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いつか来る別れ [読書]

 何がきっかけで一連の騒ぎが始まったのか、早くも思い出せなくなってしまったが、今週はテレビも新聞も連日「所在確認できない百歳以上の高齢者」のニュースばかりである。

 百歳を超える長寿といえば、大変おめでたいことである。私の母方の祖母もその一人で、数年前に百歳を迎えた時には皆でお祝いをしたものだ。私を含めて孫が19人、曾孫は30人を超え、そこまでは一同に集まれないから孫と曾孫は寄せ書きになった。

 その祖母は今のところ公的な介護を受けることもなく、湘南の海沿いの温暖な地で静かに暮らしている。別棟に叔父の一家がいて毎日の生活は一緒だが、それに加えて母の兄弟が入れ替り立ち替り祖母の様子を見に行っている。母の世代は兄弟が多いからそれが可能なのだが、母も叔父叔母たちもさすがに歳をとってきた。東京から電車に乗って、或いはクルマで東名高速を走って、祖母の様子を見にいくことがいつまで続けられるだろうか。

 いずれにしても、私の親類はそんな風だし、家内の家系も祖父母の代は子供や孫に囲まれて天寿を全うした人たちだ。だから、百歳を超えたことになっているお年寄りについて、家族の誰に聞いても所在を知らない、「20年前に会ったきり、行方がわからない」などという報道を目にすると、一体どんな事情があってそういうことになるのか、私にはちょっと想像がつかないところがある。

 新聞の解説によれば、そうした長期間の所在不明にはいくつかのパターンがあるという。

 認知症による徘徊で「ふらっと家を出たきり帰ってこない」というのが一つ。これは今後も増え続ける見込みだそうだ。二つ目は、配偶者に先立たれた、生涯独身、「子供の世話にはなりたくない」等の理由で独居する老人がやがて生死不明になるパターン。これも益々増えていくのだろう。そして三つ目は、同居しているはずの家族共々行方不明になってしまうケースだという。

 そうしたお年寄りが日本のどこかで命の終焉を迎えた時、身元不明のままで死亡届も出されないということになるのだろうか。今は取りあえず百歳以上のお年寄りが調査の対象になっているが、それ以前の年齢でも同じようなケースはあるはずだ。とすれば、この国で孤独な死を迎える人は相当な数になるのではないか。

 「生存確認」が充分できていないことについて、「自治体のお役所仕事」を批判するのは簡単だ。年金や手当の不正受給があるのではないか、家族は何をしていたのかという声も多い。だが、何よりも認識しなければならないのは、我々が既に直面している高齢化社会とはこういうものであり、それは今後数十年にわたって益々深刻なものになっていく、ということだろう。

 そんなニュースが続いた今週、一冊の文庫本を手にした。年老いた作家が、自分よりも先立ってしまった妻を思って書き残した手記である。

 まだ学生時代、名古屋の図書館で「間違って、天から妖精が落ちて来た感じ」の彼女と出会った時のこと、どんな夫婦でも経験することになる新婚時代のドタバタや涙と笑い、やがて学者との二束の草鞋を捨てて作家生活に専念することになった本人を明るく支える妻。

 『小説日本銀行』、『男子の本懐』、『落日燃ゆ』、『粗にして野だが卑ではない』・・・。その作品群と本人の個性から、「硬骨漢」という言葉がこれほど似合う人もなかったこの作家が、妻のことになると心の底からの愛情を臆面もなくさらけ出している。硬派な分だけ、その不器用なまでの一途さが微笑ましくもある。何をするわけでもないが、そばにいて一緒に時を過ごすだけで幸福感に満たされる、清々しい空気のような、そして明るい太陽のような存在。この作家にとって、妻はまさに最良にして最愛のパートナーであった。老後が長く続いても、きっといつまでも仲睦まじく過ごしていったことだろう。

 その最愛の妻が、ある時から体調を崩した。後になってみれば、思い当たるふしがあったのだが、もう遅かった。彼女は一日かけた検査に行っているが、恐らくは肝臓癌を宣告されることを、作家は覚悟しなければならない。
 心の準備が出来ぬまま、妻の帰りを待つ作家。これから彼女が答えることに、どう応じたらよいのか。しかしそこへ、唄声と共に彼女は帰ってきた。

 「ガン、ガン、ガンちゃん ガンたらららら・・・」
 癌が呆れるような明るい唄声であった。
 おかげで、私は何ひとつ問う必要もなく、
 『おまえは・・・』
 苦笑いして、重い空気は吹き飛ばされたが、私は言葉が出なかった。
 かわりに両腕をひろげ、その中へ飛び込んできた容子を抱きしめた。
 『大丈夫だ、大丈夫。おれがついている。』
 何が大丈夫か、わからぬままに『大丈夫』を連発し、腕の中の容子の背を叩いた。
 こうして、容子の、死へ向けての日々が始まった。」

 (『そうか、もう君はいないのか』 城山三郎 著、新潮文庫)

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 涙が出そうになるから、ここから先は引用をしないでおこう。これは深く胸に響く手記である。そして、巻末に添えられた城山三郎の次女の文章 『父が遺してくれたもの』 を読み、あの硬骨漢・城山三郎が何と素晴らしい家庭を持っていたか、そのことにも大きな感銘を受けた。
 最愛の妻に先立たれ、心の中に大きな穴が開いたようになって、
 「そうか、もう君はいないのか」
という呟きを繰り返していた城山三郎をその後7年にわたって支え続けたのは、この家族なのである。

 家内と私と、いつかはどちらかが残される。残された方は、自分の力でその孤独と折り合っていくしかないのだが、そのことで子供達に迷惑はかけられない。そう思っている人は多いはずだ。しかし、だからといって先に挙げたような独居のパターンになってしまうと、今度はいつか社会に迷惑をかけることになる。

 上手に老いて、上手に生涯を閉じていきたいものだが、果たしてそれはどこまで自分でコントロールできるものだろうか。

 お盆が近い。この一年に亡くなられた方々のことを思い出しながら、老いていくことの意味を考えてみる季節である。

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コメント 2

T君

「先生何とか生かしてください」と、余命を全うしそうな患者さんの家族に白衣を引かれたことがあります
 なんと殊勝な…、と。ただ、その実は、「お父さんの年金がないと、困るんです」
by T君 (2010-08-13 01:51) 

RK

逆に言えば、何年か先に年金が破綻したら、そういう「殊勝な」家族もいなくなるってことかな?
by RK (2010-08-13 05:52) 

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