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経年劣化 [読書]

 10年前は問題なくできていたことが、今はうまくできなくなってしまった・・・。

 最近の日本を見ていると、そういう思いに囚われることが少なくない。家畜の口蹄疫への危機対応も然り。企業のリコール問題も然り。蓋を開けてみれば次々に馬脚が現れた鳩山民主党政権の迷走ぶりは言うに及ばず、サッカーのサムライ・ジャパンも、2002年の日韓共催ワールドカップ大会で一度は決勝トーナメントに進んだ、あの頃に比べて何やら自信を失ってしまったように見える。この10年で日本全体の劣化が進んでしまったのだろうか。

 そんなふうに書き始めてみたのは、作家の塩野七生氏が連載を続けている『文藝春秋』の巻頭随筆のうち、2003年6月から2006年9月までの40回分が『日本人へ リーダー篇』という新書本になった、それを読む機会を得たからである。
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 この随筆がカバーしているのは小泉純一郎首相の時代で、ブッシュが始めたイラク戦争の戦後復興支援に陸上・航空自衛隊を派遣するところから、自民党総裁の任期満了を以って総理を退任し、戦後3位の長期政権が終了するまでの3年3ヶ月。私達は日々のことにかまけていて、今はもう小泉時代の出来事すら忘れかけているが、この時期はイラクへの自衛隊派遣をはじめ、中国との間での靖国問題、竹中平蔵氏を起用した金融システムの早期正常化、郵政民営化の是非を問うた解散総選挙など、盛り沢山の課題があった。そして、それらに対して小泉首相が近年稀に見る強いリーダーシップを発揮して事に当たっていた時期でもあった。

 「軍事とは所詮、自らの血を流しても他者を守ること、につきる。 (中略) 
 古代ではギリシアもローマも、本質はあくまでも、市民が主権者である国家であった。主権者であるからには、権利が認められる一方で義務も課される。権利は、選挙を通じての国政への参加であり、義務は、武器をもっての祖国の防衛だった。それゆえに兵役は、『血の税』とも呼ばれていた。 (中略)
 湾岸戦争当時にわれわれ日本は多額の経済負担をしたにもかかわらず、クウェートから感謝もされなかったことでショックを受けたが、『血の税』の長い歴史をもつ側から見れば、ショックを受けたという日本人自体が不可解であったろう。」
(「イラク戦争を見ながら」 より)

 この自衛隊のイラク派遣は、2001年9月の米同時多発テロへの報復としてブッシュ政権が始めたアフガニスタン攻撃をいち早く支持した小泉政権が、いわゆる「テロ対策特別措置法」を成立させて実行したものだ。但し、憲法第9条との兼ね合いから海外派遣の活動地域は「非戦闘地域と認められる公海とその上空・・・」に限られた。だから日本の貢献は「血の税」ではなかった。そもそも「ブッシュの戦争」に大義はあるのか、という声が少なからず上がったが、そこは首相が日米関係を強調して押し切った。

 「もしも、誰でも納得できる客観的な基準に基づいた大義が存在するならば、人類はとうの昔に戦争という悪から解放されていたはずである。そうでないのは、もともとからして大義なるものが存在しないからなのだ。 (中略)
 大義などはないのだ。といって、新秩序をつくる力はもっていない。この現実を見極めれば、やれることは限られてくる。他の国が大義と言おうが日本だけは心中でせせら笑い、それでいながら冷徹に国益を考え、その線で行動することだけである。」
(「戦争の大義について」 より)

 「日本に帰国中に読んだ新聞の記事に、自衛隊は政治の駒か、と題したものがあった。私だったらこれに、次のように答える。そう、軍隊は国際政治の駒なのです。そして、駒になりきることこそが、軍隊の健全さを保つうえでの正道なのです、と。それゆえに、軍務に就いている人の誇りを尊重する想いと、その軍務は国際政治の駒であるとする考えとは、少しの矛盾もないと思っている。」
(「戦死者」と「犠牲者」 より)

 軍事や外交はあくまでも政治の一つの手段なのだと冷徹に考えることが、我々日本人はなぜ不得意なのだろう。特に憲法第9条に係わる問題になると全くの思考停止に陥ってしまい、議論すること自体が悪であるかのような主張を続ける勢力が、今では政権与党の片隅に座っている有様である。憲法はあくまでも人間が作るもの。一度作ったものに現実と合わない条項が出てきたならば、その改正を是々非々で議論することの何がいけないのだろう。

 「改憲派に多い、占領中にアメリカに押しつけられたものゆえ改める、という立場を私はとらない。占領後も、改憲しようと決心すればできたのにしなかった時期が半世紀も過ぎているのだから、もはやあれはわれわれ自身が望んだ憲法である。ゆえに改憲する場合は、今後とも『律法』的に考えるか、それとも『法律』的な考え方をとるか、のどちらかを、判断の規準にしなければならない。
 もしも護憲を選択した場合は、ユダヤ教の律法が有効なのはユダヤ教徒の間だけであって、法律であったローマ法がもっていた国際競争力はついにもてなかった歴史的事実は、覚悟しておくべきだろう。」
(「法律」と「律法」 より)

(ここでいう「律法」とは、ユダヤ教における、神から人に示されてきた法典のことで、神聖にして不可侵、人間がそれを改めるなどもっての外、というものを意味している。)

 時限立法であったテロ特措法は、安部内閣時代に自民党が参院選に大敗して「衆参ねじれ現象」が生じたため、福田(康夫)内閣時代に時間切れで失効している。そして、現在の鳩山政権は、普天間基地の移設問題という自国の安全保障に直接係わる事柄についてすら、徒に世論を弄んだ挙句に問題を泥沼化させてしまった。10年前、いや7年前と比べた首相の言動の軽さ、リーダーシップの欠如は見るも無残である。

 小泉氏が政権から退いた後は、自民党内でのたらい回しのように首相が3度も交替し、昨年秋には「政権交代」までが起きた。しかし、鳩山政権の支持率は早くも危険水域に入っている。思えば、1993年8月の細川政権の誕生から現在まで16年と9ヶ月。その間に現在の鳩山氏も含めて11人が首相になった。在任期間は平均1年6ヶ月。一人で5年5ヶ月を務めた小泉氏を除けば、後の10人は平均1年2ヶ月に満たない。かくも頻繁に首班を入れ替えて、何かいいことがあっただろうか。ただひたすらに、日本の政治の劣化が進んだだけではなかったのか。

 「ローマ帝国も三世紀に入ると、政策の継続性が失われたのである。具体的に言えば、皇帝がやたらと変わるようになった。 (中略)
 危機の打開に妙薬はない。ということは、人を代えたとしても目ざましい効果は期待できないということである。やらねばならないことはわかっているのだから、当事者が誰になろうと、それをやりつづけるしかないのだ。『やる』ことより『やりつづける』ことのほうが重要である。
 なぜなら、政策は継続して行われないと、それは他の面での力の無駄使いにつながり、おかげで危機はなお一層深刻化する、ということになってしまう。」
(「継続は力なり」 より)

 塩野七生氏は、評論家ではない。古代ローマやルネサンス期のイタリアを専門とする作家である。だから、月一回の随筆を長年こなしていく中で、取り上げる話題には得手不得手があることだろう。私も、氏と必ずしも同じ意見ではない箇所は少なからずあるし、古代・中世の歴史上の事実がそのまま現代の諸問題の解決策になるとはもちろん限らない。だが、イタリアという地域の歴史の中で培われてきた、国際社会に対する醒めた物の見方というのは、私達としても参考にすべきことであろう。

 それにしても、たとえ多勢に無勢でも一人で決断を下していた小泉氏に比べて、現首相はツイッターで呟やきを発信しているとは、何と小粒になったことだろう。

 「自己反省は、絶対に一人で成されねばならない。決断を下すのも孤独だが、反省もまた孤独な行為なのである。」
(「プロとアマのちがいについて」 より)
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