SSブログ

聖地巡礼 - 穂高・岳沢 (1) [山歩き]


 8月5日の金曜日、午後10時半。新宿西口の都庁前地下の大型バス駐車場は、信州へ向かう夜行バスの乗客でごった返していた。上高地、乗鞍高原、白馬・・・。そういう方面行きだから登山客も多い。もちろん私たちもその一員である。今回のメンバーであるT君、H君、そしてO女史と私という四人の同期生にして山仲間。それぞれ大荷物を背負って、集合時刻までに全員が揃った。

 それにしても、この地下駐車場は暑いことこの上ない。構造上の問題なのか風が全く通らず、幾多のバスのアイドリングも手伝って、今夜は蒸し風呂状態だ。私たちは既にもう大汗をかいている。

 午後11時の定刻からやや遅れて、私たちが乗り込んだ上高地行きのバスはようやく発車。甲州街道を走って調布で中央自動車道に上がり、西を目指す。睡眠誘発剤のつもりで買った缶チューハイを空け、少しトロッとしたと思ったら0時20分に談合坂でトイレ休憩。眠りに入る機会を逸してしまった。

 バスが再び走り出した後も、私の眠りはぶつ切り状態だ。勝沼ICで下に降りて一般道を諏訪まで走り続けたこと、諏訪で再び高速に上がり、SAでトイレ休憩の後は岡谷で降りて塩尻峠を越えたことなどは断片的に覚えている。さすがにこの後はすこし眠りが持続したようで、次に目が覚めた時はバスが沢渡(さわんど)の駐車場に入るところだった。
Kamikohchi (map).jpg

 午前4時40分、沢渡着。上高地の夏の交通規制が一段と強化される今日は、観光バスも上高地には入れないから、私たちもここで沢渡・上高地間の低公害シャトルバスに乗り換えである。そのシャトルバスは5時半少し前に沢渡を出発。坂巻温泉を過ぎて中の湯から釜トンネルに入る。最後に上高地に来たのは四半世紀以上も前のことだから私は知らなかったのだが、手掘りのままのような壁面で狭く、急カーブと急勾配の連続で片側通行だった昔の釜トンネルは6年前にすっかり新しくなって、今では二車線の立派なトンネルに生まれ変わっていた。早くも歳月を感じる瞬間である。

 釜トンネルはすっかり変わったが、変わらないのはバスが大正池にさしかかった時に、天気が良ければそこで初めて姿を見せる穂高の山々の姿だ。だから、この区間は進行左側の席に坐らなければ損である。この日の朝は曇り気味で焼岳もガスの中だったが、大正池付近で右カーブを曲がった時に目に飛び込んできたのは、その穂高の稜線だった。 「お久しぶり!」 私はそう声をかけたくなった。

 今から38年前の夏、高校二年生の時の山岳部の夏合宿で、私は初めて上高地を訪れた。梅雨が明けたばかりの頃で、幸運にも初日から好天が続いた一週間だった。夜行の急行「アルプス」で新宿を出て、頼んでおいたマイクロバスで未明の松本駅前から上高地を目指したその時は、大正池から穂高連峰がきれいに見えていて、T君も私もその姿にいっぺんに魅せられてしまったのである。

 午前5時50分、シャトルバスは上高地バスターミナルに到着。思っていたよりも気温が高く、湿度もあるようだが、あの独特の森の香りが鼻を刺激して、ここまでやって来たのだという実感が湧いてくる。ひとまず荷物を置いて朝食だけを手に、私たちは田代池まで散策に出ることにした。
Dakesawa 01.JPG
Dakesawa 02.JPG

 梓川沿いの遊歩道に出ると、朝霧の中に穂高の稜線が間近に見えている。上高地から眺めた穂高の写真は何度でも見る機会があるが、実物はこんなに大きく見えることを私は忘れていた。見上げるような高さとは、こんなことを指すのだろう。登山前のウォーミング・アップのつもりでぶらぶらと歩き、田代池の澄んだ空気の中で朝食を食べた時も、穂高の稜線はガスの中から見え隠れしていた。
Dakesawa 03.JPG

 朝食を終え、田代橋を渡ってウェストン碑を見た後は、バスターミナルに戻る。荷物を背負って河童橋へ。朝早くから多くの観光客が集まるその様子は少しも変わっていない。当時と違うものがあるとすれば、土産物屋の一角に「上高地ソフトクリーム」なる売店ができたことと、その建物の壁面にインターネット用のライブ・カメラが取り付けられたことぐらいだろうか。確かに、ネットでは河童橋付近のリアルタイム映像をいつでも見ることができる。便利な時代になったものだ。
 Dakesawa 04.JPG

 その河童橋からは、昔と少しも変わらない、屏風を立てたような穂高の岳沢(だけさわ)を眺めることができる。私たちはこれからこの岳沢に入り、今日は標高2150mの岳沢小屋まで上がってテントを張る。天気が良ければ、明日はそこから前穂高岳(3090m)を往復し、明後日に下山してくる予定だ。
The way to Mt. Mae-Hodakadake.jpg

 河童橋を渡って林道を10分ほど歩くと、岳沢小屋を目指す岳沢道の入口が森の中にある。8時50分頃にその入口に到着すると、高校山岳部で私より10年先輩のWさんが予定通り待っていてくれた。そして、待つことしばし。明神池の方向から遊歩道を歩いてきた5人のご婦人のグループが到着。私たちは初対面だが、いずれも12年ほど先輩の、やはり高校山岳部のOGである。そのうち4人が、今日は私たちと同様に岳沢小屋を目指す予定になっている。

 今年の春、東京で桜が咲くほんの少し前のこと。あることがきっかけになって、高校山岳部のOB・OG有志から声が上がり、現役時代に歴代の夏合宿を張っていた穂高の岳沢に、今年の夏は皆で集まろうよということになった。(W先輩もその中心人物の一人である。) 同期のT君や私だけでなく、歴代の部員は例外なく夏の岳沢に魅せられ、そこで山の技術を習い、経験を積んで後輩たちにそれを受け継いできたのだ。あれから長い歳月を経て、その聖地・岳沢に巡礼しようという声がかかった時、それに熱く反応したのは、私たちの頭脳というよりも体の中のDNAであったのかもしれない。そして、先輩方のご尽力もあって、その「岳沢大集合」がいよいよこの週末に実現することになったのである。

 もっとも、私たち4人のパーティーのうち、H君とOさんは山岳部員ではなかった。しかし、高校や中学でそれぞれ同級生だった彼らとは、今は週末の山歩きを共に楽しむ仲である。山が好きなら山岳部の先輩方もきっと歓迎してくれるだろう。穂高へ行くいい機会だからと、T君が二人を誘ってくれたのだ。そして想像通り、岳沢道の入口で笑顔と共に集合した4名のOGとW先輩、そして私たち4人は、次の瞬間には山の仲間になっていた。いずれにしても、皆同じ中学・高校の卒業生なのである。

 さあ、それでは岳沢道を歩き始めることにしよう。

(To be continued)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。