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或る架空の国 [世界]


 その昔、東京の山手線・大塚駅の南口側に、二本立て300円の小さな映画館があった。今はもう激減してしまった「名画座」といわれるタイプのものだ。高校時代、映画の面白さにハマッていた私は、学校帰りに時々お世話になったものだった。

 天邪鬼の私は、昔からハリウッド映画は好みでなかった。金にモノを言わせたような映画よりも、もう少し手作り感があって、多様な価値観があって、小粒でもピリリと辛い、そういう方が好きだったし、テレビも何もアメリカ一辺倒の世の中だったから、それ以外の地域の作品の方が興味を持てた。(そのスタンスは今も変わっていないが。)

 或る日のこと、題名がアルファベットでたった一文字だけの「Z」という映画を、この名画座で観た。コンスタンティン・コスタ=ガヴラスというギリシャ人の監督によるもので、イヴ・モンタン、ジャン=ルイ・トランティニアン、ジャック・ペランといったフランスの名優たちが顔を揃えていた。’69年の作品だというから、私が名画座で観たのはその5年後ということになる。公開された年にアカデミー外国語映画賞とカンヌ国際映画祭審査員賞を取った作品である。
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 あまり予備知識なく観に行ったのだが、それは「地中海に面した或る架空の国」を舞台にしたポリティカル・サスペンスで、今ではこんなスタイルはまず見かけない、実に硬派の内容だった。

 軍や秘密警察の力を背景にした非民主的な政権のその国で、或る夜、政権を批判する野外集会で演説を終えたばかりの野党の国会議員が、後ろから来た車が通り過ぎた瞬間に頭部を負傷して命を落とす。この事件を担当することになった予審判事は、単なる交通事故として処理しかけていたが、解剖の結果、頭を殴打された形跡が見つかったために捜査を進めたところ、警察署長や憲兵隊長が襲撃計画に関与していた事実が次第に明らかになり、事件は意外な展開へ・・・。硬派なストーリーながら所々にユーモアやブラック・ジョークを織り交ぜた、よくできた映画だった。
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 ジョークと言えば、この映画の結末のドンデン返しも第一級のブラック・ジョークで、思わず「嘘だろ!」と呟いてしまうようなラストが待っていた。すなわち、(42年も前の映画だから、いまさらネタバレとも言われないだろうが) 政敵の議員の暗殺という政権側の陰謀が明らかになって野党が勢いづき、反政府運動が大いに盛り上がったところで、全てを踏み潰す陸軍のクーデターが勃発。軍事政権は更に非民主的な姿勢を打ち出し、新たに禁止された項目をニュース報道調にナレーションが淡々と読み上げるところで、映画は終わる。
 「(禁止されたのは)ストライキ、長髪、ミニスカート、ポピュラー音楽、自由な言論、そして『Z』という文字。それは古代ギリシャ語で『彼は生きている』を意味する言葉だから・・・。」

 政権を批判して斃れた野党議員が民衆の間でヒーローにならないよう、「Z」という文字まで禁止せざるを得ないとは、何とも滑稽にして悲惨な政権ではないか。これがブラック・ジョークでなくて何であろう。
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 一応フィクションの体裁を取っているが、この映画のストーリーには、モデルになった事実があるという。それは、1963年にギリシャのテッサロニキで開かれた平和集会で、G・ラムブラキスという野党の国会議員が米軍によるギリシャへのミサイル配備に反対の演説をした後、「交通事故」で命を落としたという事件だそうだ。

 古代にあれほどの文明が栄えたのに、その後のギリシャは世界史の中でも影がうすい。近代以降も小党乱立のお国柄で政治のリーダーシップが弱く、第二次対戦中は枢軸国側に占領されて、国王は英国に亡命していたぐらいだ。地政学的には重要な位置にある国だったから、戦後は米国が肩入れをして共産主義勢力を排除し、その民主性にはいささか疑問符が付くものの、保守政党の連立政権によって’50年代をしのいできた。

 ところが、米ソの対立が先鋭化した’60年代は社会主義が元気な時代で、ギリシャでも左派勢力が躍進を始める。’64年の総選挙では(保守的・抑圧的な与党に対して)自由主義的な中道連合が地滑り的に勝利。それを率いたゲオルギオス・パパンドレウは、現在のパパンドレウ首相の祖父にあたる。前述した野党議員G・ラムブラキスの怪死事件はその前年のことになる。

 だがゲオルギオス・パパンドレウは、その左寄りとも取れる政治姿勢から国王と対立。新たな総選挙が準備された’67年、中道諸派の勝利が見込まれていた矢先に陸軍の軍事クーデターが勃発。以後は軍事独裁政権となり、数々の抑圧的な政治が行なわれることになった。映画「Z」のエンディングは、まさにこの時期のフォトコピーで、「地中海に面した或る架空の国」も、見る人が見ればすぐにわかる訳だ。(だから、この映画は当時ギリシャでは上映禁止になっていた。)
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 しかし、縁というのは不思議なものだ。私が名画座でこの映画を観たちょうどその年の秋、7年続いたギリシャの軍事独裁政権は崩壊することになった。’70年代の欧州は不況の時代。’73年秋に発生した石油危機が、それに拍車をかけた。ギリシャの国内経済は悪化して軍事政権への不満が増大。トルコとの対立の原因となったキプロス問題の処理に失敗したことが致命傷となって、軍部は退陣。総選挙で新民主主義党が与党となり、多数の政治犯を釈放。国民投票で王制の廃止と共和制への移行が選択されたのだった。

 テレビや新聞によって報道される同時進行形の「ギリシャ現代史」に接しながら、私は何やら映画「Z」の続編を観ているような気分になって嬉しかった。もっとも、高三の秋にもなってこんなことに現(うつつ)を抜かしているとロクなことにならないのは、それから程なくして思い知ることになるのだが・・・。

 あれから37年。ギリシャは今、いささか不名誉な形で世界の注目を集めている。言うまでもなく、膨れ上がった対外債務に対するギリシャ政府の返済能力への懸念、すなわち国家の債務危機である。

 中道と左派が政権交代を繰り返すたびに、選挙の票集めのために行われてきた公務員の増加や各種「手当」の新設、目を覆うばかりの脱税、そもそも競争力のない国内産業・・・。債務危機の原因として挙げられるギリシャの構造的な問題は、既に言い古されてきたことばかりだが、ここへ来て事態の深刻化に拍車をかけたのは、この国が2001年から統一通貨ユーロに加盟したことだろう。

 ずっと以前から慢性的な経常赤字の国だったギリシャ。外貨の獲得手段はといえば、観光収入と海外移民からの送金ぐらいしかなかったから、ドラクマというこの国の通貨はローカル・カレンシーもいいところで、国外では全く通用しないものだった。そして、赤字の穴埋めにギリシャが外国から借入をしようとすると、対外支払準備としてこの国が外貨をいくら持っているかを、貸し手はハラハラしながら見ていた。

 ところが、外貨獲得能力に乏しいことは何も変わっていないにもかかわらず、ギリシャの通貨が或る日からユーロという世界で二番目に活発に取引されるハード・カレンシーになり、そのユーロ建てで国債を発行するようになった。そのことで、ギリシャの支払能力について借りる方も貸す方も「目くらまし」に遭ったようなところがなかっただろうか。

 そして、当のギリシャにとっても、過去のドラクマ時代とは違って為替レートを気にせず、同じユーロでドイツやフランスから物が買える。(それは売る方にとっても同じだ。) ユーロを手にしたことによるそういう気楽さが、ギリシャの対外的な赤字の拡大を助長させてしまったところはなかっただろうか。

 対応を誤ればユーロの存続そのものを脅かすことになりかねないギリシャの債務問題は、今月23日のEU首脳会議という一つの正念場を迎えようとしている。かつて軍事政権によって国外追放の憂き目に遭った祖父ゲオルギオス・パパンドレウよりも、そして政敵ND(新民主主義党)との間で政権を争い、二度にわたって首相を務めた父アンドレアス・パパンドレウよりも、二人の名前を受け継いだ三代目の現首相ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウが、最も辛い立場に立たされているのだろう。もはや避けて通れない大幅な緊縮政策に対して、対案のないまま国民の反対運動が激化を続けている。
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 映画「Z」が描いた「地中海に面した或る架空の国」では、自由を求める人々の声は戦車によって押し潰された。そして、’74年以降の政治の民主化でやっと自由を手にしたこの国の人々は、今度は豊かさを追い求めた結果、対外債務の返済に困るようになった。これではキリギリスと呼ばれても仕方のないことだろう。

 「怠け者は泥棒と同じだ。」 (フォキュリデス、BC 6~5世紀)
 「生きるために食べるべきで、食べるために生きてはならぬ。」 (ソクラテス、BC 5~4世紀)
 「自制ができぬうちは、自由だとは言えぬ。」 (デモフィロス、BC 6世紀)

 やはりご先祖様は偉かった。21世紀の今もなお、私たちはそう言わざるを得ない。

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