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時は今 [季節]

 6月12日、土曜日。久しぶりに朝寝坊をした。

 昨夜は会社の周年行事で夜遅くまで過ごし、だいぶ飲み過ぎてしまったので頭が重い。8時過ぎに目が覚めて、窓の外を見ると良く晴れている。昨日の夕方にネットで見た天気予報には、東海地方の南に高気圧がやって来るとの予想天気図が載っていたから、これは気温の高い好天になるだろうなと思っていたが、やはりその通りになった。

 昨夜の予定がなければ、山仲間と相談して今日はどこかへ山歩きに出かける計画を立てていたかもしれない。そして、そういう時に限って天気が良かったりするものだ。しかも、明日の日曜日は曇りのち雨との予報である。こればかりは思い通りにならないものだが、嘆いていても仕方がないので、山を想いつつ、家の近くで都会の緑を楽しむことにしよう。

 そう思っていたら、山仲間のH氏から携帯メールが届いた。前日の金曜日に休暇を取り、テントを担いで八ヶ岳南部の青年小屋に幕営。快晴の今朝は編笠山(2,524m)の山頂から北アルプスや南アルプスが思いのままに望めるそうだ。自分は行かずともこうして山の便りが届くことの幸せを感じつつ、私は散歩に出かけることにした。

 6月は都会の中でも花と緑の鮮やかな季節である。小石川植物園に足を運ぶと、目を楽しませてくれる花はサツキ、アジサイ、そしてショウブ。雑木林に入ればオニカエデの葉が初夏の陽に輝き、足元に繁る夏草の勢いは驚くほどである。
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 歴史を紐解くと、皇極天皇4年(西暦645年)に起きた、中大兄皇子、中臣鎌足らが飛鳥板葺宮の大極殿で蘇我入鹿を暗殺した、いわゆる「大化の改新」のクーデターが起きたのが、1,365年前の今日、すなわち6月12日なのだそうである。(入鹿の父・蘇我蝦夷が館を攻められて自刃したのは翌13日。) この暗殺事件は乙巳の変(いっしのへん)と呼ばれるが、もちろんこの事件は政変の端緒に過ぎず、中大兄皇子を中心にしてその後に断行された一連の政治改革の総称が「大化の改新」である。

 入鹿暗殺のクーデターは、三韓(百済、新羅、高句麗)からの使者を宮中で迎える儀式が行われる日を選んで決行されたそうだが、中大兄皇子と鎌足が胸に決意を秘めていた頃、飛鳥の野辺には今私たちが眺めているのと同じような花と緑があふれていたのだろうか。因みにこの日、飛鳥では大雨が降っていたという。
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 それから937年の年を経た天正10年(西暦1582年)6月(旧暦では五月)、戦国の武将・明智光秀は京都市北西部の愛宕山の山上で連歌の会を挙行した。言うまでもなく連歌とは、第一句(発句)を誰かが詠むと、メンバーが順次第二句、第三句を詠み合っていくという、平安末期に登場した公家の文化が、室町時代になって武家、更には庶民階層にも流行したものである。応仁の乱の頃には、飯尾宗祇(1421~1502)のような「連歌師」も登場し、各地の歌会に盛んに招かれたという。光秀が主催した歌会では、後に連歌史上最後の巨匠と呼ばれた里村紹巴(さとむら じょうは、1525~1602)もメンバーの一人であった。

 光秀がまず、
 「時は今あめが下しる五月(さつき)哉」
と詠みあげたのは、有名である。光秀が美濃の土岐源氏であることは、たれもが知っている。
 この華麗な暗喩に富む句が、土岐の世がくるということを「時」でほのめかし、その「時」こそ五月の雨の季節である。雨を天(あめ)と掛け、しるは統(す)べるにかさねた。
 紹巴は、内心、この句の意を察した。
 愛宕の威徳院の僧行祐も感じていたのか、
 「水上まさる庭の夏山」
と、あざやかに毒をぬいた。つづいて紹巴が、
 「花落る池の流れをせき留めて」
と、さらに無毒にした。
 現実が、連歌によって、史劇そのものになっている。
 (『この国のかたち 五』 司馬遼太郎 著、文藝春秋 より)

 この時点で、光秀は高松攻めの羽柴秀吉の援護を信長から命ぜられ、丹波亀山城まで軍勢を進めていた。それが、西国とは反対の京へと踵を返し、「敵は本能寺にあり」として信長の宿泊地を包囲したのが、愛宕の連歌の会から4日後。今の暦でいうと6月21日の未明になるそうである。

 光秀が愛宕の山上で意味深長な歌を詠んだ時、桂川の橋を渡って全軍に触れを出した時、そしてその政変が三日天下に終わって山野を敗走していた時、そこには今日私が眺めていたのと同じような夏草が生い茂っていたのだろうか。
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 大化の改新や本能寺の変とはいささか次元が異なるが、昨年の8月末に我々国民が選択した平成ニッポンの政変は、所詮は宰相の器ではなかった鳩山首相の自滅によって第二幕を迎えた。かつて首相を輩出した家系で育った首相が四代続いたが、そういう家柄は見事なほどに何の役にも立たなかった。その点、今度の菅首相は、それこそ「草の根」の出身である。ともかくも、途中で政権を放り出したりせず、夏草のようなバイタリティーを持続して欲しいものだ。一国の宰相に求めるものがそんなことになってしまったのは、何とも情けない限りであるが。

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