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成熟フェーズの日本 [読書]

 サッカーのW杯大会の一次リーグで日本代表チームが対戦したデンマーク。人口540万人ほどの、ヨーロッパの小国である。

  『世界価値観調査2008』という国際的なアンケート調査で、「自分は幸せだ」と思う人の比率が世界一の国、そして健康、GDP、教育、景観などの客観的な指標を比較・集計した『世界幸福ランキング2006』で幸福度世界一となった国は、共にこのデンマークなのだそうである。国民負担率71.7%という、スウェーデンと並び世界で最も税金の重いこの国は、それによって世界最高水準の社会保障、社会福祉を維持し、国民一人当たりGDP(2008年)6.2万ドルはOECD加盟30ヶ国中第4位で、日本の1.6倍にもなる。そして、上述の通り人々の幸福度は主観的にも客観的にも高い。

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  対する日本は1億2,700万人の人口を擁する世界第二位の経済大国でありながら、国民が豊かさをなかなか実感できない国である。その一方で、「自力で生活できない人を国が助けてあげる必要はない」と答える人の割合が38%と群を抜いて高く(2位は米国で28%、他は先進国も新興国も概ね10%弱)、寄付が世界で最も少ない国でもある。国民の間での所得の格差は比較的小さいが、国全体の平均年収の半分以下の年収しかない「相対的貧困者」が1,900万人(全体の14.9%)も存在することには、余りフォーカスが当たらない。そうした貧困による自殺者の数は、日本が世界一なのである。それなのに、

  「新聞も週刊誌の特集も、テレビのコメンテーターも、成長論が見えない、経済成長の戦略が示されていないとばかり騒いでいる。なぜそんなに経済を成長させたいのか。弱者や老人を見捨ててしまえと思っている一方で、やっきになって経済を成長させて何をどうしたいというのか。」

  「寄付はしない。弱者を救う必要はない。今、大事なのは経済成長だ。ダム建設は続行しろ。空港をもっと造れ。 日本はこんなことで本当に大丈夫か。」

 こんな前書きに引き込まれるようにして読んだのは、『成熟日本への進路 - 「成長論」から「分配論」へ』 (波頭 亮 著、ちくま新書)という新刊本である。

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 著者の波頭氏は言わずと知れたマッキンゼー出身のコンサルタントで、今までにも切り口の明快な著作を世に出して来た人だ。私とほぼ同年代ということもあり、著作を通じてその思考や分析、論理の組み立てを何かと参考にさせてもらっている人の一人である。

  著者は元々、市場主義者の立場で物事を論じてきた人であり、リバタリアン的に規制緩和と自由競争の下で個々人が己の幸福を追求することを説いた著作も出していた。しかし、四~五年前あたりからそれに違和感を持ち始め、

 「重視すべきは明確な個性や強い指向性というよりも、基本的な生活の安定である。」

 「自分自身のアイデンティティへ向かう内向的な意識のベクトルではなく、他者や社会へ向ける目線や気持ちが、現代の社会においては人々が幸せに生きていく上ではより重要」

というように考え始めるようになった。

 では、自らが辿り着いた結論が180度も変わってしまったのはなぜか。そこで著者は思い至る。日本社会の成長フェーズが終わって成熟フェーズに入ってしまったという事実が全ての根源なのだと。  

 何しろ国の人口が減り続け、高齢者の比率がおそろしく高まるという、世界のどの国も体験したことのない時代に突入しているのである。しかも、その日本は輸出大国と言われるが、GDPの構成比では実は内需の存在が大きい。そこが縮んでいくのだから、今までのような「潜在成長率2~3%」というような経済成長を期待すること自体がもはや無理であり、成熟フェーズに入った以上は公共投資や企業支援で景気を“刺激”しようとしても無駄で、それは老人に無理やり霜降り肉のステーキを食べさせようとするようなものだ、というのが根底にある考え方である。

  それでは、成熟フェーズに向けた日本の針路は何か。そこは戦略コンサルタントらしく、波頭氏の提言は明快である。

  まず国家ヴィジョンとして、国民の誰もが、医・食・住を保障される国づくり」を明確に掲げることを説く。一見するとかつての社会主義国家のようだが、そうではなく現在の北欧諸国のように、まずは確かなセーフティーネットを築くために国民同士が社会を支え合うことを指している。

  その下での全社戦略として、産業構造のシフト」が打ち出されている。具体的には、これからのニーズが間違いなく高く、雇用の受け皿にもなる「医療・介護」サービスの拡充であり、そしてエネルギーと食糧の輸入に必要な外貨をしっかりと稼ぐ産業(具体的にはハイテク型環境関連産業)の育成である。

 更にその下の個別戦略では、成長論から分配論へ」として、国家予算による無駄な投資をやめ、高福祉のための財源として、消費税・金融資産課税・相続税の大幅増税を実施すること(日本の国民負担率(40.6%、2008年)は先進諸国に比べてもまだ低い)。そして「市場メカニズムの尊重」として、個々の産業においては市場メカニズムに従い、非効率な企業を存続させず、雇用市場においても雇用・解雇にダイナミズムを持たせることを提案している。

  著者の指摘の中で興味深かったのは、冒頭に引用したデンマークは、高い国民負担率によって世界最高水準の社会保障・社会福祉を維持していると同時に、ヨーロッパでは最も労働者を解雇しやすい国として認定されているという点である。要は、国際競争に勝ち抜くためにも企業は市場環境に柔軟に対応していく必要があり、人の雇用も例外ではないということだ。

  「もちろんだからと言って、就労者は企業活動に供される単なる部品や材料のように扱われても仕方がないのかと言うと、それは全く違う。労働者は、従業員として企業に守られるのではなくて、国民として国家に守られるべきなのである。そのためのセーフティーネットが、公共財として国民全員に供される手厚い失業給付であり、十分な生活保護であり、医療・介護の無料化なのである。」

 考えてみれば、戦後の日本は公共財としてのセーフティーネットが貧弱であっために、企業が長期安定雇用や社員教育を行うことでその代わりを果たしていたとも言える。だが、「失われた二十年」を経て、今の企業にそれを期待し続けるのは無理というものである。だから、これからは公共財を充実させねばならないと。そして著者は、ドイツやフランスのように恒常的な高失業率に悩む国からの教訓として、高水準の福祉と企業による雇用保護とをセットにしてはならない、という指摘も忘れていない。高福祉だからこそ自由経済」という訳である。

  著者の主張は結局のところ、「コンクリートから人間へ」というスローガンで昨年秋に政権を獲得した民主党の理念に近いものと言える。だから、

 「これではバラマキが増え、福祉にぶら下がる輩が続出するだけだ。」

 「昔から『働かざる者、食うべからず』と言うではないか。ブラブラしてる奴をなぜ税金で養わなければならないのか。」

 「誰もが医・食・住を保障されてしまったら、誰も働かなくなるのではないか。」

というような反論は多々あることだろう。政権獲得後の民主党の実際の政策手腕については、著者自身も批判的ではある。

  だが、私たちの頭の中がまだ成長フェーズにおけるモノの考え方から抜け切っていないことも確かである。その何よりの証拠に、「成長戦略がない」として民主党を批判する保守系の各党も、それでは自身の「成長戦略」は何かというと、法人税減税や規制緩和といった言葉以外には殆ど何もない。国民の幸福度をどのように高めていくかといった視点はあるのかどうか。ましてや、郵便局を守ろう、中小企業を守ろうとしか言っていない政党などは論外である。

  折しも、来週日曜日の参議院議員選挙では、消費税増税の可能性が争点の一つになってきた。そのこと自体は以前に比べれば大きな前進である。国全体が成熟フェーズに突入している中で、個々の国民は果たしてどこまで成熟の度合いを見せていくだろうか。  本書はこれからも折に触れて読み返してみたい本である。


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