SSブログ

冬枯れの権現山 [山歩き]

 高尾の駅を過ぎると、中央本線の車窓には山が急速に迫り始める。

 狭い谷を鉄道と高速道路が上下に並走するようになると、間もなく小仏峠の長いトンネルに入り、それを抜けると相模湖。そこから先は桂川が作った深い谷を、両側に迫る山と桂川の間の僅かな平地を辿るようにして列車は西走していくのだが、その路線はまさにトンネルと鉄橋の連続である。

 官営鉄道として八王子・上野原間が開通したのが1901(明治34)年、大月までの延伸が翌1902(明治35)年であるが、日露戦争を控え、鉄道敷設が時代の要請であったとはいえ、この険しい地形に鉄道を通すのに当時は大変な苦労があったことだろう。しかし、そうした先人たちの努力のおかげで、この区間は私のような山好きの人間にとっては車窓の楽しみの多い鉄道路線である。

 1月24日(日)の朝、旧友のT君、職場のH先輩に私という山仲間3人は、新宿を7時に出る特急スーパーあずさ1号で、この楽しみな区間を走っていた。

 今回の目的地は、上野原市と大月市のちょうど境にある権現山(1,312m)である。列車が鳥沢駅を過ぎて桂川にかかる高い鉄橋を通過するとき、進行右手にその名の通り横に広い形をした扇山(1,138m)と、その左に山頂の平らな百蔵山(1,003m)が姿を現すのだが、権現山はその扇山の北方に位置する、東西に広い形の山だ。昨年11月に扇山に登った時、そこから見えたこの寡黙な印象の山が気になっていたのである。

 H先輩と、あれが扇山、あれが百蔵山、そして葛野川が刻む深い谷の遥か上方に連なるのが雁ヶ腹摺山と大菩薩から南の山々・・・などと話しているうちに、大きな岩の要塞のような岩殿山が近付くと、もう大月である。定刻から4分遅れの7時59分に到着。冷え込みの厳しいホームには結構な数の登山客が降り立ったが、みな富士急行に乗り換えて河口湖方面に向かう人々で、大月駅の外に出たのは私たちぐらいのものだった。

 特急の停まる乗換駅にしてはいささか小ぶりの駅前ロータリーで、東の彼方に姿を見せている扇山を眺めながら待っていると、停まっていたバスの一台が「浅川行き」の表示を掲げてエンジン音を発し、私たち3人だけを乗せて8時10分に発車した。この路線は午前・午後に各1本があるだけのようだが、私たちのような物好きの登山客以外にはどんな人が利用するのだろう。
大月駅前.jpg
 途中、猿橋駅で若い登山客が一人乗り、我々より先に奈良子入口というバス停で降りていった。(どの山を目指していたのだろう。そこから姥子山や雁ヶ腹摺山へは相当な距離があるはずだが・・・。) 我々の乗るバスはなおも山間の狭い舗装道路を登り詰め、8時40分頃に終点の浅川バス停に到着。そこは村落の外れの寂しいところであった。公共性と採算性との板挟みの中、こういう路線を維持していくバス会社の負担はいかばかりかと思ってしまう。

 耳が少し痛くなるような冷え込みの中を、私たちはさっそく歩き始めた。バス停のすぐ先から始まる浅川峠への道は未舗装の林道で、林の中を緩やかに上がっていくと、15分ほどで山道になった。それもあまり急な傾斜はなく、すっかり葉の落ちた明るい林を快適に登っていく。ここから浅川峠までは西向きの斜面で、雪の融け残りが凍結している可能性があったため、靴底に装着する滑り止めを用意してきたのだが、山道はよく乾いていて、ここしばらくは雪が降った形跡もない。コースタイムよりも早い快調なペースで、9時25分に浅川峠に着いた。

 ここからは扇山を背にして、権現山の南斜面に取りかかる。ここもあまり急斜面はなく、落葉樹林と常緑樹の植林とを交互に抜けて少しずつ高度を稼ぐ。それでも幾分傾斜が急になったところで一呼吸入れようと後ろを振り返ると、葉の落ちた木の間越しに純白の富士が大きな姿を見せていた。西の方角には、滝子山の左の彼方に白いピークが幾つか見えている。おそらくは南アルプスの赤石岳以南の山々であろう。このまま頑張って権現山の頂上に達したらどんな展望が待っているか、何とも楽しみだ。
006.jpg
 この登りは最後の部分がやや急登になるが、時に振り返っては彼方の富士を確かめつつ、降り積もった落ち葉を踏みしめるようにして登り続け、やがて山道の先の空が広くなると、西隣の麻生山からの主稜線に出た。その途端に、今度は主稜線の北側の眺めが広がり、奥多摩方面の山々が木々の向こうに横たわっている。その主稜を数分歩くと、権現山の小さな山頂があった。浅川バス停から正味2時間弱。なかなかいいペースだった。

 標高1,312メートル。山頂付近まで落葉樹の生い茂る権現山は、西側の展望が木々の枝で塞がれているのが残念だが、富士山の方角はうまく枝が払われている。富士五湖周辺の山々を従えるようにして屹立する富士の高嶺は、やはり別格である。太陽が南に回る前にセルフタイマーで記念撮影を済ませ、反対側の奥多摩や奥秩父の眺めをひとしきり確認してから、私たちは各自持ってきたコンロで湯を沸かし、山々を眺めながら1時間ほど昼食を楽しむことにした。空には依然として雲一つなく、気温はおそらく氷点下であろうに、風がなくて日差しが暖かい。それでいて遠くが霞むこともなく、遥かな山々がくっきりと見えている。こんなに条件の良い日は一冬に何日もないだろう。家内をはじめとしてこの幸運を分け合いたい人々に、私は「写メール」を送る。便利な時代になったものである。
012.jpg
 権現山から北西方向を眺めると目を引くのは、山頂の形がすっきりとした東京都の最高峰・雲取山(2,017m)である。そこから東へ、石尾根と呼ばれる極めて傾斜の緩い稜線がJR青梅線の奥多摩駅のすぐ手前まで延々と降りているのだが、この尾根の上部が少し見えている。
雲取山.jpg
 もう38年も前のことだ。高校一年の秋、日付は忘れてしまったが、今日も同行してくれているT君と二人で、この尾根を歩いたことがある。秩父の三峰山へケーブルカーで上がり、そこから稜線伝いに雲取山に登り、石尾根に入って鷹ノ巣山の避難小屋で寝袋に寝た。長いコースで、避難小屋に着いた頃には日がとっぷりと暮れていた。

 それは日曜日だか祝日だかで、翌日は高校の行事で秋川渓谷に一泊する予定があり、朝何時だか忘れたが武蔵五日市の駅前でクラス毎に集合することになっていた。私たちはそれに間に合うよう、夜明け前に鷹ノ巣山避難小屋を出て、ヘッドランプを頼りに山道をひたすら下った。そんな時刻に山を下る人間もめったにいないのだろう。まだ薄暗い森から、私たちの足音に驚いたたくさんの鳥がばたばたと飛び去っていった。鷹ノ巣山から奥多摩駅まで、現在の登山地図を見てもコースタイムが3時間50分の行程だ。高校生の頃は身軽で健脚だったという他はないが、今でも懐かしい思い出である。「写メール」などという便利なものはなかったが、その分だけ自分の記憶の中にはしっかりと刻み込まれたのかもしれない。

 その石尾根を、それから38年後の今、再びT君と一緒に今度は権現山から眺めることになるとは・・・。人生とは不思議なものである。

 雲取山の西側には奥秩父の主脈がアップダウンを繰り返し、飛龍山(2,077m)や唐松尾山(2,109m)を経て、埼玉・山梨・長野の三県の境になる甲武信ヶ岳(こぶしがたけ、2,475m)、更には金峰山(きんぷさん、2,595m)へと連なっている。こうした山々が連綿と続いている様をここまではっきりと眺めたのは、私にとっても初めてのことだ。冬枯れの権現山が、奥多摩・奥秩父のこんなに良い展望台であったとは。やはり、今日はここまで来てよかった。
017.jpg
 山頂でゆっくりした私たちは、12時ちょうどに下山を始めた。今度はピークから東に向かって緩やかに高度を下げていく尾根を歩く。頂上直下には足元が滑るような急斜面があったが、日本武尊を祀る小さな祠まで降りると、その先は歩きやすい落葉樹の尾根道が続く。木々の間に、左は奥多摩、右は道志・丹沢の山々が見え隠れする、稜線漫歩という言葉がそのまま当てはまるような快適な山道である。
021.jpg
 30分ほどで雨降山(あぶりやま、1,177m)という、どこがピークかわからないような森の中の丘に着き、そこからは見通しのきかない常緑樹の中を更に降りていく。それなりに距離はあるが、こういう緩やかな下り道は膝が痛くならないので楽である。下界の村落が段々と近づき、少し見晴らしの良いところからは、谷の向かい側に穏やかな笹尾根が大きく見える。あの尾根の向こうは東京都だ。

 やがて山道が稜線上から逸れ、右側の林の中を降りて行くと、もう用竹の集落である。バス停までは更に10分ほどだった。権現山からちょうど2時間。登り始めからは正味4時間弱。T君の万歩計によると、歩いたのは合計で約2万歩であった。地味な味わいながら展望に恵まれた、いい山だった。

 予定よりもかなり早く着いたので、次のバスまで1時間10分も時間が空いてしまった。私たちは迷うことなく、携帯電話でタクシーを呼ぶことにする。靴の泥を落とし、荷物の整理をしていたら、H氏のザックから魔法のように3本の缶ビールが出て来た。ここのバス停で時間が余った時、周囲に自動販売機がない場合に備えて持って来られたそうだ。なるほど、ここは人家も何もないところで、自動販売機を探しに行ったら相当歩かされたことだろう。それに、寒い中を歩いてきたから缶も充分に冷えている。

 H氏の深い洞察力と、3本合計で1㎏ほどの余分な荷物を背負ってくれたボランティア精神に改めて敬意を表しつつ、私たちは缶のプルトップを引いて男の乾杯をした。

 谷の向こうを見上げると、枯葉色の笹尾根が冬の午後の陽に輝いていた。


コメント(0)  トラックバック(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

セピア色の渋谷還暦の湘南電車 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。