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大国の論理・小国の意地 (3) [読書]

 超大国アメリカは、アジアの小国ベトナムになぜあれほどの軍事力を投入し、北爆開始から数えても約8年にわたる戦争を続けたのか。その根底にあったのは「ドミノ理論」だと言われる。ある一つの国で共産主義政権が誕生すると、まるでドミノ倒しのように、近隣諸国が次々と共産主義化してしまうという理屈である。1950年代の米・アイゼンハワー政権下で国務長官を務め、強固な反共主義者だったジョン・フォスター・ダレスが主張し、冷戦時代の米国の外交政策上、一つの支配的な思想になった。

 今の私たちは1970年代以降の歴史を知っているから、ドミノ理論に対しても、現実世界はそんなに単純なものではないよ、と言うことができる。だが、戦後のヨーロッパに「鉄のカーテン」が敷かれ、中華人民共和国が誕生し、朝鮮半島が南北に分かれ、そして60年代に入ると米国の喉元のキューバで共産革命が成立し・・・というような情勢下では、ドミノ理論はかなりのリアリティーをもって受け止められていたのだろう。

 1964年末から65年の初頭、北ベトナム軍の攻勢と南ベトナム軍の無能、南ベトナム政府の腐敗、そして南ベトナム解放民族戦線が各地で繰り広げるテロ闘争によって、南ベトナムという国は崩壊の一歩手前にあった。このままではドミノ理論の予言する通りになってしまう。米国はそこで、北爆と大規模な地上部隊の投入を決意した。だが、

 ベトナム戦争は「歴史上最も複雑な戦争」といわれ、様々な要因がアメリカ軍の行動を制約した。南ベトナム政府と軍の腐敗と無能、北ベトナム政府と軍の強靭な意志と組織、地域の奪取を目的としない不慣れなゲリラ戦、熱帯性ジャングルと山岳地帯という戦場の地形と気候、カンボジア・ラオス・北ベトナムという聖域の存在、ソ連と中国による介入の可能性、迅速かつ安価で犠牲の少ない軍事的勝利を求める国内世論などの制約を一挙に解決することは、アメリカ軍にとって実際上不可能であった。
 (『戦略の本質』 (野中郁次郎 他5名共著、日経ビジネス人文庫) 第7章 ベトナム戦争 より)
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 米国が南北ベトナムの戦争に直接介入することにより、無能で崩壊寸前の南ベトナム政府・軍の代わりに米軍が前面に出て、北ベトナム軍や南ベトナム解放民族戦線のゲリラと戦うことになってしまった。米軍は不慣れな地で不慣れな対ゲリラ戦を強いられ、消耗し、その一方で世界からは「アメリカの戦争」と受け止められる。そして、戦地の惨状と、そこまでして米国が支える南ベトナムの腐敗と無能ぶりがメディアによって配信されるたびに、「アメリカの戦争」の正当性が揺らいでいく。

 アメリカは自分が常に正義であると考えており、「正義は必ず勝つ」と信じている。したがって、戦場における不成功は、戦争の動機と性格そのものに対する疑念を生み出し、アメリカ国民の戦意を根底から破壊する。このようなアメリカにとって、ベトナム戦争はきわめてやりにくい戦争であった。
 (前掲書)

 ベトナム戦争によって、米軍には約30万人の負傷者と約58,000人の戦死者が出た。戦場での凄惨な体験から精神を病んでしまった人も多い。これほどの代償を払ったにもかかわらず、北ベトナムによる全土制圧で南ベトナムは社会主義化されたのだから、政治的にも軍事的にも米国の完全な失敗である。他方、その後の世界がドミノ理論の通りにはならなかったことも事実なのである。

 前掲書には、こんなくだりがある。

 ベトナム戦争を指導したアメリカの中心人物であるマクナマラ国防長官は、ベトナム戦争の教訓として次の点を指摘している。
 ①共産主義の脅威を過大評価した。
 ②南ベトナム政府の無能と腐敗を理解していなかった。
 ③北ベトナムのナショナリズムに基づく信念を過小評価した。
 ④東南アジアの歴史、文化、政治に対して無知であった。
 ⑤強い政治的動機を持った人間に対しては軍事技術に限界があることを知らなかった。
 ⑥大規模な軍事介入を開始する前に、議会や国民の間で十分な討議や論争をしなかった。
 ⑦複雑な戦争を国民に十分に説明せず、国民を団結させることができなかった。
 ⑧すべての国家をアメリカの好みにしたがって作り上げる権利をアメリカは持っていないことを認識していなかった。
 ⑨国際社会が支持する多国籍軍と合同で軍事行動をするという原則を守らなかった。
 ⑩国際社会には解決できない問題があることを認めなかった。
 ⑪行政府のなかにベトナム戦争を分析し議論するトップクラスの文官・武官による組織がなかった。
 マクナマラ国防長官は次のようにも述べている。
 「われわれは正しいことをしようと努めたのですが、そして正しいことをしていると信じていたのですが、われわれが間違っていたことは歴史が証明している。」

 上記の①から⑪までについて、ちょっと地名を入れ替えてみるだけで、21世紀になってから行われた「ブッシュの戦争」や、その根底にある米国のネオコン(新保守主義)的な思想の持つ問題点と、何とぴったり重なり合うことだろう。或いは、地名を幾つかの金融用語に置き換えてみるだけで、サブプライム・ローンの焦げ付きに端を発し「リーマン・ショック」を引き起こした米国の金融資本主義の宿痾のようなものまでも、正確に言い当てているかのようだ。

 要は、ベトナム戦争以降の米国において、マクナマラの反省は殆ど何も活かされてこなかったのだ。

 最後に、今回読む機会を得た『我々はなぜ戦争をしたのか - 米国・ベトナム 敵との対話』 (東大作 著、平凡社ライブラリー)から、以下の部分を引用して、今回の結びとすることにしよう。

チャン・クアン・コ(当時、北ベトナム外務省対米政策局長)
 私は1967年の夏に行われたマックスウェル・テーラー元アメリカ統合参謀本部議長の旅を思い出します。彼はアメリカの同盟国である東南アジア六か国を訪問しました。その結果明らかになったことは、東南アジアの国々で、アメリカの信ずる「ドミノ理論」を正しいと考えている国など一つもなかったという事実です。ドミノの一つであるはずのシンガポールでさえ、アメリカの派兵要請に応じませんでした。アメリカはまるで、共産主義拡大の被害者を想像の世界で作り出そうとしているみたいでした。被害者であるはずの当人は、アメリカが作り出した「ドミノ理論」に関心などなかったのです。
 この点は、本来、外交的に洗練されているはずのアメリカやその他の大国にとって、大きな教訓であるはずです。つまり、検証するのを怠ったまま、国際政治の理論など信用しないで欲しいということです。他の言い方をすれば、「自信過剰になるな。傲慢になるな。あなたの信念を他国にも話し、正しいかどうかを検証せよ」ということです。
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