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禅宗の気分 [宗教]

 私達日本人が、何かの機会にふと京都を訪れてみようかと思うのは、なぜだろう。

 日本の街の多くが、その景観において、文化のありようにおいて、無残という他はないほど特色を失ってしまった中で、空襲を受けなかった京都には古い日本の姿が残っている、そのことは確かにある。では、私達が京都に求めるその「古い日本の姿」とは何か。京料理、舞妓、和服の文化・・・と人によって興味の対象は異なるだろうが、人々の関心の大半は寺社仏閣に向けられているはずだ。
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(東寺)
 
 建物や仏像には国宝や重要文化財が数多く、中には世界文化遺産に登録されている寺社もある。そうした「格付」に弱いところが我々にはあるのも確かだ。しかし、それだけではないだろう。仏教への信仰心が篤い訳でもないのに、或いは思想としての仏教に造詣が深い訳でもないのに、これだけ多くの人々が京都のお寺を巡るのはなぜか。私なりに考えれば、それは外来の文化である仏教を取り入れた我々の祖先たちが、それを消化し、日本人の伝統的な美意識に合ったものへと融通無碍に改編していった、そのことを目で見たり肌で感じたりすることで、一種の安心感を得ようとしているからではないだろうか。

 会社から休みをもらい、家内と娘を連れて、週末に引っ掛けて二泊三日で京都を訪れた。我家にとっては11年ぶりの京都。そのことを決めた背景は、上に述べたようなことが自分の中にあったのかもしれない。

 京都といえば清水寺だが、その清水さんの宗派は北法相宗(きたほっそうしゅう)といって、元々は奈良の興福寺と同じ系譜である。いわゆる南都六宗の一つだが、そういうことは参拝者にはあまり意識されていないだろう。そのご本尊は十一面千手観音だが、本堂の脇には大きな大黒様も祀られていて、どちらを拝んでいるのかよくわからないところが日本的でもある。

 横長の本堂に1,001体の千手観音立像がずらりと並ぶ三十三間堂は天台宗の寺である。一方、京都駅の南西に大きな五重塔を持つ東寺(教王護国寺)は真言宗の総本山で、金堂の中の薬師三尊や十二神将、講堂の中で我々を圧倒する立体曼荼羅はやはり壮観である。共に、こういう雰囲気はいかにも密教のものである。

 仏像を見に行くならこうしたお寺がいい。だが、京都の特色は何といっても禅寺だろう。鹿苑寺(金閣)、慈照寺(銀閣)、南禅寺、大徳寺、龍安寺、妙心寺、天龍寺・・・、これらはみな臨済宗の寺である。それも、鎌倉にある臨済の諸寺が、初期の禅寺が持つ質実な味わいを残しているのに対して、室町時代に権力に組み込まれた京都の臨済宗は、武家の文化が公家化したのと同様に、禅寺といってもどこか優雅で美的に洗練されている。

 京都駅から南東の方角にある東福寺。広大な敷地に現在も25の塔頭を擁する臨済宗の大きな寺である。境内には三つの谷があり、そのうちの真ん中の谷に架かる通天橋からの紅葉の眺めがつとに有名なところだ。鎌倉時代に、時の摂政であった九条道家が、九条家の菩提寺として「京の新大仏寺」を建てることを発案。東大寺と興福寺から「東」・「福」の二文字を取り、1255年に大伽藍が完成したという。開山は日本で初めて天皇から国師の号を贈られた禅僧・円爾弁円である。
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(東福寺)

 臨済宗の始祖・栄西(1141~1215)は1168年と1187~1191年の二度も宋に渡った人で、禅を学び日本に持ち帰った。当時の京都では延暦寺の天台宗が強く、帰国した栄西は布教のプロセスを極めて慎重にたどる。1198年に『興禅護国論』を表した後、新興勢力である鎌倉将軍家に近付き、1214年には時の将軍・実朝に健康食品として茶を勧めている(『喫茶養生記』)。そういう時代背景の中で、東大寺と興福寺を超える「京の新大仏寺」の建設を、それも禅僧を開山とする前提で1236年に始めたというのは驚くべきことだが、当初は天台・真言・禅の三宗兼学としてスタートしたというから、やはり叡山の虎の尾を踏まぬ配慮をしたのだろう。

 実際に東福寺を訪れてみると、三つの谷を擁する自然の風景の中に寺の佇まいが溶け込み、その中に架かる通天橋も、芽吹きの始まった楓の木々の奥に見え隠れする方丈も、まるで自然の中の一つであるかのようだ。

 一般に禅寺は簡素な形(なり)をしていて、余計なものがない。回遊式の庭園の代わりに枯山水の石庭を造り、「無」を眺める。仏像にはこだわらず、代わりに始祖の肖像画などを床の間に掲げることが多い。禅とは解脱を求めるための方法論なのだが、徹底して己(おのれ)を見つめ、自己の外側に何物も求めない。(「無事」という言葉は、自分の外に何かを求める気持ちが完全に止んだ状態をいうのだそうだ。) 全ては自らに由ると考える。だから、道場での修業は日常生活そのものであり、経典を読むよりも、作務と座禅を一心に行うことが求められる。それは辛いことだが、曹洞宗の始祖・道元が「人みな仏法の器なり。」と述べたように、修行に取り組めば人間誰もが持つ仏性(如来蔵ともいう)によって悟りは開ける、という考え方が禅宗には元々あるようだ。
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(龍安寺)
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(天竜寺)

 今から13年前、私がまだ香港に駐在していた頃、その香港が中国に返還された翌日に「アジア通貨危機」が始まった。或る金融商品のカラクリの中で米国の投資銀行が引き金を引いたことが発端とされるが、ともかくもそれまで新興工業国として「アジアの時代」などともてはやされていたタイ、マレーシア、インドネシアなどの通貨が突如として売り込まれ、それはフィリピンや韓国にも飛び火した。

 外貨借入によって経済成長を謳歌していたこれらの国々は、緊急融資を頼んだIMF(国際通貨基金)によって緊縮財政を強要され、公的部門の圧縮と景気の急降下から各国ではリストラが相次いだ。米国のウォール街は、「アジアの時代」の頃はアジア向け融資の仲介で儲け、通貨危機になると今度はリストラのアドバイザーとして「一粒で二度美味しい」思いをするのだが、私は香港からこうした国々を見つめ、IMFによって押し付けられる「グローバルスタンダード」に対し、否定されるアジアの価値観とは何だろうということを考えるようになった。しかし、それにしてはアジアの文化をよく知らないし、そもそも日本の文化についても余りにも知識がない自分に気がついた。そして興味が湧いたのが、アジアの特徴の一つである仏教文化である。それから色々な本の乱読が始まったのだが、そのことを通じて学んだことの一つが、アジアの中で禅宗が最も普及し、その思想が最も民族の血肉となったのが日本であったということだ。そしてその伝統は、日本の衰退が懸念されている今こそ、何としても大切にしていきたいと思う。

 桜の開花を迎えたというのに、京都は真冬のような寒さが続いていた。鴨川の橋から北を眺めると、比叡の山々はまだ雪景色である。穏やかな春爛漫が待ち遠しいが、こればかりは思い通りになるものではない。待つこともまた楽しみの一つと考えればいいのだろう。要は自分の気の持ちようである。

 そういえば、こんな歌があった。

 極楽は西にもあらず東にも北(来た)道さがせ南(皆身)にぞある

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