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絆 [自分史]

 電車を降りてホームの階段を降りると、広い地下通路は左右に行き交う人々であふれている。そしてその人混みは、東口の改札口を出てからもなお、とめどもなく続いている。やはり、若い人が多い。
夜の新宿駅も久しぶりだ。地上に出て駅前の雑踏を抜け、ネオンサインの輝く靖国通りのやや広い歩道に出ると、ざわめく街を静かに見下ろすように、十五夜の大きな月が昇っている。

 ビルの8階にあるレストランの、夜景が広がる窓際のテーブルに通されると、程なく家内が到着。その後に娘が、そしてやや遅れて息子がやってきた。それぞれ出かけていた先からの現地集合である。
家族がそろった。今夜はこれから、家内の誕生日のお祝いである。といっても、我家のことだから高級フレンチなどになる筈がない。家内の希望に従い、今回は四人でタイ料理を楽しむことになった。
ビールや梅酒のソーダ割りで、まずは乾杯!久しぶりのタイ料理とあって、当の家内より娘の方が嬉しそうである。
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 私が大学を卒業する頃は、両親と一緒に外食などというと、正直言って煙たいものだったが、二人とも同じ年頃になった我家の子供達を見ていると、あの頃の私よりもずっと無邪気に家族四人での時間を楽しんでいるようだ。それは、こうした外食の時だけではない。普段から食卓を囲む時はそうだし、多少の波風が起きることはあっても、ともかくも四人仲良く暮らしていることは確かである。そして、子供達にその理由を聞けば、何を考えるでもなく、きっとこう答えるだろう。
 「だって、ずっとそうしてきたから。」

 来る途中、きれいな満月が出ていたことが、早速話題になる。
 「今日は中秋節だから、香港でもお月見だね。」
 「今頃は、火を灯したランタンがヴィクトリア公園にいっぱい出てるのかなぁ。」
 「街で月餅をいっぱい売ってたよね。」
 「日本のと違って、塩タマゴなんかが入ってるヤツね。」
 
 中国では農暦の8月15日は中秋節といって、日没後に家族が集まって秋の名月を眺め、月餅を食べたり、或いはそれを親戚や友人に配ったりする風習が昔から続いている。その時には公園や小高い丘の上などで、紙製の小さなランタンに火を灯すのがつきものだ。我家にとっては、香港で暮らしていた頃の風物詩の一つである。当時、子供達はまだ小学生だった。

 海外で暮らしてみると、日本の中にいるよりも、家族単位で過ごし家族と一緒に行動することが多くなる。それは、一家で海外駐在を経験した人なら誰もが実感することだろう。最近はだいぶ便利になったとはいえ、日々の生活のセットアップも、子供達の学校のことも、何かあった時の医療のことも、国内にいればあまり手をかけずにできることが、現地ではそうもいかない。「水と安全はタダ」という国ではないから、家族の安心安全にも気を配る必要がある。そうしたことを一つ一つ経験していく中で、家族の関係は濃密になっていくのかもしれない。

 海外暮らしには固有の苦労があるものだが、プラス思考で受け止めていけば、後から思えば面白い体験だったと言えるようなことも多い。家内も子供達も、慣れないことの連続に最初は戸惑ったことだろう。だが、私の目から見ても案外逞しいものだと思えるほど、家族は現地で色々なことを吸収してくれた。香港という便利な場所に暮らしているのだから、なるべく見聞を広めてもらおうと、休暇の時には家族を連れて周辺のアジアの国々へ出かけることにしたのだが、私が何よりも嬉しく思うのは、そうしたアジアの国々、アジアの文化に対して、家族が今も愛着を持ってくれていることだ。家内の今夜のチョイスがタイ料理になったのも、そんな背景があってのことである。
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 私の香港駐在は結果的に7年弱ほどの期間となったが、子供達はある時期になったら日本の学校に戻さねばならなかったので、家族と一緒に過ごしたのは2年余りである。その後は私が残り、出張や休暇で東京へ行ったり、あるいは夏休みや年末年始に家族を呼び寄せたりという、行ったり来たりの生活が5年近く続いた。その頃からだろうか、家族四人が顔を合わせた時のワイワイガヤガヤは以前にも増して賑やかなものになっていった。今から思うと、海外で一緒に暮らした時期があったからこそ、その後の二重生活の期間も、東京と香港とで家族がお互いを思い合うことができたのかもしれない。

 そのずっと以前、私が業務研修で一年間ロンドンに行くことがあった。結婚して3年目。息子がまだ生後半年に満たない頃のことである。私一人の長期出張という形であったが、どうせ将来の海外赴任の予行演習であるのならと、夏の二ヶ月だけ二人を呼び寄せることにした。乳飲み子を抱えながら初めての海外暮らし。家内にとっては緊張の連続であったのだろうが、三人でささやかに過ごしたあの夏のロンドン生活が、今にしてみれば我家の原点になったのだろうと思う。

 それにしても、今夜はよく食べた。現地で出される料理ほどスパイシーにはしていないが、タイ料理は家内のみならず家族みんなの好物である。タイには四人で何度も出かけた。万事マイペースだが何とも愛すべき国である。その時の思い出話にもまた、花が咲いた。
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 四人そろってのこうした機会も、今後は子供達の生活次第である。社会人に向けての、人生の大きな節目が近づいている。親としては、必要なサポートを与えつつ本人の努力を見守るしかないが、どんな時にも無邪気なワイワイガヤガヤができる我家の食卓は、残していってやりたいものだ。

 賑やかな食事の延長戦のようにして、私たちは靖国通りを駅に向かって歩いた。明日の祝日を前に、街は人通りであふれている。夜の早い時間から雨になるとの予報だったが、振り向くと、雲の流れる空に銀色の十五夜お月様が、まだ私たちを照らしてくれていた。

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