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台風一過 [季節]

 オフィスの私の席からは、振り向けば高架を走る東北新幹線が窓の向こうによく見える。いや、正確には東北・上越・長野新幹線と言うべきだろう。東京を出て大宮までは共通の線路を走っているから、三つ合わせれば結構な頻度で列車が往来している。

 その日の午後、会議が終わって席に戻り、しばらくはメールを返したりしていたのだが、15時半過ぎだったか、その高架を列車が全く走っていないことに、ふと気がついた。新幹線の奥には埼京線の線路も併走しているのだが、そちらも列車がやって来る気配がない。

 会議を始めた頃から外の風雨は強くなり始めていたが、今は横殴りの雨だ。この強風のために、列車は既に運転見合わせになってしまったようだ。

 9月21日(水)、午後になって浜松市付近に上陸した台風15号は、概ね予想進路の通りに本州を縦断し、甲府盆地から関東山地を抜けて宇都宮市の方角に進んでいた。首都圏の交通機関には早々に影響が出始め、いつもの帰宅ラッシュが始まる17時以降といえば、殆どの鉄道が運転見合わせになり、ターミナル駅周辺は運転再開を待つ人々の群れであふれてしまった。今年3月11日に東日本大震災が起きた、あの日の夜を思い出した人々も多かったことだろう。地震に代わって、今度は台風の襲来による大量の帰宅困難者の発生。我国は大きな自然災害と隣り合わせなのだということを、改めて思わざるを得ない。
Typhoon No.15.jpg

 会社では、14時を以って本社の女子社員は帰宅させ、その他の社員についても、鉄道利用者は事情が許す限り早い時間に帰宅するよう誘導していた。社長もわざわざ私の仕事場にやって来て、「今日は早くお帰りください。」と言ってくれたが、埼京線が既に止まってしまった以上、身動きが取れない。

 そのうちに、私と同様に東京方面へ帰宅する社員が他に二人いたため、総務課が販売部の車を回してくれて、JRの川口駅まで送ってくれることになった。車が走っている間、後部座席から窓の外を見ると、道を歩く人をたまに見かけたが、傘を殆ど開けないか、或いはその傘が既に壊れてしまったか、どちらかのパターンだった。まともに歩けないような強い風とはこのことだろう。

 16時半頃に川口駅西口に到着。同僚と共に改札口へ行ってみると、運悪く京浜東北線も運転見合わせになったばかりだった。埼京線にせよ京浜東北線にせよ、都内へ入るためには荒川を鉄橋で越えなければならない。いずれにせよ強風で運転見合わせになるのは時間の問題だったのだ。

 人だかりが出来はじめたJRの改札口では、職員がダンボール箱を抱え、バス輸送の振替券を配り始めた。東口のバスターミナルへ行くと、川口元郷という埼玉高速鉄道の駅を通るバスが出ているという。その乗り場に向かっては既に長蛇の列が出来ていたが、ともかくも並ぶ他はない。

 横殴りの雨の中、陸橋の上で列に並ぶというのは案外つらいものだ。傘は殆ど役に立たず、ズボンもシャツの袖も、既に水をかぶったも同然の状態である。それでも、バスを待つ列は整然としたもので、列を乱す人もなく、キレてしまったり職員に喰ってかかったりするような人もなく、皆黙々と列に並んでいる。そして、その列は意外に早く前へ前へと進んで行く。

 私は通常の路線バスを待たされるのかと思っていたのだが、こういう事態の中、特別の態勢が取られたようで、臨時バスが次々に出て乗客を乗せて行く。日本の交通機関は、このあたりがすごい。列の長さからして最初は一時間待ちも覚悟していたのだが、結局20分ほどで私もバスに乗ることができた。ラッシュで徐行気味のそのバスに10分ほども揺られると、川口元郷の駅前に到着。地下に下りてホームへ進むと、東京メトロ南北線直通の白金高輪行きの電車が通常ダイヤ通りにやってきた。これで後楽園まで行き、丸の内線に乗り換えれば、私は自宅の最寄り駅まで行ける。

 途中、駒込駅で大勢の人が乗降する間、「ただ今山手線は運転を見合わせています。」という場内アナウンスが聞こえてきた。そして、後楽園駅で降りると、ホームは大変な混雑である。JRが止まっているためか、とにかく北方向へ行く電車を待つ人々があまりに多く、ドア・ホームのガラスで囲まれたホーム全体がぎゅうぎゅう詰めの状態だ。そしてホームへ降りる人の列が、あの地下深い南北線のエスカレーターを上がったずっと先まで続いている。もっと大きなターミナル駅では、さぞかし大変な状況になっていることだろう。

 まぁ、こんな経緯はあったものの、私は18時過ぎには家に着くことができた。16時頃には退社させてもらったから、途中の混雑もまだずっと軽い方だった。世の中全般を見れば、もっと遅い時刻まで仕事を続けていた人々も大勢いたのだし、早く帰れと言われてもすぐにやめる訳にはいかない仕事もたくさんあったことだろう。夜遅くに鉄道の運行が再開してからも色々と大変だったようで、難儀をされた人々は本当にお気の毒なことだと思う。
Traffic suspention.jpg

 日本は山紫水明、本当に自然に恵まれた国ではあるが、この島国に暮らしている以上、自然災害の数々がやってくることは避けられない。おいしい水は好きだが台風はごめんだ、という訳にはいかないのだ。そして自然の猛威には人智を超えたものがあるから、被害を完璧にゼロに押さえ込むことなど、出来るものではない。だから、人はそれぞれの持ち場でベストを尽しながら、自然災害とはともかく折り合っていかざるを得ない。

 三月の大震災の時も、被災地の人々が落ち着いて行動し、忍耐強く順番を待ち、秩序を保っている姿が世界の賞賛を浴びたが、今回の帰宅困難者の様子も、総じて極めて落ち着いたものだったように思う。「仕方がない。頑張ろう。」 幾多の自然災害と折り合いをつけながら暮らしてきた祖先たちのDNAを、現代の私たちもやはり受け継いでいるのだろうか。

 仕事で香港に駐在していた頃、夏になるたびに台風がやってきた。だが、現地のテレビの台風情報はいたって単純で、天気図も台風の予想進路も画面に出ることは滅多になく、大半はあと何時間風雨が続くかという、ただそれだけを伝えるものだった。考えてみれば、香港島に九龍地区と新界地区を加えても、香港のテリトリーは東京都の面積のちょうど半分ほどのものだ。台風が連れてくる雨雲の大きさと比べれば、わずかに「点」ほどの大きさしかない。しかも周囲は大陸中国という(精神的には)別の国だから、台風がどこから来てどこへ向かおうと、「点」に住む人たちの知ったことではない。暴風雨域はあと何時間で香港から過ぎ去るのか、それだけの情報で十分なのだろう。

 それに比べると、我国の台風情報は実に精緻で行き届いている。台風が九州・四国を通り過ぎても、今度はその先の地域の人々が影響を受ける訳だから、進路予想がとても重要な情報になる。そして、南北に細長いこの小さな日本列島に、本当に狙いすましたように毎年台風がやってくるのだ。その進路予想を見ながら、故郷を心配したり、離れて住む家族を案じたり。それが日本なのである。

 一夜明けて、あの凄まじかった風雨が嘘のように、翌日の東京は穏やかな朝を迎えた。台風が運んできた湿度はまだ残っているが、空の雲には少しばかり秋の気配も見える。
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 台風一過。さぁ、また一つ頑張るとしようか。

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