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Nuovo Toyama Paradiso (2) [自分史]

 東京から富山を目指すのに、わざわざ松本・南小谷経由で行く変わり者は少ないだろう。今日の私は、その変わり者として旅をすることを楽しんでいる。

 新宿を発車してから既に4時間。白馬の駅を出た特急「あずさ3号」は雪景色の中を走る。岩岳スキー場の見える信濃森上を通過し、栂池への入口となる白馬大池を過ぎると、あたりの地形はぐんぐんと険しい谷になっていった。やがて速度を落とし、列車は定刻通りの11:42に南小谷に到着。ここまで乗っていた変わり者は、私のいた9号車では私の他にもう一人だけだった。

 ここから先はJR西日本の管轄になる非電化区間で、7分の接続で発車する糸魚川行きのたった一両のディーゼルカーが、跨線橋を渡った隣のホームで待っていた。ワンマン運転で、後ろのドアから乗って整理券を取り、降りる時には前のドアで整理券を見せる。気動車と言うよりはレールバスに近い雰囲気だ。この列車の後は、糸魚川行きは3時間近くない。明らかに「あずさ3号」との接続を意識したダイヤなのだろうが、私のような物好きはともかくとして、あずさ3号からこれに乗り換えて糸魚川方面に行く人が実際にどれほどいるのだろうか。
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(南小谷駅にて 中央が糸魚川行きの気動車)
 
 ところが、である。八割方の座席が埋まったその単行運転のディーゼルカーには、「鉄子」や「電助」と見られる若い人達が少なからず乗っていたのである。それも、いわゆる「乗り鉄」で、写真にこだわるというよりは、ポケット版時刻表が旅の友といった類の人達だ。確かに今は春休みの時期ではあるが、平日のローカル線にこれだけの鉄ちゃんがいるとは。今の鉄道ブームがオジサン達だけのものではないことが、よくわかる。

 それにしても険しい谷の中に線路を敷いたものである。動き出した単行運転のディーゼルカーは、少しでも平地を見つけようとするかのように、何度も姫川を渡る。その鉄橋にはガードも何もないから、河を渡る時は案外スリリングだ。断崖絶壁をくり抜いたトンネルは車体の幅すれすれであり、これではこの路線の電化は無理だろう。

 この姫川の峡谷が終わりかけて、景色が少し広くなるところが根知という駅だ。富山にいた頃、冬は同僚達と週末に白馬までスキーに行くことが結構あったが、あれは入社して二年目の冬だったか、根知・小滝間が大雪で埋まり、列車が運休で富山に帰れないことがあった。翌月曜日の朝に白馬から会社に電話をして事情を了解してもらったが、叱られることも何もなく、万事おおらかな時代だった。

 平地がだいぶ広くなり、昔からあったセメント工場を左手に見ながら、線路が右に大きくカーブしていくと、間もなく糸魚川である。北陸新幹線の橋脚工事が進んでいて、その通り道にあたる糸魚川駅のレンガ造りのレトロな車庫が壊される運命にあるそうだ。何とも勿体ない話だが、ともかくもカメラに収めることにする。
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(大正元年に完成した旧糸魚川機関区の車庫)

 この駅では12分の接続で北陸本線の普通列車・富山行きに乗り換えである。直江津方面からやってきた三両編成の列車は、ドアを手で開けるタイプのものだ。車体の横の「富山行」という行先表示を見ると、いよいよここまでやって来たという思いがこみ上げてくる。平日の12時前。車内はガラガラだが、先ほどのディーゼルカーに乗っていた鉄ちゃん達のほとんどは、この列車に乗り換えたようだ。
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 走り始めた列車は、やがて北陸自動車道と並走するようになり、親不知(おやしらず)の駅に着く頃には、深い色をたたえた日本海が窓の外に広がった。四半世紀ぶりに眺める日本海。その次の市振(いちぶり)駅のあたりは、その昔、護岸堤にクルマを停めて海を眺めたりしたものだ。そして、宮崎海岸の駅からは、いよいよ富山県に入る。

 黒部川の長い鉄橋を渡り、YKKの大きな工場がある生地(いくじ)を過ぎる頃、上がっていた雨が再び降り始めた。晴れていれば、北アルプスの最北端にあたる僧ヶ岳や毛勝山が見えているところだが、今日は最初からそれは期待していない。むしろ、曇り時々雨のような天候が、北陸の地の佇まいには相応しいともいえる。

 黒部・魚津・滑川と駒を進めていく間、窓の外には春の耕作を待つ田畑が続く。春の雨は、いよいよこの田園風景に似つかわしい。今日は学校の終業式なのだろう。午後の早い時間だが、途中の駅では中高生達が乗り降りをしていた。このあたり、各駅停車で旅をする楽しさである。

 東富山の大きな操車場を過ぎると、線路は緩やかに右カーブを始める。東京では見かけないタイプの電車や気動車が電留線に数多く停められているのに気を取られているうちに、田園風景はいつしか街の景色になり、ビルの電波塔が見え始め、列車は速度を落とす。幾つものポイントを越えるたびに車体を左右に揺らしながら、列車は富山駅の一番北側の6番ホームにゆっくりと到着する。新宿駅を出てから6時間38分。29年前に富山に赴任した時と、ほぼ同じような所要時間である。

 あの時に降り立ったのは、そういえばこんな駅だった。昔の国鉄調のデザインでは最早なかったが、ホームにある「富山」の駅名表示を見た時には、万感胸に迫るものがあった。
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(to be continued)
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