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フェールセーフ [鉄道]

 やや子供じみた話から始める。

 PC用のシミュレーション・ゲームとして大きな人気を集めた『電車でGO』シリーズの中に、『旅情編』という作品がある。各地のローカル色豊かな私鉄や路面電車の運転シミュレーションができるのだが、中でも私が気に入っているのが、神奈川県の藤沢と鎌倉を結ぶ江ノ島電鉄のバージョンである。沿線風景が結構リアルに再現され、民家の軒先をかすめるようにして走ったかと思えば、湘南の海あり、トンネルありという変化に富んだ景色を楽しみながら江ノ電を運転できるのだ。

 江ノ電のようなレトロな電車の場合、運転士は右手でブレーキ、左手でマスコン(master controller、主幹制御器)を操作する。マスコンには刻みが幾つかあって、プラスの方向に刻みを上げると(業界用語では「ノッチを投入する」という)モーターが回って電車が加速し(「力行」という)、マスコンを切れば電車は惰性で走るが抵抗のために少しずつ減速していく。そして、電車を所定の位置に停めるためにはブレーキをうまく活用することになる。これには案外とコツがあるもので、まして急ブレーキなどにならぬよう、乗客を安全・快適に運びながらダイヤ通りの正確な運行を期すためには、パソコンゲームといえども経験を積み重ねる必要がある。
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 この運転シミュレーションをやっていて改めて思うのは、鉄道では信号と速度制限の遵守が極めて厳格に取り扱われていることだ。

 鉄道では、前後の信号によって区切られた区間には一つの列車しか入れない。列車同士の衝突を避けるための大原則で、日本では「閉塞」と呼ばれるが、この大原則を遵守するために、赤信号があったらそこから先へ列車は進んではならず、もし赤信号を越えたら事故として取り扱われる。JRの通勤電車の場合、閉塞区間は500m以下が普通だそうで、運転士はそれだけ頻繁に信号を確認することになる。

 しかし、人間のすることだから、運転士が信号を見落としたりブレーキ操作が遅れたりという事態は起こり得る。だから、列車が万一赤信号を越えそうになった場合にブレーキを自動的にかけるような仕組みが昔から考えられてきた。

 日本では、1927(昭和2)年の暮に上野・浅草間で開業した東京地下鉄道(現在の東京メトロ・銀座線)に、ATS(列車自動停止装置)が導入されたのが、その始まりだった。地下鉄はトンネルの中で、カーブも多く、見通しが悪いという事情を考えてのことだ。閉塞信号機の直下の線路上に「打子」と呼ばれるハンマー状の装置が置かれ、普段は圧縮空気によって水平に寝ているが、閉塞信号が赤の時はそれに連動して起立する。万一列車がそこを越えた場合には、その打子が車輌の床下のコックに当たり、非常ブレーキがかかるという仕組み。このシンプルな初代ATSは、東京の地下鉄で以後70年ほども使われたそうである。
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(日本初のATS)

 このような保安装置というのは、それでも起きてしまった鉄道事故を苦い教訓にして導入・改良が重ねられてきた。国鉄が全線でのATS導入を決めたのも、1962(昭和37)年に起きた常磐線・三河島駅での三重衝突事故(いわゆる「三河島事故」)で死亡者160人、負傷者296人を出したことが契機になった。事故の原因は乗務員の信号見落としと列車防護措置の不手際にあったという。

 東京の地下鉄の初代ATSは、「列車が赤信号を越えたらすぐに止める」ものだったが、やがて国鉄が導入したATS-Sと呼ばれるものは、赤信号の600m手前を通過すると事前の警告ベルが鳴る、つまり「列車が赤信号に近づいたら警告する」ものになった。それが今ではATS-Pというタイプに改良されている。地上の設備から車内に送る情報量を増やし、次の赤信号までの距離と現在の列車のスピードをもとに、次の赤信号で停まるための減速パターンを自動的に計算して運転席に表示し、それぞれの時点で電車のスピードがその減速パターンに近づいたり、それを超えたりすると、警告を発するというものである。

 ATS-Pには上記のように減速パターンを自動算出する機能があるため、単に閉塞区間を遵守するという目的だけでなく、その機能を局所的にもっと活用して列車の更なる安全運行を図ろうという動きにもつながった。行き止まり式の駅に進入する列車、或いは急カーブに近づいた列車の速度制御にATS-Pを使おうというものだ。JR西日本・福知山線の脱線・転覆事故では、現場の急カーブ用にATS-Pを設置しておくべきだったか否かが問われている。

 一方これとは別に、列車の運行密度が高く、トンネルの中で見通しが悪い地下鉄を中心にして、ATC(列車自動制御装置)が開発されてきた。皮切りは1961(昭和36)年に部分開業した東京の日比谷線だ。その後、全国の地下鉄のほぼ全てにATCが導入され、JRでも首都圏の通勤電車線に導入が広がっている。

 「ATSは運転士が運転操作を誤ったときだけ自動的にブレーキをかける装置でしたが、ATCは通常の運転において、信号現示の変換に対応したブレーキ操作を装置が自動的に行ってくれます。つまり、列車の速度が信号現示に対する指示速度を超える場合には自動的にブレーキがかかり、指示速度以下になれば自動的にブレーキがゆるむのです。」)
 (『<図解>鉄道のしくみと走らせ方』 昭和鉄道高等学校編、かんき出版
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 地下鉄や山手線なら、運転士が地上の信号機を目で確認し、ATCによる指示速度と実際の運転速度とを比較してブレーキを作動させ、それでも操作を誤ったらATCがバックアップ手段としてブレーキを自動操作するという使い方が出来るが、高速列車では運転士が地上の信号機を目で追うことは難しく、ブレーキ距離がとんでもなく長いから、わずかな制御の遅れも大事故につながりかねない。

 だから、1964(昭和34)年の東海道新幹線の開業以来、新幹線は車内信号機(Cab signal)を用いるCS-ATCという方式を一貫して採用してきた。「運転台の前面に車内信号機が設けられ、運転中の許容速度(指示速度)が表示され(中略)、運転速度が指示速度を超えるようであれば自動的にブレーキがかか」る仕組みのものである。運転士はもはや地上の信号機を一つ一つ目視して進むのではないから、車内信号機と指示速度を表示するCS-ATCというシステム自体に万全の信頼性があることが前提になる。

 7月23日の夜に中国の温州付近で起きた高速鉄道の衝突事故から、早くも一週間が経過した。事故現場の惨状もさることながら、生存者の捜索・確認もそこそこに車輌を片付けてしまい、翌々日には運行を再開させてしまった中国当局のやり方が次々に報じられて、世界は唖然とさせられた。死傷者の数だって、あれを信じろと言う方が無理だ。クルマと違って乗客はシートベルトなどしていないのだから、あれほどのスピードで列車が衝突したのなら、落下せず線路上に残った車輌でも双方の列車に負傷者が大勢出たはずである。
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 それでなくても、技術供与をした相手がいつの間にか商売敵になってしまったこともあり、「パクリ新幹線」などと呼んで中国高速鉄道への非難の声が強かった日本では、今回の事故に対する辛口のコメントがことのほか強い。だが、そうした感情論を抜きにして鉄道システムのあるべき姿から考えても、五月雨式に報道される中国当局の発表は不可解なことばかりだ。

 「激しい落雷で機器が故障したことに加え、信号システムに重大な欠陥があり、人為ミスもあって、赤になるべき信号が青になったために列車を止めることができなかった。」

 まさか高速鉄道で運転士が信号機を見ながら走る方式ではなく、CS-ATCを入れているのだろうから、言わんとしていることは、信号が誤って青になり、CS-ATCがその信号と連動しているために列車を止められなかった、ということだろうか。だとすれば、「信号が誤って青になった」こと自体が中国高速鉄道への信頼を根本から揺るがす重大な問題である。

 「(中略)故障が発生しても安全側に動作する、つまり『列車を止める』ようにすることを『フェールセーフ』(Failsafe)といいます。よく映画の題材にもなるように、止まれない列車はとても危険です。列車は走ることよりも止まることのほうが大事なのです。鉄道の車両や装置はすべてフェールセーフの考えのもとにつくられ、異常や故障が発生したときには、ただちに列車を止めるしくみとなっています。」
 (前掲書)

 こういう考え方が鉄道では基本中の基本だからだ。建設・開業を急ぐあまりにこの点が疎かになっていたとしたら、そういう人たちには高速鉄道を持つ資格がないとさえ言えるだろう。

 新幹線のような高速鉄道は、高性能の車両と円滑で安全第一の運行システムの総体だから、そもそもフェールセーフの基本が出来ていないような運行システムは、輸出を目指すといっても外国から見ればとても信用のおけるものではない。今回の事故の真相について、中国の国民を欺くことはできても、海外の鉄道関係者にどれほど説得力のあることが言えるのか。このままではソフトウェアは全く売り物にならず、他社と似たような見かけのハードを安く売るだけ、という中国お決まりのパターンになるのではないだろうか。

 「鉄道は”事故と改善の歴史”とも言われています。事故のたびにルールの改正や装置の改良が繰り返されてきました。しかし、保安装置が進化して、よりよい装置を導入しても扱うのは人間です。いつの時代でも、人間の作業の信頼性を高めていくことが大切なのです。」
 (前掲書)

 何事も、急ぎ過ぎは良くない。江ノ電のように、信号やブレーキを一つ一つ指さし確認して、全部がOKだったら「出発進行!」 やはり、これである。

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