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二つの新書 [読書]

 今年4月20日発行の本が5月15日で早くも第4刷というから、かなりの売れ行きなのだろう。事実、ネット販売のAmazonなどでは、一時品切れになっていたらしい。『日韓がタブーにする半島の歴史』(室谷克実 著、新潮新書)を、この週末に読んだ。

 「『文明は半島から来た』なんて大ウソ!」というサブタイトルからして挑戦的だ。本のカバーには、「日韓古代史の『常識』に異議を唱え、韓国の偏狭な対日ナショナリズムと日本のあまりに自虐的な歴史観に歪められた、半島史の新常識を提示する」とある。本書は元々、『戦後日本の朝鮮史学(者)を告発する』という仮題で倍の分量の原稿があったものを、出版社との調整でタイトルを替え、分量を半分にしたそうである。

 時事通信社を定年退職した著者は、ソウル特派員として韓国に5年滞在。その間にいやな思いをしたことが少なからずあったのだろうか。日韓古代史の話だけではなく、韓国社会や韓国人の行動原理についても批判的な姿勢が節々に現れている。
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 といっても、よく見かけるような「嫌韓本」の一種ではない。9世紀に新羅が衰退した後、諸国分立を経て10世紀に半島を統一した高麗(918~1392年)が国家事業として編纂した、半島最古の正史『三国史記』と、それから百数十年後に、仏教を事実上の国教としていた高麗で僧侶の最高位に上りつめた一然(イルリョン、1206~89年)が『三国史記』批判のために著した『三国遺事』という原典にあたりながら、古代の半島と「倭」との関係を紐解いている。(今の韓国は自国の文字から漢字を廃止してしまったため、祖先がこうして漢字漢文で残した古典を読めなくなっているそうだ。)

 そこから読み取れるのは、古代において半島南部はかなりの程度、倭人や韓人などの雑居する地域であったこと、新羅の第4代の王・脱解(在位:AD57~80年)は「倭国の東北一千里の多婆那国からやって来た」との記述があるように、半島には倭人が政権中枢に入り込んでいた国があったこと、そして、半島において「倭と陸続きの国」があった(⇒すわなち、倭の一部が半島にあった)ことだという。

 古来、正史とは新たに登場した王朝が、自らの正統性を世に示すために編纂したもので、本来が政治的なプロパガンダを含んでいるものだ。その高麗王朝が、かつて倭人が新羅の基礎を作ったというような話を、もしそれがあり得ないような話だとすれば、それを敢えて正史に載せて正統性を疑われるような危ういことをするだろうか?というのが著者の論点である。

 更に読み進んでいくと、半島では刀が長い間鋳造品であったのが、列島では早くから鍛造品であったことから、製鉄技術は列島の方が進んでいたと見られること、列島へのイネの伝播は半島経由でなく中国の江南地域からであることが今や明らかであり、水稲耕作の技術はむしろ列島から半島に伝わった可能性があること、中国大陸の前漢・後漢・魏・晋の各王朝が朝鮮半島の北西部に置いていた植民地・楽浪郡(BC108~AD313年)が古代においては文明の担い手であり、倭は半島南部を拠点に楽浪郡と通交することで文明を取り入れていたことなど、今まで漠然と聞かされてきた「文明は半島経由で列島へ」という構図とは異なる姿が見えてくる。

 一方で、「倭」の方には独自の記録がなく、この時代の「倭」及び「倭人」が現在の日本及び日本人であるかのようにイメージしてしまうのも危険なのだろう。(著者の議論の展開方法は、このあたりがちょっと心配ではある。) 半島南部が倭人・韓人の雑居地であったのなら、九州北部から山陰地方などが(程度の差こそあれ)似たような雑居地であったとしても不思議はないのではないかと、素人的には思ってしまう。

 日韓の古代史について、これまでの定説、特に韓国の学会が唱えてきたことを覆す本書の指摘。しかし読者が現在の「韓国」・「日本」という枠組みにとらわれていると、感情的な議論にもなるだろう。だが、歴史学も社会科学の一つである。ここはあくまでも冷静になって、「加害者」や「被害者」というバイアスをかけず、ましてや儒教的な観念論や偏狭なナショナリズムは排して、客観的な事実の解明が日韓の間で進むことを願いたいものだ。
 
 時あたかもW杯サッカー大会の真っ最中である。頭に血が昇っている時は、こういう議論はやめておこう。

日韓での歴史観の違いに言及したついでに、この週末に読んだもう一冊の新書本、『日本人へ 国家と歴史篇』 (塩野七生 著、文春新書)の中に、ちょっと面白い指摘があったので、書きとめておこう。
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 「日米の間でも、近現代の歴史を共同で研究してはどうであろうか。
 日韓ではそれをしたらしいし、日本と中国の間でも歴史の共同研究は始まったようである。だが私は、歴史事実は共有できても歴史認識の共有はむずかしいという理由で、日韓日中とも、カネと時間の無駄だと言ってきた。だが、やるべきでないとは言っていない。なぜなら、成果は絶望的でも、やっています、と示すことの有効性ならば認めるからである。ゆえに、これに使うカネと時間は、宣伝広報費だと思ったらよい。
 ところが、日米間の近現代史共同研究となると話はだいぶちがってくる。しかもそのちがいは、すべてプラスになって返ってくる可能性まであるのだ。
 まず第一に、アメリカ合衆国に対しては、本音はどうであれ建前としても、やっています、と示す必要はない。
 第二に、あちら側の参加者たちには、始める前から頭に血がのぼっている人はいないだろう。
 第三、硫黄島攻防戦は歴史事実で、それをどう見るかは歴史認識だが、この後者を強いて共有しようとしないで、アメリカ側と日本側の『認識』を二本立てにした、アメリカ人のクリント・イーストウッドという例がすでにあること。
 なにしろ、敗戦後に行われた東京裁判で、ひときわ冷徹に論理的に、戦犯とされた人々を弁護したのも、アメリカ人の弁護人だったのである。
 もしかしたらこのアメリカとならば、歴史認識の完全な共有まではできなくても、相当な程度に歩み寄ることは可能かもしれない。となれば、それに要するカネも時間も、宣伝広報費と思わなくてもよくなるのである。」
(「『硫黄島からの手紙』を観て」 より)

もっとも、直近の「日韓歴史共同研究」の進捗状況などを見ていると、ちょっと絶望的な気分になるのだが。
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