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冬は北へ (4) 不老不死温泉 [自分史]


 朝7時に目が覚めた。

 旅に出ているにしては朝寝坊をした。木造の古い建物で夜間は客室内もぐっと気温が下がる八甲田の酸ヶ湯温泉とは違い、ここ黄金崎不老不死温泉は室内のエアコンが快適に効いている。それもあって私はぐっすり眠りこんでしまったようだ。家内の姿がないが、温泉に来た時はいつものことで、朝食前の湯に浸かりに行ったのだろう。

 窓のカーテンを開けると、視野いっぱいに冬の日本海が広がる。今朝は風もあまりなく、この時期としては穏やかな眺めである。
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 今朝のスケジュールはゆっくりしている。JR五能線の秋田行「リゾートしらかみ2号」がウェスパ椿山駅を出るのが11:15で、それに合わせて(といってもだいぶ早めだが)この温泉からの送迎バスが10:00に出る。要するに旅館の中で10時前までゆっくり出来る訳だ。品数のとても豊富な朝食をゆっくりいただいた家内と私は、名物の露天風呂へ行ってみることにした。

 本館の下から岩浜に降りる通路があって、それを辿ると日本海の波打ち際の直ぐ近くに露天風呂が用意されている。女性用は目隠し的に壁が高くなっているのだが、男性用はそれがないから、湯に浸かると日本海の波濤が本当に目の前だ。
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 ここへのカメラの持ち込みは禁止なので、そのダイナミックな眺めを画像に残すことは出来ないが、なるほど、これは絶景である。こういう楽しみがあるのだから、やっぱり日本はいいなあ。
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(空から見た黄金崎不老不死温泉と露天風呂)

 館内の大浴場も海に面した露天風呂もそれぞれに満喫した私たちは、予定通りの送迎バスに乗る。雪深い八甲田の酸ヶ湯と、冬の日本海を目の前にした不老不死温泉。いずれも思い出深い滞在となった。
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 ウェスパ椿山の駅前で1時間近くの列車待ち。周辺には観光施設も幾つかあるのだが、私たちは眺めるだけで、とりたてて買う物もない。そうこうしている内に、外では雪がちらつき始めた。

 本来は11:15発のリゾートしらかみ2号が5分ほど遅れてやって来た。ハイブリッド車両だった昨日の「橅(ぶな)編成」とは異なり、純粋に気動車の「くまげら編成」と呼ばれる車両だ。これから秋田まで2時間12分の列車旅である。
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 ウェスパ椿山を出てしばらくすると、昨日同様、列車は日本海の海岸線を忠実に南下していく。忠実というより、白神山地の山並みが海の直ぐ近くまで迫っているため、列車は海岸線を辿らざるを得ないのだ。

 程なく列車は県境を越えて秋田県内に入り、ウェスパ椿山から30分ほどで岩館駅に到着。このあたりからは海沿いに奇岩の並ぶ風景が続き、一部の箇所では乗客のために列車が敢えて速度を落として運転している。
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 五能線の車窓いっぱいに広がる日本海の眺めを昨日から堪能してきたが、列車が東八森駅を通過した頃から次第に海岸線を離れ、能代平野の雪景色の中を南下していく。そして、米代川を鉄橋で渡ると能代、更に6分ほど走ると東能代に到着。五能線と奥羽本線の接続駅で、列車はここでスイッチバックして秋田へと向かうことになる。
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(東能代駅ホームの秋田方)

 かつては尾去沢や阿仁などの鉱山から採掘される鉱石を運ぶため、米代川を上下する水運業が盛んだった能代。東北地方日本海側の幹線鉄道・奥羽本線が、なぜその能代を通らずに建設されたのか。それは、「能代に鉄道が来ると水運と港が廃れる」という、明治の比較的早い時期には日本各地でよくあった地元の反対運動によるものだったという。従って、能代の中心街からかなり離れた現在の東能代駅を通る形で1901(明治34)~1905(同38)年にこの区間の奥羽本線が開業。すると1908(同41)年に東能代・能代間に支線が建設されて貨物の取り扱いを開始。そして程なく旅客の扱いも始まった。それだったら最初から反対などしなければ、という気もするが、いずれにしてもこの支線が後の五能線で最も早く開業した区間となった。
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 進行方向が今までとは反対になったリゾートしらかみ2号は、定刻の12:29に東能代を発車。ウェスパ椿山で乗った時の5分程度の遅れをこの時点で取り戻していた。ここまで来ると秋田も近いように思ってしまうが、実際にはこの快速列車でもまだ1時間かかる。車窓からは山も海も遠ざかり、一面の雪に覆われた水田地帯をひたすら南下。立体的な風景といえば、進行右手の彼方に見える男鹿半島の背骨の山々ぐらいだろうか。
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 13:27 小雪の舞う秋田駅に到着。乗り継ぎの東京行き秋田新幹線まで46分の時間があるので、駅ビルで食べ物を買うことにしよう。それにしても、今回の旅で五能線全線を踏破出来たことは本当に嬉しい。将来いつか越後線の新潟・柏崎間に乗ることが出来れば、私の列車旅の軌跡は北陸本線の敦賀以北の日本海沿岸路線が全て繋がることになる。
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(秋田駅ホームの東京方)

 14:13秋田発、こまち24号に乗車。家内と二人、青森から二泊三日で北東北を右回りに巡って来た冬の旅は、早いものでもう帰京の行程に入った。大曲で進行方向が変わって田沢湖線に入ると、車窓には少しずつ山々が迫り始める。14:57 ひっそりと雪に埋もれた角館駅に停車。一昨年の秋、やはり家内と二人でこの街を訪れた時は紅葉が真っ盛りだった。それは春の桜の時期と並ぶ角館観光のハイ・シーズンなのだが、見覚えのあるこの街の冬景色も、これはこれで何とも味がある。一面の雪原の中に細々と続く秋田内陸縦貫鉄道の単線レールが、胸に沁みた。

 冬は北へ行こう。そう思い立って、敢えて大寒の時期に北東北への旅に出た私たち。その旅先で出会ったのは、真冬の季節だからこそ接することの出来る北東北の自然の寡黙な美しさであった。普段から素朴な味わいを持つ東北地方の、これこそが真骨頂と言えばいいだろうか。私は北国がますます好きになってしまった。そして、いつもは寒がりの家内がそんな私に付いてきて北東北の冬景色を一緒に楽しんでくれたことが、今は何よりも嬉しい。

 左の車窓には、この季節にしては珍しく、秋田駒ヶ岳が堂々としたその全容を見せている。今回の旅についてのブログ記事の初回は雪の岩手山の画像から始めたので、フィナーレにはこの秋田駒の画像を使うことにしよう。こんな眺めに誘われるようにして、私たちはこれからもまた、東北へ旅に出るのかもしれない。

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