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冬は北へ (2) 弘前城 [自分史]


 明け方に目が覚めた。部屋の中で寝ているのに鼻の頭が冷たい。布団の中は暖かいが、室内はかなり寒くなっていた。

 東京のマンションで生活していると、一晩中暖房(エアコン)をつけ続けることはまずないし、ましてや目の前でガスが燃焼しているストーブをつけたまま寝てしまうのは何だか無用心だ。そんな訳で家内と私はガス・ストーブを切って寝たのだが、青森県・八甲田山の山麓、標高900mの酸ヶ湯(すかゆ)温泉旅館では、真冬ともなると木造の建物は夜の間にかなり熱を奪われてしまうようだ。逆に、そういう体験が私たちにとっては新鮮である。

 ストーブを点火してから暫くまどろみ、部屋の中が相応に暖かくなったのは午前6時に近い頃だっただろうか。おそらくは旅館で働く人々が既に朝の仕事を始めているのだろう。そんな足音が廊下から聞こえて来る。私たちも起き出して、朝食前にこの旅館の「ヒバ千人風呂」に浸かりに行くことにした。東京でもようやく窓の外が明るくなり始める時刻。千人風呂の大きな浴室でも、濃い湯煙の中でぼんやりとした窓の光が並んでいた。

 旅館の朝は早い。朝食は6時45分からなのだが、その時刻に食堂へ行ってみると、バイキングの前に結構長い列が出来ていた。用意されていた料理の数はとても多く、自分の皿の上はあっという間に一杯になってしまう。中でも、「キノコの南蛮漬」という青唐辛子がピリッと効いた青森名物の漬物が美味しかった。

 東京に住む私たちが、いつかまたこの酸ヶ湯温泉を訪れる機会はあるだろうか。そう思うと、私たちは食後ももう一度湯に浸かりに行ってしまう。再び千人風呂の硫化水素の匂いと白い湯煙に包まれながら、この温泉との別れを惜しんだ。去り難い気持ちはあるが、身支度を整え、これから8時50分発のバスで青森駅に戻らねばならない。
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 雪の国道を下り、ちょうど1時間ほどで青森駅前に着くと、あたりには冷たい風が強く吹きつけていた。駅ビルに入り、まずはJRの窓口で列車の運行状況を確認する。五能線を走る快速「リゾートしらかみ」が予定通り運行されるかどうかが気になっていた。まだ1月というのに「春一番」の気圧配置になった昨日は、強風のために「リゾートしらかみ」は全面運休だったのである。

 「今日は今のところ、運休にはなっていません。風が強いと速度を落とすので、遅れが出るかもしれませんが。」

 よかった。後はこれからの天気次第だ。気を取り直した私は駅ビルの中で家内と熱いコーヒーをすすり、奥羽本線のホームへと向かう。これから秋田行きの普通列車に乗り、弘前まで45分ほどの旅だ。
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(左は津軽線の気動車。右が奥羽本線の交流電車)

 新青森の次の津軽新城という駅を過ぎると、奥羽本線は谷の中に入り込み、雪が深く人家も少ない中を走る。そして、トンネルを抜けて大釈迦という駅で貨物列車との待ち合わせを済ませると、再び平野に出て、右の窓に岩木山(1625m)の広い裾野が現れた。津軽富士の別名を持つこの名峰。全容を是非眺めてみたいものだが、今日は半分から上が雲に覆われている。

 一面の雪に覆われた平野の景色の中を走り続け、11時25分に予定通り弘前駅に到着。大荷物をコインロッカーに預け、私たちはタクシーで弘前公園に向かった。何はともあれ、弘前城を見てみよう。

 追手門の前でタクシーを降りると、弘前城の外堀が凍結しているのに、まず驚いた。
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 なるほど、この季節になると、東北地方ではお堀もこんな風に凍ってしまうんだ。本当に戦になったらお堀としては機能しないのではないか? そんなことを考えながら追手門をくぐると、桜の木が並ぶ城内は更に深い雪の中だ。内堀の前では木の枝が凍りついている。1月28日の今日は七十二候の「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」の最中だが、あたりはまさに雪と氷の世界である。
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 足元に気をつけながら城内を進む。こんな時期だから本丸も閑散としたものだ。桜の時期ならば大変な混雑であろう天守の前も、訪れているのは私たちを含めて10人足らずである。
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 弘前城の築城が始まったのは、家康の将軍宣下が行われた1603(慶長8)年だそうだが、1627(寛永4)年に落雷を原因とする火災と爆発で天守が焼失したため、この城には以後200年近く天守がなかったという。その再建が認められたのは幕末も近い1810(文化7)年。しかも、戊辰の戦では弘前藩が途中で奥羽越列藩同盟を脱退して官軍側についたために、弘前は戦場にならなかった。要するに弘前城は戦を経験することなく使命を終えた訳なのだが、再建しても結果的には無用に終わった天守が、今は国の重要文化財になっているのだから、歴史とは不思議なものである。

 天守の立つ場所からは、後方に岩木山方面の展望がある。この時間になっても岩木山の上半分は雲の中で、三つのピークを持つ津軽富士の全容を眺めることは、残念ながら今回は無理そうだ。
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 今朝、青森駅前は風が強くて寒かったのに、ここ弘前は風も穏やかで、一部に青空ものぞいている。気分がいいので、散歩がてらに私たちは結局弘前駅前まで歩いて戻ることになった。お昼時を過ぎてはいるが、どこかで店に入って食事をするほど空腹でもない。その代わり、駅の近くで「虹のマート」というローカル色の濃厚な市場を見つけたので、この後に乗る列車の中でのおつまみ物を買い求めることにした。弘前名物のイカメンチ(メンチカツのイカ版)。これはビールのつまみに最高である。
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 弘前駅に戻ると、五能線を走る14時30分発の秋田行き快速「リゾートしらかみ4号」の表示が出ていた。昨日は強風で運休になっていたので、今日は運行されるかどうか気を揉んでいたのだが、どうやらそれは取り越し苦労で済んだようだ。
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 とはいうものの、一つ奇妙なことに気がついた。リゾートしらかみ4号は青森発13時51分の列車で、弘前着が14時26分だから、本来はまだこの駅には着いていないはずである。それなのに、弘前駅には「橅(ぶな)編成」と呼ばれる爽やかな緑色のその姿が既にあり、しかもまだ客扱いをせずに側線に停まっているのだ。
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 それは何故か。しばらく考えているうちに見当がついた。今日のリゾートしらかみ4号の車両は、HB-E300系という新型のハイブリッド車で、下りの「リゾートしらかみ1号」として08時20分に秋田を発ち13時30分に青森に着く列車の折り返しである。もしかすると、今日も五能線の沿線のどこかで強風が吹き、減速や徐行によって遅れが出たために弘前・青森間の運行を1号・4号共に取り止め、改めて弘前発の列車として上りの4号を運行することになったのではないか。

 そういう経緯があったにせよ、ともかくも弘前からは予定通りの運行となったのはありがたい。初めて乗ることになる五能線。さて、どんな旅が待っているのだろうか。
(To be continued)

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