、純粋に気動車の「くまげら編成」と呼ばれる車両だ。これから秋田まで2時間12分の列車旅である。
to-the-north-205.jpg

 ウェスパ椿山を出てしばらくすると、昨日同様、列車は日本海の海岸線を忠実に南下していく。忠実というより、白神山地の山並みが海の直ぐ近くまで迫っているため、列車は海岸線を辿らざるを得ないのだ。

 程なく列車は県境を越えて秋田県内に入り、ウェスパ椿山から30分ほどで岩館駅に到着。このあたりからは海沿いに奇岩の並ぶ風景が続き、一部の箇所では乗客のために列車が敢えて速度を落として運転している。
to-the-north-206.jpg

 五能線の車窓いっぱいに広がる日本海の眺めを昨日から堪能してきたが、列車が東八森駅を通過した頃から次第に海岸線を離れ、能代平野の雪景色の中を南下していく。そして、米代川を鉄橋で渡ると能代、更に6分ほど走ると東能代に到着。五能線と奥羽本線の接続駅で、列車はここでスイッチバックして秋田へと向かうことになる。
to-the-north-207.jpg
(東能代駅ホームの秋田方)

 かつては尾去沢や阿仁などの鉱山から採掘される鉱石を運ぶため、米代川を上下する水運業が盛んだった能代。東北地方日本海側の幹線鉄道・奥羽本線が、なぜその能代を通らずに建設されたのか。それは、「能代に鉄道が来ると水運と港が廃れる」という、明治の比較的早い時期には日本各地でよくあった地元の反対運動によるものだったという。従って、能代の中心街からかなり離れた現在の東能代駅を通る形で1901(明治34)~1905(同38)年にこの区間の奥羽本線が開業。すると1908(同41)年に東能代・能代間に支線が建設されて貨物の取り扱いを開始。そして程なく旅客の扱いも始まった。それだったら最初から反対などしなければ、という気もするが、いずれにしてもこの支線が後の五能線で最も早く開業した区間となった。
to-the-north-212.jpg

 進行方向が今までとは反対になったリゾートしらかみ2号は、定刻の12:29に東能代を発車。ウェスパ椿山で乗った時の5分程度の遅れをこの時点で取り戻していた。ここまで来ると秋田も近いように思ってしまうが、実際にはこの快速列車でもまだ1時間かかる。車窓からは山も海も遠ざかり、一面の雪に覆われた水田地帯をひたすら南下。立体的な風景といえば、進行右手の彼方に見える男鹿半島の背骨の山々ぐらいだろうか。
to-the-north-208.jpg

 13:27 小雪の舞う秋田駅に到着。乗り継ぎの東京行き秋田新幹線まで46分の時間があるので、駅ビルで食べ物を買うことにしよう。それにしても、今回の旅で五能線全線を踏破出来たことは本当に嬉しい。将来いつか越後線の新潟・柏崎間に乗ることが出来れば、私の列車旅の軌跡は北陸本線の敦賀以北の日本海沿岸路線が全て繋がることになる。
to-the-north-210.jpg
(秋田駅ホームの東京方)

 14:13秋田発、こまち24号に乗車。家内と二人、青森から二泊三日で北東北を右回りに巡って来た冬の旅は、早いものでもう帰京の行程に入った。大曲で進行方向が変わって田沢湖線に入ると、車窓には少しずつ山々が迫り始める。14:57 ひっそりと雪に埋もれた角館駅に停車。一昨年の秋、やはり家内と二人でこの街を訪れた時は紅葉が真っ盛りだった。それは春の桜の時期と並ぶ角館観光のハイ・シーズンなのだが、見覚えのあるこの街の冬景色も、これはこれで何とも味がある。一面の雪原の中に細々と続く秋田内陸縦貫鉄道の単線レールが、胸に沁みた。

 冬は北へ行こう。そう思い立って、敢えて大寒の時期に北東北への旅に出た私たち。その旅先で出会ったのは、真冬の季節だからこそ接することの出来る北東北の自然の寡黙な美しさであった。普段から素朴な味わいを持つ東北地方の、これこそが真骨頂と言えばいいだろうか。私は北国がますます好きになってしまった。そして、いつもは寒がりの家内がそんな私に付いてきて北東北の冬景色を一緒に楽しんでくれたことが、今は何よりも嬉しい。

 左の車窓には、この季節にしては珍しく、秋田駒ヶ岳が堂々としたその全容を見せている。今回の旅についてのブログ記事の初回は雪の岩手山の画像から始めたので、フィナーレにはこの秋田駒の画像を使うことにしよう。こんな眺めに誘われるようにして、私たちはこれからもまた、東北へ旅に出るのかもしれない。

to-the-north-211.jpg

冬は北へ (3) 五能線 [自分史]


 JR弘前駅3番ホームに、先ほどまで側線に停まっていた四輌編成の列車が、青森方からゆっくりと入線して来た。爽やかな緑色に包まれたそれは、昨年(2016年)7月にデビューしたばかりの新型車輌、HB-E300系だ。電気でモーターを動かして走るのだが、電源はディーゼルエンジンで回す発電機とリチウムイオン蓄電池で、発車時・加速時・減速時にその二つを使い分けるハイブリッド車輌なのである。これが全席指定の快速「リゾートしらかみ4号」として、これから五能線を経由して秋田までの区間を走るのだ。
to-the-north-121.jpg

 車内に入ると、前後の座席の間隔がとても広いのでゆったりとしている。何よりも窓が上下に大きいので視界が広い。そして私たちが指定席を取った3号車は後ろ半分が洒落たカウンターになっている。
to-the-north-110.jpg

 列車は定刻から数分遅れで出発。奥羽本線の川部まで二駅戻り、そこから進行方向を変えて五能線へと入る。本来の始発駅である青森から乗る予定だった人々のために、おそらくはJRが急遽バスでも仕立てたのだろう。川部駅での5分間の停車時間の間に乗客が次々に乗り込み、座席はほぼ埋まった。

 五能線の東側は1918(大正7)年に川部・五所川原間を開業させた私鉄の陸奥鉄道がその前身にあたる。奥羽本線は青森から弘前を経由して秋田までの間が既に明治時代に官営鉄道として開業しており、陸奥鉄道はその官設鉄道と五所川原を結ぶ役割を担っていた。1925(大正14)年には日本海側の鯵ヶ沢まで延伸開業していたが、金融恐慌が起きた1927(昭和2)年に陸奥鉄道は国有化されて「五所川原線」になり、1934(昭和9)年に鉄路を深浦まで伸ばしていた。今日の私たちは深浦の3つ先のウェスパ椿山まで行く予定なので、戦前の五所川原線の部分を全て走ることになる。
to-the-north-118.jpg

 4号車が先頭になって、「リゾートしらかみ4号」は平野の中を軽快に北上。頭を雲の中に隠した岩木山は、今度は左の車窓に見えている。寒冷前線の通過で強風が吹き荒れた昨日はこの列車が全面運休になったのだが、幸いにして今日は、(おそらく下り列車の遅延が原因で青森・弘前間が運休になったものの)弘前から先の上り方面は平常通り運行されている。

 後になって気象庁のHPからデータを拾ってみてわかったのだが、昨日(1月27日)は日本海に面した深浦で朝の8時頃から瞬間風速が20m/秒を超え、強風のピークとなった午前11時代にはそれが25m/秒を超えていたのだ。五能線は瞬間最大風速が20m/秒を超えると減速、25m/秒を超えたら運休になるそうなので、昨日はまさにそれに当てはまる日だったことになる。そして、日付が替わってからはそれが20m/秒を超えることはなくなり、次第に弱まっていったので、全面運休になることは免れた訳だ。本当に一日違い。我ながら「持ってた」のかもしれない。
to-the-north-120.jpg
to-the-north-119.jpg
(10分毎の瞬間最大風速の推移)

 15時08分、五所川原に到着。そして列車が再び動き出した時に右の窓の外に注目していると、津軽鉄道のホームと停車中の現役気動車、そして廃車後も留置線に置かれたままの古い気動車の姿が見えた。
to-the-north-111.jpg

 旅客を扱うものとしては今や日本最北の私鉄となる津軽鉄道。これは前述した陸奥鉄道が昭和2年に国有化された時、出資金が倍になって戻って来た旧陸奥鉄道の株主たちが、もう一つ鉄道を作ろうということで新たに会社を設立し、昭和5年に五所川原の北方、金木までの区間を開業させたのだそうで、歴史が繋がっていてなかなか興味深い。

 その五所川原を出ると、五能線は大きく左へカーブし、岩木山の北麓を西に向かって走る。そして五所川原から僅か20分ほどで、右の車窓には日本海が一気に広がった。途端に車内では歓声が上がる。皆、この眺めを待っていたのだ。
to-the-north-112.jpg

 15時33分、鯵ヶ沢駅に到着。かつては廻船の寄航地として栄えた港町だ。その名前からしていかにも海の幸が美味しそうで、名物はヒラメやヤリイカなのだとか。ここで下車せずに列車に乗り続けるのは何だか惜しい気もしてくる。

 海の眺めが始まり出した五能線。全長147kmの内86kmの区間で海が見えるこの路線は、いよいよこれからがハイライト部分だ。何と言ってもその86kmの内の殆どの区間は本当に海岸線のすぐ近くを走り、風の強い日は線路が波を被るのではないかと思うような箇所の連続なのである。

 窓一杯に広がる冬の日本海。それを眺めたのは何年ぶりのことだろう。その荒涼とした眺めが旅情を誘う。

 鯵ヶ沢から海岸線をたどること20分。陸が北に向かって海に突き出した所で、駅舎もなくホームが一本だけの「千畳敷」という無人駅に着く。快速「リゾートしらかみ4号」はここで15分停車。その間に乗客は駅前の道路を渡って海岸まで降りることが出ることができるのだ。その昔、殿様がこの千畳敷で大宴会を開いたという、あたり一面の岩床。それが1792(寛政4)年に起きた地震による隆起で出来上がった地形だというから驚いてしまう。
to-the-north-122.jpg
(空から見た千畳敷海岸)

 防寒着に身を固め、家内と二人して千畳敷の岩床に立つ。「寄せては返す」という悠長な響きとは異なり、もっと猛々しい日本海の波。時刻は16時を回ったところだ。思えば今朝は八甲田山麓の雪深い酸ヶ湯温泉にいたのに、7時間後の今は冬の海を目の前にしている。遠くへやって来たものだと、改めて思う。
to-the-north-113.jpg
to-the-north-114.jpg

 発車3分前になると列車は汽笛を鳴らせてくれて、それを合図に乗客は列車に戻る。先ほど海に出る時には気づかなかったのだが、線路の陸側には岸壁が迫り、そこからの湧水が凍結した姿が続いている。「氷のカーテン」と呼ばれる、これまた冬の五能線の名物なのである。
to-the-north-115.jpg

 千畳敷を過ぎると、海岸線は南西へと向きを変える。つまり、右側の車窓に広がる海は概ね日没の方角になる訳で、ここから深浦駅の少し先までの区間は海と夕焼けを眺めることの出来る区間なのである。

 もっとも、「リゾートしらかみ4号」の場合は千畳敷発が16時13分、深浦着が16時37分、そして私たちが降りるウェスパ椿山着が16時53分だから、この時間帯の間に日没になる季節でないと、海に没する太陽は見られない。今日、1月28日の青森市の日の入りは16時49分、方角は246.5度(つまり西南西より21.5度だけ北)だから、ウェスパ椿山に着く直前にその光景に出会う可能性がゼロではないのだ。

 列車はほぼ定刻の運行で、深浦駅で上りの「リゾートしらかみ5号」と待ち合わせ。雲の垂れ込めた冬空が、灰色なりに日没が近い色調になってきた。弘前から続いた私たちの列車の旅も、残りはあと17分。列車はなおも変化に富んだ海岸線を几帳面に辿っていく。そして、何ということだろう。その頃から日没の方向で海の彼方の雲が切れて夕日が差しはじめたのだ。

 列車の大きな窓ガラスに釘付けになる家内と私。そして、おそらくは横磯という無人駅を通過した頃だったのだろう、海を赤く染めながら日本海に沈む直前の太陽の姿が私たちの目の前に広がった!
to-the-north-116.jpg

 何という幸運。家内も私も、言葉が見つからない。旅先でこんな風景に出会えたことに、何と言って感謝を捧げればいいのだろう。

 その余韻に浸るのも束の間、ウェスパ椿山到着が近いことを告げる車内放送。荷物を持ってホームに出ると、ここも駅舎のない無人駅だが、目の前の広場に送迎バスが待っている。結構な人数がそれに乗り込み、海を見下ろす道を10分ほど走って、今日の目的地黄金崎不老不死温泉に到着した。

 全室がオーシャン・ビューのこの温泉旅館。部屋に通されると、既に陽が沈んだ海と空が今日最後の輝きを失いつつあった。
to-the-north-117.jpg

 やはり、旅に出てよかった。
(To be continued)


冬は北へ (2) 弘前城 [自分史]


 明け方に目が覚めた。部屋の中で寝ているのに鼻の頭が冷たい。布団の中は暖かいが、室内はかなり寒くなっていた。

 東京のマンションで生活していると、一晩中暖房(エアコン)をつけ続けることはまずないし、ましてや目の前でガスが燃焼しているストーブをつけたまま寝てしまうのは何だか無用心だ。そんな訳で家内と私はガス・ストーブを切って寝たのだが、青森県・八甲田山の山麓、標高900mの酸ヶ湯(すかゆ)温泉旅館では、真冬ともなると木造の建物は夜の間にかなり熱を奪われてしまうようだ。逆に、そういう体験が私たちにとっては新鮮である。

 ストーブを点火してから暫くまどろみ、部屋の中が相応に暖かくなったのは午前6時に近い頃だっただろうか。おそらくは旅館で働く人々が既に朝の仕事を始めているのだろう。そんな足音が廊下から聞こえて来る。私たちも起き出して、朝食前にこの旅館の「ヒバ千人風呂」に浸かりに行くことにした。東京でもようやく窓の外が明るくなり始める時刻。千人風呂の大きな浴室でも、濃い湯煙の中でぼんやりとした窓の光が並んでいた。

 旅館の朝は早い。朝食は6時45分からなのだが、その時刻に食堂へ行ってみると、バイキングの前に結構長い列が出来ていた。用意されていた料理の数はとても多く、自分の皿の上はあっという間に一杯になってしまう。中でも、「キノコの南蛮漬」という青唐辛子がピリッと効いた青森名物の漬物が美味しかった。

 東京に住む私たちが、いつかまたこの酸ヶ湯温泉を訪れる機会はあるだろうか。そう思うと、私たちは食後ももう一度湯に浸かりに行ってしまう。再び千人風呂の硫化水素の匂いと白い湯煙に包まれながら、この温泉との別れを惜しんだ。去り難い気持ちはあるが、身支度を整え、これから8時50分発のバスで青森駅に戻らねばならない。
to-the-north-101.jpg

 雪の国道を下り、ちょうど1時間ほどで青森駅前に着くと、あたりには冷たい風が強く吹きつけていた。駅ビルに入り、まずはJRの窓口で列車の運行状況を確認する。五能線を走る快速「リゾートしらかみ」が予定通り運行されるかどうかが気になっていた。まだ1月というのに「春一番」の気圧配置になった昨日は、強風のために「リゾートしらかみ」は全面運休だったのである。

 「今日は今のところ、運休にはなっていません。風が強いと速度を落とすので、遅れが出るかもしれませんが。」

 よかった。後はこれからの天気次第だ。気を取り直した私は駅ビルの中で家内と熱いコーヒーをすすり、奥羽本線のホームへと向かう。これから秋田行きの普通列車に乗り、弘前まで45分ほどの旅だ。
to-the-north-102.jpg
(左は津軽線の気動車。右が奥羽本線の交流電車)

 新青森の次の津軽新城という駅を過ぎると、奥羽本線は谷の中に入り込み、雪が深く人家も少ない中を走る。そして、トンネルを抜けて大釈迦という駅で貨物列車との待ち合わせを済ませると、再び平野に出て、右の窓に岩木山(1625m)の広い裾野が現れた。津軽富士の別名を持つこの名峰。全容を是非眺めてみたいものだが、今日は半分から上が雲に覆われている。

 一面の雪に覆われた平野の景色の中を走り続け、11時25分に予定通り弘前駅に到着。大荷物をコインロッカーに預け、私たちはタクシーで弘前公園に向かった。何はともあれ、弘前城を見てみよう。

 追手門の前でタクシーを降りると、弘前城の外堀が凍結しているのに、まず驚いた。
to-the-north-103.jpg

 なるほど、この季節になると、東北地方ではお堀もこんな風に凍ってしまうんだ。本当に戦になったらお堀としては機能しないのではないか? そんなことを考えながら追手門をくぐると、桜の木が並ぶ城内は更に深い雪の中だ。内堀の前では木の枝が凍りついている。1月28日の今日は七十二候の「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」の最中だが、あたりはまさに雪と氷の世界である。
to-the-north-104.jpg

 足元に気をつけながら城内を進む。こんな時期だから本丸も閑散としたものだ。桜の時期ならば大変な混雑であろう天守の前も、訪れているのは私たちを含めて10人足らずである。
to-the-north-105.jpg

 弘前城の築城が始まったのは、家康の将軍宣下が行われた1603(慶長8)年だそうだが、1627(寛永4)年に落雷を原因とする火災と爆発で天守が焼失したため、この城には以後200年近く天守がなかったという。その再建が認められたのは幕末も近い1810(文化7)年。しかも、戊辰の戦では弘前藩が途中で奥羽越列藩同盟を脱退して官軍側についたために、弘前は戦場にならなかった。要するに弘前城は戦を経験することなく使命を終えた訳なのだが、再建しても結果的には無用に終わった天守が、今は国の重要文化財になっているのだから、歴史とは不思議なものである。

 天守の立つ場所からは、後方に岩木山方面の展望がある。この時間になっても岩木山の上半分は雲の中で、三つのピークを持つ津軽富士の全容を眺めることは、残念ながら今回は無理そうだ。
to-the-north-106.jpg

 今朝、青森駅前は風が強くて寒かったのに、ここ弘前は風も穏やかで、一部に青空ものぞいている。気分がいいので、散歩がてらに私たちは結局弘前駅前まで歩いて戻ることになった。お昼時を過ぎてはいるが、どこかで店に入って食事をするほど空腹でもない。その代わり、駅の近くで「虹のマート」というローカル色の濃厚な市場を見つけたので、この後に乗る列車の中でのおつまみ物を買い求めることにした。弘前名物のイカメンチ(メンチカツのイカ版)。これはビールのつまみに最高である。
to-the-north-107.jpg

 弘前駅に戻ると、五能線を走る14時30分発の秋田行き快速「リゾートしらかみ4号」の表示が出ていた。昨日は強風で運休になっていたので、今日は運行されるかどうか気を揉んでいたのだが、どうやらそれは取り越し苦労で済んだようだ。
to-the-north-108.jpg

 とはいうものの、一つ奇妙なことに気がついた。リゾートしらかみ4号は青森発13時51分の列車で、弘前着が14時26分だから、本来はまだこの駅には着いていないはずである。それなのに、弘前駅には「橅(ぶな)編成」と呼ばれる爽やかな緑色のその姿が既にあり、しかもまだ客扱いをせずに側線に停まっているのだ。
to-the-north-109.jpg

 それは何故か。しばらく考えているうちに見当がついた。今日のリゾートしらかみ4号の車両は、HB-E300系という新型のハイブリッド車で、下りの「リゾートしらかみ1号」として08時20分に秋田を発ち13時30分に青森に着く列車の折り返しである。もしかすると、今日も五能線の沿線のどこかで強風が吹き、減速や徐行によって遅れが出たために弘前・青森間の運行を1号・4号共に取り止め、改めて弘前発の列車として上りの4号を運行することになったのではないか。

 そういう経緯があったにせよ、ともかくも弘前からは予定通りの運行となったのはありがたい。初めて乗ることになる五能線。さて、どんな旅が待っているのだろうか。
(To be continued)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

この広告は180日新規投稿のないブログに表示されます