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カベルネ君の一夏 [ワイン]

 敬老の日の三連休、東京は真夏のような日が続いた。台風が西日本で「牛歩」を続けているというのに、東から張り出していた高気圧がよほど強かったのか、日曜日などは朝から雲一つない快晴で、強い陽射しが一日照りつけていた。連休最終日の今日は、午後になって雲が出始め、夜には雨が降り出している。長らく続いた9月の真夏日にも、これでようやく終止符が打たれるだろうか。

 私は体が単純にできているのか、滅多に風邪などひかないのだが、珍しく体調を崩して、この三連休を棒に振ってしまった。

 今年は9月の残暑が厳しく、いつまでも真夏日が続いた上に、台風接近の影響もあってか、とにかく蒸し暑い日が多かった。そんな中で、エアコンをつけたまま寝てしまったことが直接の原因なのか、金曜日の朝から喉の痛みが始まっていた。そこへ、土曜の夕方には微熱と共に咳がひどくなり、日曜日にはやはり夕方から発熱して38.5度まで上がってしまった。

 定期的な検診で胃カメラを飲んだりする以外には医者にかかることは皆無に近く、風邪薬を飲む習慣もないから、買い置きなどは家にない。近くの医者へ行こうにも、連休だから休診だろう。結局いつものパターンで、暖かくして水分をたくさん取り、寝ているしかなかった。それで一夜を過ごし、今日の昼頃までには起き上がれるようになったので、連休明けの明日から普段通り出社することはできるだろう。

 だが、体調を崩したために、連休明けの初日の夜に予定していた或る知人との約束は、大事を取って延期をお願いせざるを得なかった。まだ咳が続いていて、相手に迷惑をかけてしまうし、病み上がりは(今夜の食事がそうだったが)何を食べても味がよくわからない。そんな状態で会食に臨むのも申し訳ないことだ。

 三連休はそんな風にして終わってしまったが、明日予定通り知人と会っていたら報告していたであろうことを、今回はここにまとめておくことにする。

 勝沼のワイナリーに家内と出かけて、ブドウの挿し木をお土産にもらってきたのが、昨年(2010年)の4月上旬のことだった。その挿し木とは、長さが15センチほどの枯れ枝のようなものだ。
 「暖かくなったら土に挿して、時々水をやってください。うまくいけば、芽が出ますよ。」
ワイナリーのオーナーからそんな説明があったので、物は試しで実行してみたところ、5月の連休にベランダのプランター・ボックスの土に挿した4本の挿し木の中から、6月になって1本だけ芽を出したものがあった。赤ワイン用のブドウとして、今や世界各地で栽培されている、カベルネ・ソーヴィニョン種のものだ。ボルドーの赤ワイン用にブレンドされる品種としてとみに有名である。
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(2010年6月2日)

 ただの枯れ枝のように見えた1本の挿し木から甦ったブドウの芽。それはやがて若葉になり、枝が伸び始め、それを中心にして何枚も葉が出て、その年の秋までにそれなりの姿になった。ブドウの木の逞しい生命力と、小さいながらも懸命に新しい葉をつけるその姿がいとおしくて、いつからか、家内との間では「カベルネ君」と呼ぶようになった。

 冬になり、葉が落ちて枝だけになったブドウの木。私は冬の間、定期的な水遣りは続けたが、それ以外は特になにも手はかけなかった。敢えて言えば、春先に少し肥料を与えたぐらいだろうか。

 今年の春、カベルネ君は昨年にも増して多くの葉をつけた。昨年伸ばした枝が残っているから、それを軸にして横枝を伸ばし、驚くほどの勢いで葉が増えていく。そして、今年はブドウの房になるべき部分が姿を現した。つまり、花が咲いたのである。花といっても花弁は実に細かなもので、むしろ一粒一粒の実になる部分の方が目立つようになる。その房が初夏に向かって順調に育っていった。
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(2011年4月17日)
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(2011年5月25日)
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(2011年6月5日)

 今勤務している会社には、自宅の庭でやはりブドウの木を育てている人がいる。これからの手入れについて彼にアドバイスを求めところ、まだ小さい木ならば、房はなるべく切り落とし、残すのは二房か三房にすべし、とのことだった。要するに、そのままにしておくとそれぞれの房はごく小さな実にしかならないというのである。うーん、そうか。しかし、こんなに元気一杯に育っている房をそんなに切り落としてしまうのは、何とも忍びない。迷いに迷いつつ、全部で20ほどもあった房のうち、私は五房を残すことにした。

 7月になると、遺した房はもう立派にブドウの粒々になっている。まだ間がスカスカだが、これから夏の太陽を浴びて太っていくのだろう。梅雨明け頃には皮が紫色を帯び始め、8月にはすっかり赤ブドウの色になった。「巨峰」や「ピオーネ」のような大粒の食用ブドウに比べればずっと小粒だが、それでもデラウェアぐらいの大きさはある。
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(2011年7月13日)
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(2011年7月26日)
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(2011年8月13日)

 そうなると、問題はいつ試食をしてみるかだ。皮の色合いからすると、もういつ食べてもいいように見えたが、はやる心を抑えつつ、カラスに喰われないかと心配しつつ、私は9月を待つことにした。そして、今月の初めの或る朝、水遣りの後に一粒をそっと取り、おそるおそる口に含んでみた。すると、これが意外に甘い! 食用のデラウェアに比べると皮が厚く、種が大きいので、確かに食用には向かないかもしれないが、その一方で、瑞々しさを追求した食用のブドウとは異なる、ジュースは多くないが単なる瑞々しさよりはもっと複雑系の味がする。

 「親子丼」と同じような話だが、ブドウの実をつまみながらワインを飲むことが、家内も私も結構好きだ。記念すべき最初の一房はその晩、同じカベルネ・ソーヴィニョンのワイン(確かアルゼンチン産だったと思う)のお供になった。

 育て方も何も、全くの無手勝流でしかないのだが、我家のカベルネ君の二年目の一夏は、ともかくもこんな風だった。次の三連休には家族を連れて両親の家に顔を出す予定にしているので、届けてみようかとも思う。
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(2011年9月16日)

 「文明の歴史を遡るかぎり、葡萄とワインはつねに存在し、神話と分かちがたく混じり合っている。葡萄栽培はまずカフカス山脈の斜面で、次いでメソポタミアで始まった。エジプトでも紀元前3000年頃から葡萄を栽培し、葬儀用のワインをつくっていた。ヨーロッパでは古代ギリシア人がシチリア島やイタリア半島南部に葡萄を移植し、ワインづくりを広めた。古代ローマ人は当然のことながらギリシア人から葡萄栽培を教わり、そのノウハウはさらにガリア人に伝わった。」
(『ワインの文化史』 J.F. ゴーティエ 著、八木尚子 訳、白水社 文庫クセジュ)

 旧約聖書によれば、大洪水でノアの方舟がカフカス山脈の「アララト山」に流れ着いた後に、人は初めてワイン作りを始めたそうである。また、「ワイン」を意味するインド・ヨーロッパ語族の語源をたどると、古代インドの神酒を指すサンスクリット語の「ヴェーナ(vena)」(=愛される者)に遡るという。ブドウは容器に入れて実をつぶし、そのままにしておいても自然発酵で酒になりやすいという点で、人類にとっては早くから重宝がられたものであったようだ。

 古代のギリシア人は、海に漕ぎ出して地中海各地に殖民都市を築いた。その代表が紀元前600年頃に拓かれたマッシリア、つまり現在のマルセイユである。この地にギリシア人が栽培種の葡萄を植えたことが、ガリア(現在のフランス)とワインとの出会いとなったそうだ。後に、このガリアへと版図を拡大していった古代ローマは、紀元前二世紀に現在のローヌ峡谷からラングドックに至る地域を併合すると、ナルポネンシスと呼ばれたその属州はたちまちワインの名産地となり、イタリア半島からのワインの輸出が激減するほどだったという。

 更に、ジュリアス・シーザーの『ガリア戦記』に記録されたのは、基本的には「大西洋へ、そして北の海へ向かって、(中略)葡萄栽培が知られていない国を征服していった」時代であるようで、その新たな征服地で寒さに強い品種として植えられたのが、現在のピノ・ノワールとカベルネ・ソーヴィニョンのそれぞれ原種にあたるものなのだそうだ。とすれば、現在のフランスという国は、まさに有史以来ワインの文化が作り上げた国なのだろう。豊葦原の瑞穂の国が米作りと共にあったように。

 人類とブドウとの付き合いは、実に長い。その長い歴史が我家のカベルネ君の小さな一房にも凝縮されていると思うと、何だか不思議な気分だ。私が風邪で寝込んだりしなければ明日会えたであろう知人にも、そんなことを話していたに違いない。その場にかえて、ここにカベルネ君の一夏をご報告すると共に、ブドウの木が持つ逞しい生命力のように、そしてワインが人類に偉大な文化をもたらしてきたように、知人のこれからの新天地での活躍を祈念してやまない。

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