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朝の歌 [季節]

 10月29日、土曜日。普段と同じ朝6時に起床。窓の外は爽やかな快晴だ。こんな天気のもとで週末が始まるとは、何とも気分がいい。

 ベランダの植木に水遣りをしてから新聞にざっと目を通し、ついでにPCを立ち上げてメールをチェックしていると、もう7時を過ぎた。朝食前に軽く汗を流しに、外を走ろう。

 朝の光を体いっぱいに浴びるのが、私は好きだ。まだ人通りの少ない街路を歩き、長い影法師をつくる斜めの光に当たることで、体の細胞の一つ一つが目覚めていくような、その感覚が心地よい。10月最後の週末。例年よりも少し気温が高めながら、そんな風にして一日を始めるにはいい季節になった。

 いつものように小石川植物園の脇からゆっくり走り始めて、白山下から巣鴨駅へ出た後、大塚駅前を経由して戻ってくると、45分ほどだ。時計は8時を少し回っている。家の近くの美味しいパン屋さんがお店を開けたところだから、朝食のパンを買って帰ることにしよう。

 大通りに面した“aux pains gourmands”という名前のそのパン屋さんは、気をつけて見ていないとうっかり通り過ぎてしまいそうなほど、間口も看板も小さいのだが、「国産・フランス産の小麦と自家製天然酵母にこだわった」美味しいパンを焼いてくれるお店で、我家のお気に入りの一つだ。朝何時から仕事に取りかかっていたのか、焼きたてが早くも棚一杯に並んでいて、どれを選ぼうか迷ってしまったが、ともかくも家族の好きそうなものを何種類か、買い求めることができた。

 それからすぐに帰宅してシャワーを浴び、リビングルームに出てくると、食卓では朝の支度がもう完成しつつあった。息子や娘も起きてくる。窓の外は爽やかな青空。リラックスした土曜日の朝食だ。テレビは消して音楽にしよう。家内がだいぶ昔のCDを選んできた。古澤巌のヴァイオリンによるもので、その名も「aubade (朝の歌)」!颯爽とした演奏に朝の元気をもらいながら、四人の手は一斉にパンに向かって伸びた。
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 今朝、焼きたてのパンにこだわってみたことには理由があった。是非、それと一緒に味わってみたいものが我家の食卓に登場したからである。それは、私の親しい友人から海外旅行のお土産にいただいた、ミラベルという果物のジャムである。

 ミラベルとは、スモモの一種だそうである。スモモというのは、中国を原産地とする「日本スモモ」と、コーカサス地方が原産の「西洋スモモ」とに大きく分かれるらしい。

 私たちが普段「プラム」と呼んでいるのが前者で、日本には奈良時代に中国から伝わり、古事記や日本書紀などにも登場しているという。(因みに、「李下に冠を正さず」という中国の諺にある李とは、このスモモのことだそうだ。) 今の銘柄でいうと、大石早生、ソルダム、太陽などがそれで、果実が比較的大きく、その殆どが生食用である。だが、中国や日本では「桃」の方がずっと古くから親しまれてきたので、プラムの類は「酸っぱい桃(→スモモ)」として評価が低く、日本で栽培が盛んになったのは明治以降の時代のことなのだそうだ。

 これに対して、西洋スモモは果実がもう少し小さく、生食用にもなるが、乾燥させたり、或いはジャムにしたりという使われ方が多いそうだ。(乾燥させたものを私たちは「プルーン」と呼んでいる。) 今回いただいたミラベルは、この西洋スモモの一種で、7月から9月中旬にかけて果実が食べ頃になるそうだ。フランスのロレーヌ地方、次いでアルサス地方が産地として有名で、メッツやナンシーを中心としたロレーヌ地方でのミラベルの商業生産量は世界の80%を占めるそうである。
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(ミラベルの果実 -Wikipediaより拝借)

 友人の話では、ミラベルの実が熟した頃になると、木に成っている実を手で取ってそのまま食べられるそうだ。フランス人の大好物で、マルシェ(朝市)に並んでも早くに売り切れることが多いという。そして、食べ頃になったものは傷むのも早いらしく、買って来てもあっという間にカビが生えたりするから、生食用に日本まで運ぶのは難しいようだ。現地を旅行してその美味の虜になった友人は、「本当は生のミラベルを届けられたら良かったのに。」と残念がってくれ、その代わりに持たせてくれたのが、「コンフィチュールの妖精」と呼ばれるアルサスの菓子職人クリスティーヌ・フェルベールの手によるジャムだった。
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 食べ物の美味しさを言葉で的確に表現することは、いつものことながら何とも難しい。封を開けたばかりのミラベルのジャムを焼きたてのパンに乗せ、口に運んだ直後に広がるあの芳香と甘みには、どんな言葉を用いればいいのだろう。

 あの甘みはこの上なく「上品」だが、その二文字では当たり前過ぎてもの足りない。「清楚」。そうかもしれないが、その言葉の響きよりも、ミラベル・ジャムの甘みにはもっと大人の部分がある。「きめ細かい」。味の表現としては何だか変だが、もし甘みに粒子なるものがあるとすれば、その粒々が非常に細かいような、そんなところをうまく伝えてみたいという思いがある。あれこれ考えてみたが、それはやはり徒労というものだった。それぐらい、今朝初めて出会ったミラベル・ジャムの味わいには私の想像を超えるものがあった。

 焼きたてのパンにミラベルのジャム。これで一家四人の手が伸びないはずはない。よく食べて、朝から賑やかに話が弾み、四つの笑顔が食卓に並んだ。そして、古澤巌の奏でるショーソンのピアノ四重奏曲の、フランス的な叙情を込めた第二楽章が、私たちが過ごしていた時空に秋の彩りを添えてくれた。
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 朝食を楽しんでいるうちに、窓の外の青空は一段と元気になった。暖かい日が続いていて、今日もシャツ一枚で過ごせそうだ。食後のコーヒーが終わったら、歩きに出かけようか。

 我家の四人に土曜の朝の幸せな一時をプレゼントしてくれた友人には、この記録を通じて心からの感謝を申し上げたい。

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