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月見の前に [自分史]

 当時のカレンダーを調べてみると、2001年のその日は火曜日だった。

 仕事を終えた私は、現地時間の21時少し前に帰宅していた。9月上旬の香港というと、まだ雨の多い頃だが、その夜の天候がどうだったかまでは、さすがに覚えていない。いずれにせよ、単身生活ゆえに昼間は閉めっ放しの部屋は暑いから、帰るやいなやエアコンをつけ、何か食べる前にシャワーを浴びようとしていたはずである。

 21時を少し回った頃、電話が鳴った。東京の家内からだった。東京は一時間早いから22時過ぎだが、NHKのニュース10の冒頭で、ニューヨークの高層ビル、ワールド・トレード・センター(WTC)に旅客機が衝突したニュースが報じられているという。それが起きたのはほんの20分ほど前、ニューヨークでは9月11日の朝9時少し前のことだと。しかも、そのニュースを伝えているNHKニューヨーク支局の記者の背後では、更にもう一機の航空機が高層ビルに突っ込み、巨大な炎と黒煙が上がる様子が、まさにリアルタイムに映し出されていたという。電話の奥からは、そのショッキングな映像を見たばかりの、当時中学生だった息子の興奮した声が聞こえてきた。

 受話器を置いて部屋のテレビをつけてみると、CNNが同じニュースを報じていて、WTCのツインタワーは二棟とも猛烈な勢いで炎と黒煙を吹き上げている。記者はただ絶叫を繰り返すばかりだ。これは大変なことになった。家内との電話を早々に切り上げ、私はテレビのニュースに見入って事態の把握に努めることにした。
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 その時点で報じられていたことは、現地時間でこの日の朝ボストン空港を離陸したアメリカン航空11便とユナイテッド航空175便が次々にハイジャックされ、前者は8時46分にWTCの北棟に、後者は9時3分に南棟に、それぞれ突っ込んだという事実だった。NHKのニュース10がたまたま同時中継をすることになったのは、このUA175便が南棟に衝突した、その瞬間だったのだ。

 旅客機をハイジャックし、犯人が自らの命もかえりみずにその旅客機を高層ビルに突っ込ませたとすれば、前代未聞の手段ながら、これは無差別殺人を目的とした自爆テロだ。尋常でない事態の発生を知った私は、会社のオフィスに急ぎ電話をかけ、まだ残っていた同僚に事実を伝え、周囲の人たちにも知らせるように依頼した。

 その電話を終えた頃、新たなニュースとしてテレビの画面が切り替わり、今度はペンタゴンから黒煙が上がる様子が映し出された。現時時間の9時38分にアメリカン航空77便の旅客機が突っ込んだという。これはテロというよりも、米国に対する宣戦布告なのだろうか。
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 オフィスへの連絡に続いて、香港に駐在する他社の社員の何人かと私は連絡を取った。彼らの会社のニューヨーク支店はWTCに入居しているはずだ。ともかく知らせておこう。電話をしてみると、社内でも口コミでこのニュースが伝わり始めたところだという。誰もが自席のPCからネットのニュースを見られる時代ではまだなかった。世界中のニュースに常時接することができたのは、それこそ為替のディーリング・ルームの中にいた人たちぐらいのものだったのではないか。

 「駐在員の方々の安否が気になりますね。」という話をしていたその時、二機目の旅客機が衝突したWTCの南棟が崩れ落ちる様子がテレビに映し出された。これは映画でも何でもなく、リアルタイムで進行している紛れもない事実なのだということが、全く実感できない。それぐらい、私にとっても衝撃的な映像だったのだろう。

 香港の職場の私のチームには、カリフォルニア出身の米国人の青年が一人いた。いつも陽気でフランクな、いかにも米国人らしい男だった。彼の携帯電話にも連絡を入れてみると、欧米人の仲間とパブかどこかで過ごしていたようで、周囲でガチャガチャとグラスが当たる音が聞こえた。彼は仲間を通じてこの事件のニュース自体は知っていたが、まだ映像を見ておらず、全容は掴めていない様子だった。
 「君には想像がつかないだろうけれど、テレビを見ていて僕が言えることは、WTCは二棟とも完全に崩れ落ちてしまって、今は全くその姿はない。そして膨大な粉塵が上がっている。ただそれだけだ。」
 私がそう伝えた時、電話の相手は言葉を失った。現地時間の10時28分に、残る北棟も倒壊してしまったのだ。それからは、大量の粉塵を伴った突風が付近を襲い、人々が逃げ惑う様子がテレビ映像の中心になっていた。

 これが今の世の中だったら、Twitterであっという間に事態のエッセンスが伝えられ、You Tubeに私的な動画が大量にアップされ、人々はスマートフォンやタブレット端末からそれらにアクセスしたことだろう。日本であれば、携帯電話のワンセグ機能がおおいに活躍したに違いない。だが、ほんの10年前とはいえ、当時はまだこんな風にしてニュースは伝えられていったのだった。ともかくも、人類の21世紀最初の年は、この空前絶後の同時多発テロ事件が起きた年として、人々の記憶にとどめられることになった。
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 史実を振り返ってみると、この2001年には象徴的な出来事が世界各地であった。

 まずは1月1日を以って、南欧のギリシャが統一通貨ユーロに加盟。そして、1月20日には、前年11月の「米国史上最大の接戦」と呼ばれた米大統領選挙で民主党候補のアル・ゴアを辛くも破ったブッシュ・ジュニアが、大統領に就任している。

 大接戦だったあの大統領選挙では、フロリダ州での開票作業が遅れに遅れ、集計のやり直しが行なわれるゴタゴタがあった。パンチ・カード方式の古めかしい投票用紙がテレビに映し出されて、米国ではまだこんなものを使っているのかと私たちは驚いたものだが、米国とは不思議な国だ。それとは対照的に、2001年の10月にはアップル社のi Pod第一号がデビュー。その斬新な発想が世界中を魅了することになった。

その米国は9月11日の同時多発テロで3,000人に近い人命を失ったが、「殴られたら殴り返せ」とばかりに反撃態勢を整え、テロの実行犯とされたオサマ・ビンラディンの引渡しに応じないアフガニスタンのタリバン政権に対して、10月7日に侵攻を開始。この時点でのブッシュ政権は米国民から驚異的な高さの支持を受けていた。
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 一方の日本では、「自民党をぶっ壊す」と宣言して4月の総裁選に勝った小泉純一郎氏が首相に就任し、8月には靖国に参拝。以後中国との関係は「政冷経熱」となるのだが、12月にはその中国のWTO(世界貿易機構)加盟が発効。加工貿易を中心にしながら、その後の中国が国際社会の中での存在感を急速に高めて行ったことは言うまでもない。

 そうした数々の出来事のあった年から、ちょうど10年が経過した。米国、イスラム世界、ギリシャ(及び欧州)、日本、そして中国の現在の姿は、誰にとっても当時の予見を遥かに越えたものではないだろうか。特に今年、2011年になって、いずれの地域にも旧来の体制に綻びが急速に目立つようになり、10年前には磐石と思われていたものが、既にそうではなくなっている。そして次の10年が経過する頃には、現時点での常識も更に覆されていることだろう。そういうつもりで、既成概念に囚われることなく、これからの世界を巨視的に、複眼的に観察して行きたいものだ。

 「9月11日に向けて、街中は厳戒態勢が敷かれるようで、Lower ManhattanやGrand Central Stationの周辺には近づかない方がいいと言われています。そのあたりに気をつけて、最後の週末を楽しみたいと思います。」

 この一ヶ月ほどニューヨークに滞在している娘から、こんなメールが来ていた。9.11テロの10周年を現地で過ごすというのも、貴重な経験になることだろう。目を見開いて、色々なことを吸収してきて欲しい。

 事件の10周年の翌日は中秋名月の日である。世界は平和裏に十五夜お月様を眺めることができるだろうか。

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