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海と山と湘南カラー - 幕山・南郷山 [山歩き]


 「子供の頃の、それも記憶に残る一番古い部類の思い出を、何か一つパステルで描いてごらん。」

 そう言われたら、皆さんは何を描くだろうか。

 私の場合、それはきっと湘南のミカン山の風景になる。母の実家が小田原から二つ東京寄りの国府津にあり、就学前の小さな頃は随分と長い間逗留させてもらうこともあった。子供心にも気候が穏やかでのんびりとした土地だった。南側は一面の大きな海で、その後背地にはミカン山が続いており、冬でも鮮やかな緑の葉とミカンの実の優しいオレンジ色が青空によく映えていた。祖父母にとっては私が初孫だったから随分と可愛がってもらったものだが、そんな頃の象徴として記憶に残るのが、ミカン山の平和な風景なのだ。

 母の実家の北側には東海道本線が走っていた。私は祖父母に手を引かれ、多くの列車が行き交う様子を線路端で飽きることなく眺めていたものだった。戦後の東海道本線では、私が生まれる前の1950(昭和25)年に80系電車(いわゆる「湘南型」の電車)がデビューし、緑とオレンジの鮮やかなツートンカラーが戦後の新時代の一つの象徴になっていた。私が幼少の頃には、急行などの優等列車が1958(昭和33)年登場の新型電車153系に置き換えられつつあったのだが、普通列車では80系がまだまだ健在であった。それらを毎日眺めていた私にとっては、ミカン山の風景と80系電車のツートンカラーのイメージがまさに重なっている。
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 「黄かん色」(濃いオレンジ色)と「緑2号」(濃い緑色)のツートンカラー。「湘南色」と呼ばれるようになったこの色使いは、元々「よく目立ち遠くからも識別が可能」という理由から採用されたもので、湘南のミカン山のイメージというのは、実は後付けの理由であるそうだ。それでもこの湘南色の塗装は以後の国鉄の中距離用電車にも引き継がれ、全国各地の直流電化区間で見ることが出来た。それは現在のJRの電車の側帯としても使われている。また、川崎球場を本拠地としていたプロ野球・大洋ホエールズは、この湘南色に似たツートンカラーのユニフォームを一時期使用していたものだった。
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 2018年1月7日(日)、同年代の山仲間たちとの年初の日帰り山歩きは、私の音頭取りでコースに湯河原近郊の幕山(625m)と南郷山(611m)を選んだ。年初の寒い時期だから日差しの暖かい地域の低山を選び、久しぶりに山から海を眺めてみようという趣向だ。箱根の外輪山から続く山並みが北西側に連なっているために、富士山は見えないのだが、木々の葉が落ちた冬は相模湾から伊豆の東岸にかけての海の眺めが広がる山である。そして、私にとっては幼い頃の記憶を呼び覚ましてくれるような湘南のミカン山の風景が楽しみだ。
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 小田原から熱海行の電車に乗り換えると、そこから二つ目が根府川駅。昔からそうだったのだが、ホームからただシンプルに海の眺めが広がる、愛すべき無人駅である。ホームに設置されたフェンスの上辺と海の水平線とがちょうど重なり、朝日に照らされた海面がちょっと不思議な、けれども私にとってはどこか懐かしい風景だ。
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 根府川の駅を出て二つのトンネルを過ぎ、列車は程なく三つ目の真鶴隧道へと入る。実はここから真鶴駅までのルートは1972(昭和47)年から変更されたもので、それ以前は1924(大正13)年に開通した時の、現在よりも海よりのルートを3つのトンネルで真鶴に向かっていたのだ。私は進行左側の窓から目を凝らして見ていたのだが、真鶴隧道の手前には旧線の様子を見ることが出来なかった。旧線ではその付近に赤澤隧道の入口があり、それは海側の側面にアーチ型の窓が幾つも開いていて、そこから海の景色が見えるという、「眼鏡トンネル」の愛称と共に東海道本線の名物になっていた。私の幼少の頃の記憶にも明確に残っている。
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 ネット上では、廃線跡を訪れることが好きな人たちによって、この旧線の3つのトンネルの探訪記が幾つも掲載されている。今日の私には探訪の時間がなく、真鶴隧道の暗闇の中で幼い頃の記憶をたどるのみである。

 さて、8:53の定刻に湯河原の駅に降り立ち、今日のメンバー7人が揃った。今日の趣旨は乗り鉄ではなくて山歩きである。先を急ごう。

 登山口の幕山公園までは駅から路線バスを利用する予定だったのだが、乗り場に行ってみると、発車待ちのこのバスが結構混んでいる。私たちは2台のタクシーに分乗することにして、10分ほどで幕山公園のバス停に着いた。天気は上々。風もなく、東京よりも暖かい。そして青い空を背景に幕山の姿が大きく見えている。
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 9:15に登山開始。登山道はこの幕山の麓にある梅園への入口から始まる。関東有数の梅の名所だから、その時期になれば多くの人々で賑わうのだろう。今はまだ1月の初旬だから閑散としているのかと思いきや、意外に多くのクライマーたちが幕山の岸壁に取り付いていた。ここはロック・クライミングの練習場としても有名なのである。
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 幕山へは標高差425mほどの登り。梅園が終わり、その先の植林の中を歩く部分も直ぐに終わって、そこから先は落葉樹の森なので、今の季節は見通しが良く、空が明るい。順調に登って正味65分ほどで幕山の山頂に着いた。私たちの他には登山者が1人・2人といった静かなピークだ。見渡す空が一段と碧い。
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 小休止の後、山道を進む。標高差125mほどを下り、白銀林道を横切って森の中に入ると、やがて右手に自鑑水という小さな池が現れる。今から838年前、石橋山で平家打倒の挙兵をするものの敗れた源頼朝がここで自害を図ろうとしたが、池の水に映ったのは天下を平定した自らの姿であったことから自害を思いとどまったという伝説が残る。仲間のT君が近寄ってみたが、池の近くは底なし沼のような状態で、とても自らの姿を映す所までは近づけないという。或いはその当時からだいぶ水量が減ったのだろうか。
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 自鑑水から登山道を更に進むと、国土地理院の地図には載っていない林道の工事中で、地図通りの山道が一旦途切れている。森の中に張られたテープを見ながら、本来の登山道を私たちは何とか見つけたが、一般的にはこのルートファインディングはやや難しいのではないだろうか。
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 本来の山道を更に進むと、やがて南郷山の尾根に向かって竹が茂る中を直登する箇所が始まる。これがちょっとした緑のトンネルで、気分が変わって面白い。標高差40mほどを一気に登り詰めれば緩やかな尾根の上に出る。
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 11:20に誰もいない南郷山の小さなピークに到着。幕山からは40分ほどだ。相模湾を見下ろす暖かい日だまりで、こんなに穏やかな日和ならゆっくりと昼寝を決め込みたくなる場所だ。さあ、昼食にしよう。
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 この時期の山は寒いから昼食は何か暖かいものを作ろう、というのが当初からの計画で、湯を沸かして「鍋キューブ」でスープを作り、卸し生姜に斜め切りのネギ、エノキダケ、竹輪、市販の水餃子、それに「鍋ラーメン」を投入すれば出来上がりだ。眼下の海の眺めは遠く房総半島まで広がっている。H氏持参の「お屠蘇」で乾杯し、暖かい昼食をとりながら、私たちは至福の一時を過ごした。
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 気がつけば1時間を少し過ぎるほど、私たちは山頂での大休止を楽しんだことになる。さて、山を下ろう。ここから先は真鶴半島を見下ろした後、ゴルフ場の縁を通ってミカン山の中を下る1時間程度のコースだ。そしてその後は日帰り温泉が待っている。

 山頂から下り始めた途端に、海の景色が大きく広がる。今日はこれが楽しみだった。真鶴半島や伊豆の東岸、そして彼方の海に浮かぶ初島と伊豆大島。年が明けて一昨日には寒の入りを迎えたというのに、眼下に広がる湘南の海は何とも穏やかだ。いつまでも眺めていたい風景である。
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 その後、山道はしばらく山の南面をトラバース状に下るので、この海の眺めを連続して楽しめる。その後は尾根を下る道になるのだが、落葉が積もっていて滑りやすい下りだ。そして、不幸にもそこでメンバーの一人が左足首を捻って傷めてしまった。皆が持ち寄った物で応急手当をしたが、本人が痛がっている様子からすると、このまま予定していた山道を下り続けることは現実的でない。だが、不幸中の幸いというべきか、その場所から再び歩き始めて直ぐに、舗装道の白銀林道に出た。この林道を下りながら、可能なところまでタクシーに来てもらうことを考えるべきだろう。
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 本人の荷物を他のメンバーに担いでもらい、そして本人にはメンバーの一員の肩を借りて歩いてもらうことにして、私は皆よりも先に林道を早足で下る。携帯電話の電波は通じるが、自分たちの居場所をタクシー会社に理解してもらえる所までは行かねばならない。15分ほど、殆どジョギングのようにして下ると、林道にゲートが下りていてクルマの通行が遮断されていた。タクシーを呼ぶとしてもそこまでしか入れない。その先は「さつきの郷」という園地なのだが、オフシーズンの今は人っ子一人いない場所だ。私は道路を更に下り、湯河原美化センターという施設の前まで来て漸くタクシー会社と連絡を取った。やがて2台のタクシーが来てくれたので、先ほどのゲートのある場所まで上がってもらうと、それからさほど時間がかからずに仲間たちが順次到着。足を痛めた本人もよくここまで歩いてくれた。

 という訳で、ハプニング発生のために予定していた下山行程は途中で打ち切りとなったが、ともかくも私たちは湯河原駅前に戻り、怪我をした本人には自力で帰りの電車に乗ってもらうことが出来た。とはいえ、中学・高校時代の同級生たちを中心に週末日帰りの山歩きを始めるようになってから、今度の春で丸9年になろうとする中、山での行動中に怪我人が出たのは今回が初めてである。同じ時間だけ私たちも年齢を重ねて来た訳だから、昔は出来たのに最近は出来なくなってきた、というようなこともゼロではない筈だ。そして、下山中の転倒はもっと大きな事故にも繋がりやすい。今回のことを踏まえて、私たちはより慎重に、そして行動計画には余裕を持って山へと望む必要があるだろう。(今回も決して下山を急いでいた訳ではないのだが。)

 私の幼い頃の記憶に残るミカン山の穏やかな景色。けれど、それだって決して侮れない存在であることを、湘南のミカン山はこの歳になった私たちに教えてくれたように思う。

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