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続・葡萄畑の中で [ワイン]

 日曜日の朝早く、北千住駅から乗った東武鉄道の特急「りょうもう号」が利根川の長い鉄橋を渡ると、その先は群馬県だ。車窓からの眺めは一段と広くなり、いかにも関東平野のど真ん中の景色である。11月後半の今は田畑の収穫も終わっているから、その眺めは一層広々としている。

 館林から先の伊勢崎線は単線なので、「りょうもう号」の走りはゆっくりになり、多々良という駅では対向列車二本との待ち合わせだ。外は今日もよく晴れていて、窓から差し込む朝日が暖かい。早起きの身にはそれが眠気を誘うのだが、再び走り始めた電車が小さな川を渡ると、栃木県だ。次の停車駅の足利市はもうすぐである。

 今朝は足利市駅で多くの人々が降りる。目的地は私たちと一緒だ。駅前には既に送迎バスが何台か並んでいたが、時間を節約するために私たちはタクシー乗り場へと向かう。会場までの路は幸いにしてまだ渋滞も発生しておらず、8時40分頃にはココ・ファーム・ワイナリーの入口に着くことが出来た。
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 毎年11月の第三土日に行われる、このワイナリーの収穫祭。家内と二人で出かけるようになって、今年が6回目になる。昨年からは娘も加わるようになった。葡萄畑の中で今年のワインを楽しむ、そんなピクニック気分が人気を集め、入場者は毎年増えている印象がある。音楽の演奏などのプログラムは10時30分からの開始なのに、朝の9時前からもう大勢の人々が畑の中に場所を取っている。

 早起きをして東京を出てきた甲斐あって、結構いい場所を確保できた私たちは、ロゼの新酒で朝から早速乾杯だ。まだ発酵の途上にあるのでアルコール度数は低いけれども、微発泡でフレッシュな味わいがいかにも新酒で、やはりこの時期の楽しみなのである。
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 私たちの隣では、広い場所を先に確保して、メンバーの到着を待ちながら同様に新酒を楽しんでいる人がいた。桐生市在住の方で、これから高崎市に住む知り合いが大勢やって来るという。この収穫祭は何年も前からの常連なのだそうで、色々と話が弾む。お隣同士、初対面ながらすぐに親しくなってしまうのも、この収穫祭が持つ底抜けにハッピーな雰囲気があってのことだろう。

 ある酒造メーカーのホームページを見ると、面白い統計が載っている。1970年から2010年までの、日本におけるワインの消費量の推移を表したものだ。(正確には、沖縄県を除いた統計であるそうだ。) そして、この酒造メーカーによる推計ながら、その消費が国産ワインか輸入ワインかという内訳も出ている。
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 私が大学生だった1970年代後半というと、ワインという飲物はおよそ日常には縁のないものだった。一般庶民にはまだ殆ど知られていなかったと言ってもいいのかもしれない。円高が急速に進んだ時期ではあったが、それによってワインの輸入が急に増えたという訳ではなかった。むしろ、円高のおかげで海外旅行がしやすくなり、多くの人々が欧米を訪れてまずはワイン文化に触れた、そんな時期だったのだろう。

 その後、’80年代半ばのプラザ合意による円高と、それに続く日本のバブル景気の時には当然のことながらワインの輸入量が増えて、日本のワイン市場が拡大していったのだが、実はこの市場が最も伸びたのは、こうしたバブルの時期ではない。それはグラフが示す通り、今から15年ほど前、1997年から98年頃にかけての時期だった。国内でも大手銀行や証券会社が破綻するなど、金融危機が深刻化して、景気は非常に悪かった頃だ。そして日本の外を見れば、タイ、インドネシア、韓国などが降って涌いたような通貨危機に見舞われていた。

 そんな時期に、日本の中でワインの消費量がかつてない伸びを見せたのだ。それは、とりわけ赤ワインに含まれるポリフェノールが持つ効果が注目されたという消費者の健康志向に加え、廉価盤のワインが市場に多く出回るようになった、そんな背景があったようだ。(私はこの時期に海外駐在をしていたので、日本でかつてないワイン・ブームが始まったことには、肌感覚を持っていない。)
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 もっとも、国産ワインか輸入ワインかという内訳の推移を見ると、要はこの40年間続いた長期的な円高トレンドの中で、輸入ワインのシェアが年々増加しており、’97年以降の日本のワイン・ブームの背景には、1ドル100円台前半の為替レートが定着したことが大きかったとも言えるのではないか。それに対して、国産ワインの消費量はこの10年ほど、最盛期の年間10万キロリットルに届かない状況が続いている。

 確かに、今はコンビニで一本500円の輸入ワインを売っていて、普段使いとしては何の問題もなく飲める時代になった。国産ワインとしては、単なる価格競争とは異なるフィールドで戦っていかねばならない。TPPによる関税撤廃の時代に突き進んでいけば、なおさらのことだ。

 だが、それは悪いことばかりではないのではないか。輸入ワインが比率を伸ばす形ではあったが、ともかくもワインを楽しむライフ・スタイルは、この15年ほどで日本の中にすっかり定着している。レストランで高級ワインを飲むということだけでなく、多くの人々が日常のカジュアルな場面で気軽にワインを楽しむようになった。人々がワインを知れば、日本の気候風土や食文化によくマッチした日本ならではのワインの良さをわかってもらえるチャンスも、確実に増えていくはずだ。輸入品との競争があるからこそ、国産品も努力によって輝けるのではないか。(事実、この何年かだけでも、国産ワインの水準は驚くほど高くなっている。)

 だからこそ、機会あるごとに日本のワイン作りを応援して行きたいと、私は思う。
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 気がつけば、お隣の大人数グループはメンバーが続々と集まってきて賑やかになっている。レストランの関係者の家族連れが中心なのだそうで、手作りのオツマミをたくさん持ち寄っている様子だ。話が弾むうちにいつの間にかそのお裾分けをいただいてしまったのだが、自家製のタプナードが素晴らしかった。黒オリーブ、アンチョビ、ニンニク、ケイパーなどを細かく刻んでオリーブ・オイルを加えたものだ。パンやソルト・クラッカーなどに載せて食べるのは言うまでもないが、タコのスライスなどに載せても美味しいという。実はそのタコのスライスまでいただいてしまって、トライしてみたのだが、いやはや、これは絶品である。

 晩秋の青空の下、葡萄畑の中にワイン好きが大勢集まり、「袖振り合うも他生の縁」でお隣さんとも仲良く賑やかに一日を過ごす。こうしたカジュアルなイベントが日本の中に根付いていけば、それがまた日本ならではのワイン文化を醸成していくことにもつながるのだろう。楽しみなことである。

 それにしても、今日は穏やかな秋晴れになった。朝から飲み始めれば、昼前にはもうみんないい気分になっている。ゲストによる演奏の数々で会場が盛り上がってきた頃に、毎年おなじみの勝俣州和の威勢のいい声が響きわたる。

 「皆さ~ん! 元気ですか~っ!」

 今年もまた家族と共にこの収穫祭に来ることができた。五穀豊穣の神様と酒の神様に、そのことへの感謝を捧げつつ、青空に向けてワイングラスを掲げ、大きな声で乾杯をしよう。

 「カ~ンパ~~イ!!!」

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葡萄畑の中で [ワイン]

 葡萄畑の中にピクニック・シートを敷き、空の下でのんびりとワインを楽しむ。それは、シンプルにして贅沢な時の過ごし方である。もしそれが、よく晴れて風の穏やかな一日であれば、これ以上言うことはない。

 栃木県足利市の郊外。こころみ学園のワイン醸造場、ココ・ファーム・ワイナリーで、毎年11月の第三土・日に開催される「収穫祭」。家内と二人でこのイベントに参加するのも、今年で4回目だ。去年の参加時もこのブログにアップしたことがある。
http://alocaltrain.blog.so-net.ne.jp/2010-11-22

 3日ほど前までは土日ともに雨の予報が出ていて、今年は無理かなと半ば諦めかけていたのが、実際には天気の進展がそれよりも幾分早くなり、前線を伴った気圧の谷が、まとまった量の雨を伴って日曜の明け方までに東日本の太平洋側へと抜けた。今朝、北千住を7時過ぎに出る東武伊勢崎線の特急「りょうもう」号で関東平野を北上する間は、雨上がりの直後の曇り空が続いていたが、足利に着いてみれば青空が出ていて、これは一日好天になりそうだ。
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 収穫祭の当日は、ココ・ファームがシャトル・バスを何台も用意して、朝9時から東武伊勢崎線の足利市駅、及びJR両毛線の足利駅とワイナリーの間をピストン輸送してくれるのだが、来場者が多いうえに、ワイナリー周辺は道が狭いので、道路の渋滞がかなりひどくなる。私たちの過去の経験でも、そのためにワイナリーに到着するのが案外遅くなったので、今回は朝一番の「りょうもう」号で足利市駅に8時18分に到着し、タクシーでワイナリーへ直行することにした。

 バスに比べて費用は少し嵩むが、会場が混雑する前に畑の中に場所を確保できた方が好都合だ。今年で28回目になるというこの収穫祭。葡萄畑の中で自由なピクニック気分を楽しめるイベントとあって、何しろ年々人気が集まる一方なのである。
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 まだ畑の斜面に朝靄が漂っている9時過ぎに場所を確保してシートを敷き、私たちはこの園内だけで味わうことのできる新酒を買いに行く。多数の屋台が出て、ワインに合った暖かい食べ物もチョイスは豊富だ。焼きたてのフランスパンや骨付きソーセージなどは、いつも長い列ができている。急斜面の畑は昨夜までの雨で濡れているので、足元に気をつけながら、私たちが確保した場所に戻る。

 気がつけば朝靄はいつの間にか消えていて、シートに寝転がればきれいな青空が広がっている。昨日の気圧の谷が呼び込んだ南の暖気がまだ残っているので、今日は23度まで気温が上がるという。家内も私も、屋外にいるのに朝からシャツ一枚で十分だ。やったね!早速、今年の新酒で乾杯といこう。
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 3月11日の東日本大震災に伴う原発事故。文部科学省の航空機による都道府県別の放射線モニタリング結果がホームページにても公表されているが、足利地域は幸いにして放射線量に特段の心配はないようだ。一方、この夏は猛暑になり、豪雨もあった。9月には大型の台風が二回もやってきた。だが、この農園で働く人々の努力によって葡萄は順調に実り、例年より早い8月16日から収穫が始まって、11月11日には全ての収穫が終わったそうである。

 その新酒をいただく。その若さとフレッシュな甘みと軽やかなガスが心地よい。特に今日のような青空の下で楽しむのは最高だ。世界にあまたある酒の中でも、太陽のまぶしい屋外で、しかも畑の土や木々の香りの中で味わうのに、ワインほど適したものもないだろう。まだ朝の9時台なのだが、葡萄畑の中はもうあちこちで盛り上がっている。
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(写真を撮る前に新酒を飲んでしまったので、代わりに赤ワインで「記念撮影」)

 知的なハンディーを持つ人たちの自立を目指し、公的な補助金を何も受けずに「こころみ学園」が設立されたのが1969年。それ以前から特殊学級の生徒たちが山を開墾して、現在の葡萄畑が作られた。そして、その葡萄からワインを作ろうと、1980年にココ・ファーム・ワイナリーを設立。米カリフォルニアから醸造のプロを呼ぶ。当初は数ヶ月の技術指導との前提で来日した彼は、「知的障害を持った人たちといえども、本物のワインを作らねばならない」という学園の信念と園生たちの純粋さに共感を覚え、足利の地に住み続けることになる。

 ココ・ファームのワインの品質は次第に高い評価を受け、遂にはあのソムリエの田崎真也氏によって、「NOVO(のぼ)」というシャンパンが2000年7月の九州・沖縄サミットの最後の晩餐会の席上に出されることに・・・。

 そんなエピソードを何かの本を通じて知ることになって以来、我家はココ・ファームの収穫祭に毎年通うようになった。どんなハンディーキャップを抱えていようとも自立して、世界に認められる優れた品質の物を作り上げ、社会に供給していくことに生き甲斐を持つ、そういう「ものづくり日本」の心意気を、やはり応援したいのである。おまけに、家内も私もワインは大好きだから、私たちが参加費を払って収穫祭を楽しませてもらうことが何かの一助になるのなら、こんなにいいことはない。

 10時半からは様々な音楽演奏のプログラムも始まり、気がつけば葡萄畑は大変な人出になっている。家族連れもあれば、若い人同士、中には職場で声を掛け合ったのか、ずいぶんと大人数のグループでやって来ている人たちもいる。ワインそのものは外来の文化であるとしても、秋の実りを祝って葡萄畑の中で半日をカジュアルに楽しく過ごす、そんなイベントがこの国なりのスタイルでこれからも根付いていって欲しいと思う。難しい薀蓄は抜きにして、ワインとは心底楽しい飲み物なのだ。
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(坂田明のサックス演奏が始まった)

 折しも国内では、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加の是非(というよりも、参加に向けた協議開始の是非)を巡る議論が遅まきながら始まっている。確かに、うわべは「経済連携」でも、実際には国益のぶつかり合いなのだろうから、お人よしではいられないのだろうが、それにしても「TPP参加断固反対」を唱える人たち、とりわけ農業関係者から、それでは日本の農業をどう強化していくべきか、自分たちはどうやって足腰を鍛えて行こうと考えているのか、そうしたビジョンが何も示されないのは不思議なことだ。

 数々のハンディーを乗り越えて足利の地に葡萄を育て、それを原料としたココ・ファームのワインがこれほど多くの人々に支持されている、そのことは常に、私たちに何かを教えてくれている。自立してやっていくために何をすべきかを考え、不断の努力を続ける。ワイン作りに限らず、事業とはそうしたことの積み重ねなのだ。

 午後になっても、葡萄畑は大変な賑わいが続いている。気温はいよいよ上がって、シャツ一枚でも汗ばむほどだ。日焼けなのかアルコールのせいなのか、幾分顔を赤くしながら、家内と私はグラス売りのシャンパンや赤ワインをもう少しだけ楽しむことにした。やはり、今年もやってきて良かった。そして来年の収穫祭もまた、今回のように成功して欲しいものである。
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 背中のザックには、先ほど買い求めた「農民ロッソ 2010」というカジュアルな赤ワインのボトルが2本入っている。来月のはじめに学生時代の友人たちとの集まりがあるので、そこで皆に紹介してみるつもりだ。日本のワインの素晴らしさを是非楽しんでもらえたらと思う。

 鉄道の駅に向かう間、ますます青い空の下で、街路樹のイチョウが鮮やかな黄葉を見せていた。

カベルネ君の一夏 [ワイン]

 敬老の日の三連休、東京は真夏のような日が続いた。台風が西日本で「牛歩」を続けているというのに、東から張り出していた高気圧がよほど強かったのか、日曜日などは朝から雲一つない快晴で、強い陽射しが一日照りつけていた。連休最終日の今日は、午後になって雲が出始め、夜には雨が降り出している。長らく続いた9月の真夏日にも、これでようやく終止符が打たれるだろうか。

 私は体が単純にできているのか、滅多に風邪などひかないのだが、珍しく体調を崩して、この三連休を棒に振ってしまった。

 今年は9月の残暑が厳しく、いつまでも真夏日が続いた上に、台風接近の影響もあってか、とにかく蒸し暑い日が多かった。そんな中で、エアコンをつけたまま寝てしまったことが直接の原因なのか、金曜日の朝から喉の痛みが始まっていた。そこへ、土曜の夕方には微熱と共に咳がひどくなり、日曜日にはやはり夕方から発熱して38.5度まで上がってしまった。

 定期的な検診で胃カメラを飲んだりする以外には医者にかかることは皆無に近く、風邪薬を飲む習慣もないから、買い置きなどは家にない。近くの医者へ行こうにも、連休だから休診だろう。結局いつものパターンで、暖かくして水分をたくさん取り、寝ているしかなかった。それで一夜を過ごし、今日の昼頃までには起き上がれるようになったので、連休明けの明日から普段通り出社することはできるだろう。

 だが、体調を崩したために、連休明けの初日の夜に予定していた或る知人との約束は、大事を取って延期をお願いせざるを得なかった。まだ咳が続いていて、相手に迷惑をかけてしまうし、病み上がりは(今夜の食事がそうだったが)何を食べても味がよくわからない。そんな状態で会食に臨むのも申し訳ないことだ。

 三連休はそんな風にして終わってしまったが、明日予定通り知人と会っていたら報告していたであろうことを、今回はここにまとめておくことにする。

 勝沼のワイナリーに家内と出かけて、ブドウの挿し木をお土産にもらってきたのが、昨年(2010年)の4月上旬のことだった。その挿し木とは、長さが15センチほどの枯れ枝のようなものだ。
 「暖かくなったら土に挿して、時々水をやってください。うまくいけば、芽が出ますよ。」
ワイナリーのオーナーからそんな説明があったので、物は試しで実行してみたところ、5月の連休にベランダのプランター・ボックスの土に挿した4本の挿し木の中から、6月になって1本だけ芽を出したものがあった。赤ワイン用のブドウとして、今や世界各地で栽培されている、カベルネ・ソーヴィニョン種のものだ。ボルドーの赤ワイン用にブレンドされる品種としてとみに有名である。
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(2010年6月2日)

 ただの枯れ枝のように見えた1本の挿し木から甦ったブドウの芽。それはやがて若葉になり、枝が伸び始め、それを中心にして何枚も葉が出て、その年の秋までにそれなりの姿になった。ブドウの木の逞しい生命力と、小さいながらも懸命に新しい葉をつけるその姿がいとおしくて、いつからか、家内との間では「カベルネ君」と呼ぶようになった。

 冬になり、葉が落ちて枝だけになったブドウの木。私は冬の間、定期的な水遣りは続けたが、それ以外は特になにも手はかけなかった。敢えて言えば、春先に少し肥料を与えたぐらいだろうか。

 今年の春、カベルネ君は昨年にも増して多くの葉をつけた。昨年伸ばした枝が残っているから、それを軸にして横枝を伸ばし、驚くほどの勢いで葉が増えていく。そして、今年はブドウの房になるべき部分が姿を現した。つまり、花が咲いたのである。花といっても花弁は実に細かなもので、むしろ一粒一粒の実になる部分の方が目立つようになる。その房が初夏に向かって順調に育っていった。
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(2011年4月17日)
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(2011年5月25日)
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(2011年6月5日)

 今勤務している会社には、自宅の庭でやはりブドウの木を育てている人がいる。これからの手入れについて彼にアドバイスを求めところ、まだ小さい木ならば、房はなるべく切り落とし、残すのは二房か三房にすべし、とのことだった。要するに、そのままにしておくとそれぞれの房はごく小さな実にしかならないというのである。うーん、そうか。しかし、こんなに元気一杯に育っている房をそんなに切り落としてしまうのは、何とも忍びない。迷いに迷いつつ、全部で20ほどもあった房のうち、私は五房を残すことにした。

 7月になると、遺した房はもう立派にブドウの粒々になっている。まだ間がスカスカだが、これから夏の太陽を浴びて太っていくのだろう。梅雨明け頃には皮が紫色を帯び始め、8月にはすっかり赤ブドウの色になった。「巨峰」や「ピオーネ」のような大粒の食用ブドウに比べればずっと小粒だが、それでもデラウェアぐらいの大きさはある。
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(2011年7月13日)
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(2011年7月26日)
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(2011年8月13日)

 そうなると、問題はいつ試食をしてみるかだ。皮の色合いからすると、もういつ食べてもいいように見えたが、はやる心を抑えつつ、カラスに喰われないかと心配しつつ、私は9月を待つことにした。そして、今月の初めの或る朝、水遣りの後に一粒をそっと取り、おそるおそる口に含んでみた。すると、これが意外に甘い! 食用のデラウェアに比べると皮が厚く、種が大きいので、確かに食用には向かないかもしれないが、その一方で、瑞々しさを追求した食用のブドウとは異なる、ジュースは多くないが単なる瑞々しさよりはもっと複雑系の味がする。

 「親子丼」と同じような話だが、ブドウの実をつまみながらワインを飲むことが、家内も私も結構好きだ。記念すべき最初の一房はその晩、同じカベルネ・ソーヴィニョンのワイン(確かアルゼンチン産だったと思う)のお供になった。

 育て方も何も、全くの無手勝流でしかないのだが、我家のカベルネ君の二年目の一夏は、ともかくもこんな風だった。次の三連休には家族を連れて両親の家に顔を出す予定にしているので、届けてみようかとも思う。
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(2011年9月16日)

 「文明の歴史を遡るかぎり、葡萄とワインはつねに存在し、神話と分かちがたく混じり合っている。葡萄栽培はまずカフカス山脈の斜面で、次いでメソポタミアで始まった。エジプトでも紀元前3000年頃から葡萄を栽培し、葬儀用のワインをつくっていた。ヨーロッパでは古代ギリシア人がシチリア島やイタリア半島南部に葡萄を移植し、ワインづくりを広めた。古代ローマ人は当然のことながらギリシア人から葡萄栽培を教わり、そのノウハウはさらにガリア人に伝わった。」
(『ワインの文化史』 J.F. ゴーティエ 著、八木尚子 訳、白水社 文庫クセジュ)

 旧約聖書によれば、大洪水でノアの方舟がカフカス山脈の「アララト山」に流れ着いた後に、人は初めてワイン作りを始めたそうである。また、「ワイン」を意味するインド・ヨーロッパ語族の語源をたどると、古代インドの神酒を指すサンスクリット語の「ヴェーナ(vena)」(=愛される者)に遡るという。ブドウは容器に入れて実をつぶし、そのままにしておいても自然発酵で酒になりやすいという点で、人類にとっては早くから重宝がられたものであったようだ。

 古代のギリシア人は、海に漕ぎ出して地中海各地に殖民都市を築いた。その代表が紀元前600年頃に拓かれたマッシリア、つまり現在のマルセイユである。この地にギリシア人が栽培種の葡萄を植えたことが、ガリア(現在のフランス)とワインとの出会いとなったそうだ。後に、このガリアへと版図を拡大していった古代ローマは、紀元前二世紀に現在のローヌ峡谷からラングドックに至る地域を併合すると、ナルポネンシスと呼ばれたその属州はたちまちワインの名産地となり、イタリア半島からのワインの輸出が激減するほどだったという。

 更に、ジュリアス・シーザーの『ガリア戦記』に記録されたのは、基本的には「大西洋へ、そして北の海へ向かって、(中略)葡萄栽培が知られていない国を征服していった」時代であるようで、その新たな征服地で寒さに強い品種として植えられたのが、現在のピノ・ノワールとカベルネ・ソーヴィニョンのそれぞれ原種にあたるものなのだそうだ。とすれば、現在のフランスという国は、まさに有史以来ワインの文化が作り上げた国なのだろう。豊葦原の瑞穂の国が米作りと共にあったように。

 人類とブドウとの付き合いは、実に長い。その長い歴史が我家のカベルネ君の小さな一房にも凝縮されていると思うと、何だか不思議な気分だ。私が風邪で寝込んだりしなければ明日会えたであろう知人にも、そんなことを話していたに違いない。その場にかえて、ここにカベルネ君の一夏をご報告すると共に、ブドウの木が持つ逞しい生命力のように、そしてワインが人類に偉大な文化をもたらしてきたように、知人のこれからの新天地での活躍を祈念してやまない。

こんな時だから [ワイン]

 高尾の駅からJR中央本線の普通列車に揺られて1時間10分。新大日影トンネルを抜けると、左の車窓に甲府盆地の眺めが広がる。

 右側は山の斜面で、右が高く左が低い地形の中を、勝沼ぶどう郷、塩山、東山梨、山梨市・・・と、盆地の縁をなぞるように大きな左カーブを描いて線路は甲府へと続いている。甲府へ行くならこんな遠回りのルートにしなくても、と思ってしまうが、これは笹子トンネルの標高が高いので、甲府から比較的まっすぐにルートを伸ばすと線路が急勾配になり過ぎるために、こういう大回りにしたのだそうである。明治の30年代に行われた中央本線の建設は、そういう苦労の連続だったのだろう。

 日曜日の朝10時36分、家内と二人で勝沼ぶどう郷駅に降り立つ。ホームに沿って続く名物の桜並木は、まだ硬いつぼみのまま。4月3日というのに、ちょっと冬に逆戻りしたような曇り空の寒い朝だ。閑散とした駅前からタクシーに乗り、葡萄畑の景色の中をいつものワイナリーへと向かう。
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 私がメール会員になっているこのワイナリーのイベントも、我家ではおなじみになった。今日は定員40人ほどのサイズで、この会社が北海道の千歳ワイナリーで醸造している、ケルナーという葡萄による白ワインとピノ・ノワールの赤ワインをテイスティングするという催しである。

 我家では家内も私もワインを楽しむことが好きだが、欧米産の高級ワインには全くもって縁がない。普段の生活、普段の食事の中で楽しんでいるのは、いつも千円未満のものである。スペインや南米産など産地は色々だが、私たちにはそれで充分だ。細かい薀蓄も知らない。だが、そんな中で唯一奮発しているのは、国産ワインを応援することだ。

 あの大震災から三週間。桜の花見でさえ「自粛」の声がかかるような空気の中で、ワインのテイスティング会などとは、と余計なことを考えてしまいがちだが、これは我家が続けてきた日本のワイナリーへの応援なのだし、地震で東京中の電車が止まり、多くの人々が「帰宅難民」を経験したために、それ以来遠出が控えられ、被災地でもないのに山梨県の観光にも影響が出ているという。こんな時だからこそ、今日はいつも通りこのイベントに出かけたかったのである。

 冒頭に三澤社長からのお話があったが、原発事故の影響が国産ワインにも既に出ているとのことだった。日本食ブームが世界に広がる中、その日本の食材に最もマッチした甲州種の葡萄による白ワイン。どうせ作るならEU基準をクリアーするものを作り、ハイエンドな世界でEU諸国と真っ向勝負していこう・・・。三澤社長の熱い意気込みで、このワイナリーは昨年から甲州ワインのEU向け輸出を始めていたのだが、その矢先に今回の原発事故が起きた。

 EU諸国ではチェルノブイリの経験がよほどのトラウマになっているのだろう。今後も放射性物質による汚染が広がる可能性のある地域として、EUは甲信地方もその範囲に含めて見ているため、震災の前と後の区別なく、今はEU向けのワインの販売は事実上不可能なのだそうだ。山梨県内では、放射性物質の量を毎日2回測定する体制がようやく整ったので、事実をきっちりと公表しながら安全性をアピールし続けて行きたいという。だとすればなおのこと、私たち日本人がそれを応援していかなければいけない。

 ところで、このワイナリーが北海道の千歳で醸造を続けてきたケルナーとピノ・ノワールによるワイン。その葡萄の栽培は余市の契約農家によって行われているそうだ。

 一般に北海道は雨が少なく、冷涼な気候のために葡萄の病気が少ない上に、収穫の時期の10月にはかなり寒くなるので、小粒で味の凝縮した葡萄になるという。ミラノやマルセイユと同緯度にある余市は、道内でも比較的温暖な気候で霜の害が少なく、それでも冬はしっかり雪が積もり、夏は雨・湿気が少なくて糖度の高い実が育つという、葡萄の栽培には最も適した土地柄だそうである。

 ピノ・ノワールから作られた珍しい赤のスパークリングワインを冒頭に、さっそくテイスティングが始まった。
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 ケルナーはドイツの代表的な白葡萄の品種で、寒冷地に向いている。爽やかな酸味が特徴で、若いワインは洋ナシや青リンゴのようなフルーティーなアロマがとても豊かだ。それが、更に3年ほど熟成させたものは、アロマがぐっとミネラル系のものになる。味わいがだいぶ複雑になって、どこかアルサス・ワインのようだ。一方、同じような時間をかけて、金属のタンクではなく樽の中で発酵させたものは味わいにしっかりとしたボリューム感が出ている。これは白身魚のムニエルのような、メインディッシュにもしっかり合わせられるものだろう。こんな風に、様々なアロマと味わいを持つワインを色々と作り分けられるところが、ケルナーの特徴でもあるようだ。(因みに、晩秋の遅摘みによって作られたドルチェも二種類がイベントの最後に紹介されたが、本当に上質の甘味が広がる、大変素晴しいデザート・ワインであった。)

 一方のピノ・ノワールは言わずと知れたブルゴーニュ地方を代表する黒葡萄だ。異なる葡萄のブレンドの妙を楽しむのがボルドーの赤だとすれば、ブルゴーニュの赤はピノ・ノワールの一本勝負。これに賭ける、というところがプロの情熱をそそるようだが、栽培・醸造ともに難しく、世界でも本家のフランス以外では米オレゴンやニュージーランドぐらいでしか作られていないという。日本でも成功例は少なく、今や北海道のこのワイナリーぐらいのものだそうである。

 会場では4種類のピノ・ノワールをテイスティングさせていただいた。まだ売りに出されるずっと以前のものとして、2010年物のバレル・サンプル、2009年物でろ過していない瓶詰め前サンプル。前者はフランボワーズやアセロラなど果実系の香りが豊かだが、後者はその香りがぐっと複雑になる。さすがに味はまだ荒削りで、どこか畑の土の匂いを含んだようでもある。それが、2008年物、更に2006年物になると、色が濃く木質の香りが加わって、だいぶ熟成感が出ている。この2008年物は既に完売。2006年物は相当なヴィンテージだったらしく、作り手としては5年後が楽しみなワインだと語っていた。
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 外国種の葡萄なのに、わざわざ日本で栽培・醸造してワインを作るなんて、という意見もあることだろう。畑の土壌(アルカリ度)、水はけ、微生物の存在が葡萄の生育を左右する三要素だと言われる。それがそもそも違うのに、同じ品質のワインが出来ることを期待すること自体が無理なのだと。しかし、それを言ったら豆腐や味噌、醤油だって、元はアジア大陸から日本に伝わってきたものだ。それが日本の風土と伝統の中で独自の進化を遂げ、今では日本の物が一つのスタンダードになっている。だとすれば、異なる条件の下で努力を重ねた結果として北海道で醸されるケルナーの白、ピノの赤を、偏見を持たず大らかに、客観的に評価してあげればいいことではないだろうか。
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 いつものことながら、醸造家のしっかりとした意気込みに元気をもらう形で、ワイナリーでの二時間が過ぎた。その余韻を楽しみながら、家内と私は市民バスを利用して町営の「ぶどうの丘」に立ち寄り、「天空の湯」にのんびりとつかって体を温めてから、勝沼の駅に向かった。

 昔はスイッチバックの駅だった勝沼。今は使われなくなった旧ホームの一画が遊歩道になっている。花が開くまでまだあと数日かかりそうな桜の木に囲まれながら、家内と私は葡萄畑の続く景色を眺めていた。
「ワインも美味しかったし、温泉も嬉しかったな。それより、パパには久しぶりにお山の見える景色があって良かったね。」

 こんな時だからこそ、たまにはこんな風にして遠出をしてみるのもいいと思った。
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足利庄の休日 [ワイン]

 快晴の日曜日の朝、北千住駅を7時51分に出発した特急「りょうもう3号」はほぼ満席に近かった。日光・鬼怒川温泉方面へ向かう東武日光線の特急とは違って、りょうもう号は伊勢崎線の赤城行きである。沿線には特に大きな観光地もないのにほぼ満席とは、多くの乗客の目的地は私たちと同じなのだろうか。

 東武鉄道は、この伊勢崎線の北千住・久喜間の開業が発祥である。1899(明治32)年のことだ。今では立派な通勤路線だが、久喜から先はダイヤが一時間に3本しかない「関東のローカル私鉄」へと一変する。利根川の長い鉄橋を渡ると程なく館林に着くが、その館林から先が終点の伊勢崎までずっと単線なのである。夏の猛暑ですっかり有名になった館林を過ぎると、右の車窓に小高い山々のうねりが見え始める。車内放送があって、あと10分ほどで足利市駅だ。北千住からちょうど1時間である。

 やはりそうだった。足利市駅で私たちと共にこの駅で大半の乗客が降りた。目的地はこの町の北麓にある、ココファームというワイナリーだ。毎年11月の第三土日に「収穫祭」というイベントが行われ、葡萄畑の中に入らせてもらえるのである。そして、この期間は駅からの送迎バスを用意してくれる。

 家内と二人でこのイベントに出かけるのも、今年で3回目になった。だから要領がだいぶわかってきて、今回はいつもより1時間早く足利市駅に着く電車を選び、早めに入場することにしたのだが、それでも私たちがワイナリーに到着した時には、葡萄畑も既にかなりの人出で埋まっていた。ココファームの収穫祭も年々有名になっているようだ。今は朝の6時台からも人が詰めかけるという。
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 2,000円の入場券を買うと、ワイングラスとコークスクリューを渡され、そしてワインのフルボトルを1本選ぶ。家内と私は今年も赤を選び、山の急斜面を切り拓いて造られた葡萄畑へと向かう。幸い、中腹あたりでシート一枚を広げられる場所を確保することができた。3回目なので既に見慣れた景色ではあるが、やはり自然の中は気分がいい。空は晴れわたり、この季節にしてはずいぶんと暖かく、風もない。今日は葡萄畑へのピクニックには最高の日和となった。

 まだ朝の10時を少し回ったところだが、さっそく家内と新酒で乾杯をする。この新酒はまだ発酵の過程にあるもので、グラスに注ぐと中から微かにガスが上がってくる微発泡の飲み物だ。アルコール度数は低く、ワインというよりは葡萄ジュースに近いが、収穫祭には欠かせないお祝い物である。これを山の緑に囲まれた屋外で飲むのが、実にいいのだ。ドイツでは同様の物がフェーダーヴァイサーと呼ばれ、10月になると街中に出回り始めて、やはり晩秋の風物詩になっているようだ。
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 「こころみ学園」の園長、川田 昇氏がこの山を買い取り、園生たちと共に山の斜面の開墾を始めたのは、今から52年前のことだ。この学園は知的障害を持つ若者を、就労を通じて育てることを目的にしており、このワイナリーにおける畑仕事やワイン作りの工程は園生たちが担っている。
 足利は関東平野の奥深くにあるために、夏は暑さが厳しく、冬は「赤城下ろし」が吹き付ける土地である。園生たちの畑仕事は重労働であるに違いない。1958年に畑の開墾が始まったこの農園で、数々の苦労を乗り越えてワインの醸造が軌道に乗ったのは、90年代になってからだそうである。そして米カリフォルニアから醸造の専門家を招き入れ、本格的なワインを作れるようになったという。

 ココファームの名前を一躍有名にしたのは、2000年の九州・沖縄サミットの晩餐会である。ソムリエの田崎真也氏が、日本でのおもてなしには日本の酒を是非出したいとして、沖縄の泡盛の古酒と共に、ココファームで作られたスパークリングワインを席上で披露したのである。もちろん、こころみ学園の園生たちの手作りによるものであることが一つのメッセージであったのだろうが、それ以上に各国首脳の前に堂々と供されるだけの品質をそなえていたからでもあったはずだ。

 10時半になると、普段はレストランとして使われるテラスがステージになって、各種の音楽演奏のプログラムが始まる。出演者たちによる元気のいい乾杯の音頭取りもあったりして、場内は文字通りお祭り気分が盛り上がっている。私たちは丘の中腹に敷いたシートに座ってそれを楽しみ、新酒を愛でる。ワインというのは不思議なもので、屋外の土や草の香りの中で味わうと、それがまた格別なのである。場内には売店もたくさん出ているが、そこで買い求めてきた炭火焼のチキンが美味しい。
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 葡萄畑のある山の急斜面を一番上まで登ると、南に足利の市街地を眺め下ろすことができる。このあたりは関東平野の北端の一部で、日光の山々の続きが次第に高度を下げながら南下して平野に出たところである。平地の背後に里山の南斜面が続くこうした地形は、古くから人々にとって住みやすい土地であったに違いない。栃木、佐野、足利、桐生といった関東でも歴史のある町はみなそうである。

 足利庄(あしかがのしょう)と呼ばれたこの地を平安時代の末期に開墾したのは、源氏の棟梁・八幡太郎義家だそうである。義家の三男・義国が故あってこの地に下向し、その次男・義康が足利姓を名乗った。以来足利家は、鎌倉時代を通じて源氏の一門たる有力御家人の地位にあり続けたが、義康から数えて八代目の尊氏が、北条の世に弓を引いた。

 京都に政権をうち立てた尊氏は、その将軍職を嫡男の義詮(よしあきら)に継がせる一方、遠く離れた関東を支配するために鎌倉府を置き、次男・基氏(もとうじ)をその長官にあてた。鎌倉公方と呼ばれたこのポストは基氏の子孫が世襲していくが、京都の将軍が任命する補佐役が常に置かれた。これが関東管領であり、初期の頃を除いてこの地位は上杉家が独占したが、関東公方から見れば煙たい存在であり、基氏の子孫の頃には関東公方が関東管領への対立色を深めていた。

 その典型が第四代鎌倉公方の足利持氏(もちうじ)だ。四代将軍・義持が嫡子に先立たれ、世継を定めずに自分も病死すると、この男は庶子の血筋ながら自分に将軍職の継承権があるものと勝手に思い込み、次期将軍に決まった義教(よしのり)に公然と反抗。関東管領・上杉憲実とも対立して戦となったが、憲実を支持した京都将軍の軍勢に攻められて自刃(永享の乱、1437年)。鎌倉公方は一旦空位となる。

 その10年後、持氏の遺児・成氏(しげうじ)が、周囲の取り成しにより鎌倉公方のポストに就く。ところが、持氏の遺伝子を継ぐ成氏は再び京都に反抗し、関東管領・上杉憲忠を謀殺して将軍家との戦を始めた(享徳の乱、1455年)。当初は優勢であったが、やがて鎌倉を落とされて成氏は下総国の古河(こが)に拠り、以後は古河公方と呼ばれた。再び公方不在となった鎌倉には将軍・義政の実弟・政知(まさとも)が派遣されたが、上杉家の内紛もあって鎌倉には入れず、弱々しいことに伊豆の韮山に居住して伊豆一国のみを支配する盲腸のような地方政権になり、人はこれを堀越(ほりごえ)公方と呼んだ。
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(足利成氏 1434~97)

 一方、関東管領職を独占してきた上杉家は、最盛期には一門で武蔵・相模・上野・越後の守護を兼ねるほどの権勢を極めたが、やがて分家同士で争うようになり、中でも山内(やまのうち)上杉家と扇谷(おうぎがやつ)上杉家が、関東の覇権を巡って激しく対立していく。
 足利家における将軍と公方の対立、公方と関東管領の敵対、古河公方と堀越公方、更には上杉家同士の争い。室町の世の関東は、何ともややこしい構図の中にあったものである。

 成氏が起こした享徳の乱により、関東は二つに割れた。利根川・渡良瀬川の大河を境に、関東平野の西半分は幕府と関東管領の勢力下、そして東半分は古河公方とそれを担いだ土着勢力の支配地域となった。あまり認識されないことだが、足利成氏という男に振り回されることによって、関東は応仁・文明の乱(1467~77年)より10年余りも早く、乱世に突入していたのである。

 ココファームの葡萄畑の一番上から足利市街を眺め、そうした室町時代の関東に思いを馳せているうちに、気がつけば時計は1時半を指していた。食べ物も飲み物も、もう充分である。シートを片付け、畑の下へ降りてから最後にグラスワインを一杯ずつ楽しみ、私たちは帰りのバスへと向かう。昨年は駅までの道も大渋滞だったのが、今年は幸いにしてスムーズである。おかげで予定より一本早い上りの特急に乗ることができた。
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 ココファームの収穫祭は今年で27回目だそうである。これだけ有名になると、イベントの運営も年々大変になっているのだろう。それでも今日は、去年と同じように、こころみ学園の園生たちが様々な姿に仮装し、一生懸命に我々を迎えてくれた。学園とワイナリーが、これからも着実に発展を続けていくことをお祈りしたいと思う。

収穫祭のない秋 [ワイン]

 9月はブドウの季節だ。街にはよく熟れたブドウがたくさん出回っている。最近は「種なし巨峰」まであるのだから驚きである。

 私は若い頃よりも中年になってからの方がブドウが好きになった。それは、その頃からワインに親しむようになったことが大きいのだろうと思う。もっとも、高級ワインにはいつまでたっても縁がない。普段着用のワインばかりである。

 私がメール会員になっている山梨県のワイナリーでは過去27年、9月に収穫祭のイベントを行ってきた。日本のワイナリーの中でも、なかなか規模の大きい収穫祭で有名だった。今年はいつになるのかなと思っていたら、8月の終わり頃に届いたメールはその開催の案内ではなく、逆に今年はその開催を見送るという内容のものだった。

 「・・・契約農家様と話し合い、天候不順によるブドウ被害のため、その対策に専念させていただくことになりました。・・・」

 文面は淡々としているが、それがかえって事態の深刻さをにじませているようでもある。メールを受け取った頃はまだ猛暑の最中であったから、「天候不順によるブドウ被害」とはこの猛暑のことだろうかと、素人の私は思っていたのだが、最近改めてネットで関連ニュースを検索してみると、どうやらそういうことではなさそうだ。

 甲州市 べと病深刻 畑の7割 ワイン、減産の恐れ

 ブドウの結実不良を起こす病気「べと病」の被害が、産地の峡東地域で深刻化している。JAフルーツ山梨の調査で、管内全域の被害面積は栽培面積の約3割に当たる約74ヘクタールに上り、甲州市内だけでは7割地区の畑で病気の発生が確認されたという。今後収穫が本格化する欧州系品種で目立ち、大幅な収量減が予想される。欧州で人気が出始めた甲州種ワインの原料となる甲州種の被害も少なくなく、ワイナリーは「減産を強いられるかもしれない」と衝撃を受けている。(以下省略)
(山梨日日新聞Web版 2010年9月14日)

 べと病というのは、ミズカビの類の病原菌によって引き起こされる植物の病気で、ブドウの他にも瓜類やタマネギ、ダイコン、キャベツなどの野菜が被害を受けるという。ブドウの場合は、葉に斑点が現れて裏面に白いカビが生え、初秋になると葉が落ちて果実が育たなくなってしまうのだそうである。いずれも梅雨時などの湿度の高い時期に蔓延しやすい病害とされる。

 地元紙はその後も勝沼のブドウ農家を取材して、記事をアップしていた。

ブドウ全滅 「畑行くのが嫌に・・・」 勝沼の農家 担い手不足も影響
 
 (中略) べと病の原因として、5月から6月にかけての開花期、長雨の影響で十分な消毒ができなかったことが挙げられる。ただ、雨の中でも消毒やかさかけをした農家では、比較的被害が少なかったところもあったという。 (中略)
(同紙 2010年9月21日)

 気象庁のHPから勝沼の降水量を調べてみると、確かに今年は春先から7月まで、平年をかなり上回る降水量が毎月観測されたことがわかる。(平年とは、1971~2000年の30年平均である。) ブドウ畑は湿度の高い状態が続き、消毒作業も雨によって妨げられたということなのだろう。夏の暑さが強烈だったために、私たちはそれ以前のことをもう忘れてしまっているが、確かに今年の春はいつまでも肌寒く、雨が多かったのである。
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 更に今朝のNHKニュースでは、ぶどうの種別で見ると、べと病の被害が食用の「甲斐路」とワイン用の「甲州」に最も多いことが報じられていた。この甲州種から作る白ワインは、すっきりとしていて日本の風土や食材との相性がいいことから、山梨のワイナリーの主力商品になっている。それだけに、今回のべと病被害は極めて深刻な問題なのである。

 ここ数年、勝沼のワイナリーが企画するイベントに家内と一緒に参加させていただいたことが何度かあった。昨年の7月には勝沼の「菱山畑」や「鳥居平(とりいびら)畑」で醸造用のブドウが栽培されている様子を見学し、また今年4月には韮崎郊外の明野町にある畑で、新たに甲州種の苗木を植える体験をさせていただいた。ブドウの栽培に従事するスタッフの方々から直接お話を聞かせていただいたりもしたので、べと病被害のニュースには私にとって何とも胸の痛む思いである。何とか応援をしてあげたいものだ。

 今年4月のイベントでは、帰りにブドウの「穂木」をお土産にいただいた。長さ20センチほどのものだ。穂木とは接ぎ木をする時に台木の上に挿す木のことで、日本国内で欧州種のブドウを植える時には、日本の土壌に適した日本原種のブドウを台木にして、その上に欧州種の穂木を挿すのである。

 「水を入れたコップの中に立てておいて、5月の連休の頃になったら土に挿してみてください。」

 そう教えられてその通りにしてみたら、6月になってカベルネ・ソーヴィニョン種の穂木から小さな若葉が出て、それがひと夏をかけてそれなりに立派な枝ぶりになった。
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(2010年6月2日撮影)

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(2010年9月7日撮影)

 特に肥料を与えることもなく、土が乾いたら少量の水を与えるだけなのだが、若葉が出たと思ったら枝が伸びていき、次々と新しい葉をつけていった。最初はただの枯れ枝にしか見えなかった穂木からこんなに緑が甦るとは、何とも不思議なことである。そのカベルネ君は、今ではすっかり我家のベランダの一員になって、毎日太陽の光を浴び、その様子が私たちの目を楽しませてくれる。

 ベランダの植物への水やりは、毎朝食事前の私の仕事だ。そしてカベルネ君の元気な姿を見るたびに、勝沼のあのブドウ畑の様子が目に浮かぶ。山梨のブドウ農家とワイナリーがこの危機を乗り越えて行かれることを、心からお祈りしたい。
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(9月の勝沼)

大人の遠足 [ワイン]

 新宿を朝出た特急「あずさ」が笹子トンネルを越え、甲斐大和の駅を通過すると間もなく、左の車窓に甲府盆地の眺めが飛び出すように現れる。

 それまでは雲の多い空だったのが、目の前に展開するのは爽やかな青空と、太陽をいっぱいに浴びた盆地一面に広がる畑と家並み、そして彼方に聳える白銀の南アルプスだ。右カーブで勝沼ぶどう郷駅をゆっくりと通過するところでは、今は遊歩道になった旧ホームが絵に描いたような満開の桜である。

 前日までは肌寒い雨模様の日が続いていたが、土曜日の今日は幸いにして暖かく光あふれる晴天になった。塩山を過ぎると線路の両側は果樹園が続き、満開の桃の花が海のようだ。足元には菜の花の黄色が鮮やかなアクセントを見せる。桃源郷とはこのような景色のことを指すのか。私の左隣で窓側の席からそれを眺めながら、家内は歓声を上げている。今日は以前からの約束で、山梨県の或るワイナリーが主催するイベントに二人で参加することにしていたのである。

 ちょうどこの週末に「信玄公まつり」が行われる甲府でかなりの人が降り、それから程なく韮崎の駅に到着。目の前に茅ヶ岳が大きく広がる駅前では、ワイナリーの人達が送迎バスを仕立てて待っていてくれた。「グレイスワイン」のブランドで知られる勝沼の中央葡萄酒工業㈱が、この先の北杜市明野町にブドウ農場とワイナリーを持っていて、今日はここで垣根栽培される甲州ブドウの植樹をする、その体験をさせてくれることになっていたのだ。

 駅から20分ほどバスに揺られると、茅ヶ岳の山麓の南斜面にその農場はあった。2002年に開園され、総面積は8ヘクタール。赤ワイン用のメルロ、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルド、ピノ・ノワール、そして白ワイン用のシャルドネと甲州種が栽培されている。8ヘクタールのうち半分近くが甲州種になるようで、畑が全部出来上がるのは来年だそうだ。その畑に着くと、彼方に南アルプスの甲斐駒ヶ岳(2,967m)が天を突くような姿を見せている。小躍りしている私を見て、家内はいつものように笑う。
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(写真右が甲斐駒ケ岳、左はアサヨ峰)

 農場長さんから説明を受け、植樹の作業がさっそく始まる。農地にはすでに穴を掘ってあり、指導を受けながら穴の形を整えて苗木を立て、土をかぶせてしっかりと固めるのが私達の役目だ。ブドウの苗木は50センチほどの長さで、芽の形はあるがまだ葉は出ていない。病気に強い品種の台木の上に甲州種が接ぎ木されており、その接ぎ目が地上に出るように穴の深さを調整し、根がよく伸びるよう放射線状に下向きに広げるのがポイントだ。大地と向き合い、土の感触を確かめながら行うその作業は、こうした機会がなければ体験できるものではない。それにブドウの植樹というのは50年に1回なのだそうだ。
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今日はこのイベントの参加者100人によって300本ほどの苗木が植えられたのだが、これらがブドウの実を結ぶのは数年後のことだ。それが収穫されたらどんな白ワインになるだろうか。その頃の我家はどんな風にして過ごしているだろうか。そう思うとなかなか感慨深いものがある。明野町は海抜680~700mで4月~9月の降水量が830ミリ。年間2,600時間の日照時間は日本一だ。向かい側の南アルプスは名水の地でもある。こうした自然条件の下で、日本の気候と日本の食材に合った美味しいワインになるよう、順調に育っていって欲しいと、家内も私も心から思う。
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(写真後方は茅ヶ岳)

 植樹の作業は一時間足らずで終わり、そこからバスで5分ほどのミサワワイナリーに向かう。そこでは地元の食材を使ったランチが用意されており、この農場で育った甲州種から作られた「グレイス茅ヶ岳白’07」が振る舞われた。タマネギやニンジンのマリネ、カボチャの煮物、ウドの天ぷらなど、それぞれに淡い味付けだが、アルコール度数が11度と軽く、何よりもすっきりとした味わいのグレイス茅ヶ岳は、このように野菜が本来持つ甘味と旨味を楽しむ料理には良く合うようだ。

 ランチが終わると、それから1時間ほどは最後のプログラムのテイスティング・セミナー。オーナーの三澤茂計さんの解説で、更に4種類のワイン(赤・白が各2種類)のテイスティングを楽しむ企画である。同じ白ワインでも、この畑で育った甲州種とシャルドネ種の味わいの違い、そして同じくここで育ったカベルネ・ソーヴィニヨンから作った、まだ熟成中で未発売の赤ワインが秘めた可能性を楽しむことができた。
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 グレイスワインが企画するイベントに参加するのは、実はこれで3回目である。これまでは勝沼のブドウ畑とワイナリーが会場だったので、明野の農場を訪れたのは今回が初めてである。勝沼がどちらかといえば箱庭の中のような景色であるのに対し、ここは快晴ならば富士山、南アルプス、八ヶ岳を三方に眺めることが出来る。山頂そのものは雲の中にあったが、釜無川の谷の向こうに広がる南アルプスの雄大な眺めに、自身は山歩きをしない家内も感動したようだ。深呼吸をして、「いいなぁ~」を連発している。その様子が、私には嬉しい。

 甲州種とは、日本で千年以上も食べられてきたブドウである。飲用に適した水が少ないヨーロッパでは、昔からワインという飲み物を作るためにブドウが使われてきたが、水の良い日本ではブドウはもっぱら食べるために利用されてきた。ブドウの収穫量を増やすためには、いわゆるブドウ棚方式で栽培するのがよいが、良いワインを作るためには一本の木から成る実の量を制限した方がよく、それにはヨーロッパで見られるような垣根方式の栽培が求められる。

 日本の気候と食文化に合うワインを作ろうと思えば、千年以上の食用の歴史がある甲州種がいいはずだが、最近は農家も巨峰やピオーネといった高級種の栽培に向かいがちで、このままでは甲州種は絶滅の危機にある。ならば、ワイナリーもブドウの供給を契約農家に頼るのではなく、自前で畑を持って栽培するしかない。

 こうした危機感を持った三澤さんは、2002年に明野でのブドウ栽培を垣根方式で始めた。そこは、シャルドネやカベルネなど、欧州品種を育てる畑でもあった。日本の風土の中で育つ日本のワイン。しかし、それを国内需要だけに向けるのではなく、ワインである以上は世界の市場に認知されるよう、輸出に挑戦したのである。そのためには、どうしても世界標準であるEU基準をクリアしなければならない。だから、製品の品質は常にEU基準で考え、ヨーロッパでも評価されるよう常に努力を続けている・・・。

 語り口は訥々としているが、オーナーの三澤さんの説明はいつも気持ちが熱い。「至誠天に通ず」というような信念があるのだろうか。日本人の誠実さ、ものづくりに取り組む姿勢の真面目さは海外から高く評価されてきたのだから、今はまだ世界の中ではマイナーな存在でも、努力を続ければ必ず世界の注目を集めることが出来るはずだ。日本は経済が内向きになっているが、世界と真っ向勝負をしなければだめだという、経団連のトップに語って欲しいようなことがこの人の口から出て来ることに、いつも驚かされる。

 この規模の会社にとって、自前の畑を持って欧州品種を育て世界と勝負することや、甲州という世界の中ではマイナーな品種を主軸に打って出ることは、企業の体力からしても大変なことだろう。資本の論理からすれば、もっと資本効率の高いビジネスモデルがあるのかもしれない。しかし、こうした果敢な挑戦ができるのは、非上場企業ならではのことだろう。そして、それを応援する消費者が増えていけば、決して大儲けをするような事業ではないが、社会の中で輝くような存在価値のある仕事になるのではないか。そんな取り組みを容認する枠組みが資本主義にはあっていいはずだ。そして、このような日本のワイン作りを、私は応援していきたい。

 参加者一同の大きな拍手と共に今回のイベントは終わり、バスに乗って私達は韮崎の駅に向かった。帰りがけに試飲をさせてもらい、とても気に入って買い求めた「グレイス・ロゼ2009」は、来月の結婚記念日にでも開けようか。そんな話をしながら、雄大な景色と畑の土の感触、美味しい日本のワインと、何よりも「ものづくり日本」の心意気を確かめることができた今日一日に、家内と私は大きな幸せを感じていた。

 神様も最後に粋なはからいをしてくれたものだ。韮崎のホームからは、この日初めて富士山が大きな姿を見せていた。
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