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"Lost decades" [自分史]

 今日は職場の仕事納め。暮の30日まで会社を開けている業界は少なく、都心のオフィス街も人はまばらであった。

 東京証券取引所は、今回から大納会も半ドンをやめて午後3時までのフル営業。終了の鐘は、プロゴルファーの石川遼クンが叩いていた。日経平均株価の終値は10,546円44銭。3年ぶりに前年末の終値よりも上がって今年一年が終わった。
遼クン.jpg
 今からちょうど20年前、1989年の東証の大納会は12月29日(金)であった。この日は、日経平均株価の終値が38,915円87銭の史上最高値をつけた日として歴史に残っている。

 この年の春、私はロンドンでの一年間の業務研修を終え、東京の本店で新たな部署へ配属となっていた。それまで海外絡みの仕事には縁がなかった私がいきなり放り込まれたロンドン。仕事もわからず言葉もわからず、正直言ってつらいことの多い一年であった。特に後半は英国特有の暗くて長い冬を過ごしてきただけに、東京の家に帰り着いた翌朝の、祖国の光あふれる春が何とも印象的だったことが、今でも思い出される。

 やがて、我家では8月に娘が生まれた。息子はその時点で1歳9ヶ月。社宅の六畳間に一家四人が寄り添うようにして眠る生活が始まった。

 日本にとっては昭和天皇の崩御で始まったようなこの年。プラザ合意(1985年9月22日)に伴う「円高不況」への対策として日銀が公定歩合を段階的に引き下げたことにより、過剰なマネーが不動産や株、ゴルフ場会員権などに向かった、いわゆるバブル経済の真っただ中に、この年はあった。

 不動産は今後もどんどん上がるから、今買わなかったら持家は一生持てないと言われ、東京湾の沿岸で宅地開発が次々に始まった。株は「上がるから買う、買うから上がる」という展開で、機関投資家は株の現物を買い、ワラント債を買い、それでも足りなくて日経ダウリンク債まで買っていた。それも全て株価の右肩上がりに賭けるものだった。万事カネが物を言う風潮。未公開株を政治家に渡して公開時に儲けさせた、いわゆる「リクルート事件」が発覚し、それが竹下登首相の退陣につながったのも、この年である。

 「ジャパン・マネー」、「ザ・セイホ」、「財テク」・・・。今では完全に死語となったこれらの言葉が、この頃は盛んに使われていた。東京の本店での私の仕事も、東京から外国政府や政府系企業、国際機関などを相手に融資を行うことであったから、それもジャパン・マネーの一つではあった。そして、そのジャパン・マネー旋風の極めつけは、この年の10月に業界トップの某不動産会社がニューヨークのロックフェラー・センターを2,200億円で買ったことだろう。

 翌11月には、「ベルリンの壁」が壊された。東欧各地で共産党政権が倒れ、パパ・ブッシュとゴルバチョフが地中海のマルタ島で会談して、冷戦の終結を宣言した。社会主義の行き詰まりが明らかになり、対照的に資本主義の未来は揺るぎないものに見えた。そして、12月29日に日経平均株価は史上最高値の日を迎える。

 しかし、総裁が交代した日銀が金利の引き上げを始め、翌1990年からは株価の急速な下落が始まった。全てが右肩上がりの前提が崩れていく。それが「失われた10年」の始まりであった。
株価指数チャート2.jpg
 一般に、バブルの膨張による「好景気」を人々が実感するようになったのは、1988年頃からだという。私はロンドンで研修生の身分だったため、東京の家族との二重生活で経済的にはかなりギリギリだったし、東京に戻ってからは、小さな子供二人をともかくも育てていくことが家内と私の最優先事項であった。仕事は外国の政府や公的機関が相手だったから、接待ゴルフもなければ派手な宴会もない。海外との時差を抱えた仕事のため、帰宅は深夜になることが多く、週末はもっぱら都内の緑地で子供の相手をする生活。不動産や株で積極的に資産形成をしたことがなく、する気もなかった。ゴルフ場会員権や外車にも興味がなかった。だから、総じてバブルによってすごくいい思いをしたこともないが、逆にその崩壊によって負の資産を抱えることもなかった。

 仕事ではその後もう一度海外で働くことになり、1996年の5月から香港に駐在し、それは結果的に7年近くになった。途中からは子供たちを日本の学校に戻すために、私と家族との二重生活が再び始まったが、今にしてみれば、そのことで家族の絆の大切さをお互いに確かめ合い、それを深め合うことができたように思う。2000年代に入って、従業員に対する会社の処遇も大きく切り下がったから、金銭的な面では「失われた20年」の影響を確かに受けてはいるが、誠にありがたいことに、子供達が大きくなった今もなお、一家四人でのワイワイガヤガヤは何も変わっていない。

 家族と共に歩んできたこの20年。ロンドンから東京に帰ってきた、あの年の夏に生まれた娘が、新年には成人式を迎える。
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